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フォン・デム・エーベルバッハ少佐は郊外の屋敷に帰るの諦め、市内に借りた自分の部屋で眠ることにした。帰って使用人とやり取りすることを考えただけで、タールがへばりついたようにぬぐい切れない疲れが余計にひどくなる気がしたからだった。疲れ切ってドアを開け、部屋の明かりもつけずに居間に入ると、体を投げ出すようにソファに転がった。こんな日もある。彼は自嘲した。毎日ご機嫌で帰れる仕事ではない。私的な空間における幸運な孤独を噛み締めながら、妻帯者である部下たちの顔を思い浮かべた。あいつらは結局、おれよりもずっと強靭な精神を持っているということかも知れん。
彼はふと覚えのある香りに気が付いた。気付くとほぼ同時にその香りの持ち主に思い当たり、腹立たしさのあまり舌打ちを押さえ切れなかった。厭わしさと馴染み深さとが解きようもなく絡み合ったその香り。薔薇。彼は呪った。追い払っても追い払っても、こいつはおれの私的な場所に踏み込んでくる。物理的にも、心理的にも。おれに近づくな。おれに構うな。おれに手を伸ばすな。おれに触れるな。おれをかき乱すな。
書斎から影が差した。
「どこから入った。」
「ごく普通にドアからだね。さっきからお邪魔していたよ。書斎の安楽椅子でうたた寝をしていたんだ。きみの帰宅する音で目が覚めた。」
「この部屋を教えた覚えは無いぞ。さっさと出て行け。」
「つれないね、少佐。」
薔薇の香りの持ち主は猫科の動物のように足音を消してソファに近寄り、上体を起こした部屋の主の隣に滑らかに腰掛けて体を寄せた。薄暗がりの中で、体温が感じられるほど不意に体が近かった。忌々しい香りが、さらに強く少佐の鼻腔を打った。
「怖いんだね?」
出し抜けに、切り出した。何の前置きも無かった。
「何の話だ。」
「きみは快楽が怖いんだ。男との快楽がね。それから、与えられる快楽を受け入れることも。わたしとのことは、そのすべてだ。」だがそれは真摯な声だった。
少佐は凍りついたように動きを止めていた。長い時間がたった。いや、ほんの一瞬だったのかもしれない。唇が近づいた。薔薇がまた匂い立った。唇と唇が触れ合う直前に、彼はようやく気が付いて体を逸らせた。いつのまにかうっすらと汗をかいていた。
「ふざけた真似はやめろ。」言い捨てて、彼は立ち上がった。
「…また逃げるのかい?」
「出て行け!」
我慢がならず、投げつけるものを探した。ローテーブルの灰皿を掴み上げると金髪の侵入者はさっと立ち上がり、素早く、だが平静な足取りでドアに向かった。
「またお邪魔するよ、ダーリン。」
灰皿が鈍い音をたてて壁に当たり、床に落ちると同時にドアが閉まった。あとには深夜の静寂だけが残った。
シャワーを浴び、服を着る間にもとめどなく口をつく呪詛の言葉をようやく飲み込んで、彼はベッドに潜り込んだ。だが眠るための歌を幾度歌ったとて、その夜は眠れるものではなかった。
* * *
「私はちっとも良くなかったよ。きみがこんなだとは思わなかったね。下手とかそういうのじゃない。とことん身勝手なんだ。」
口いっぱいにに押し込まれていた下着をやっと吐き出し、金髪は枕から顔を引き剥がして咳き込みながらそう言った。黒髪は金髪の抗議を一顧だにせずベッドを下り、金髪の唾液で湿ったボクサーパンツを拾い上げて自分の前を拭った。茂みにまで血が付いていた。
金髪は本気で憤っていた。縛り上げられ、ベッドの柵に繋がれた手首をどうにか解こうともう一度あがいたが、やはりどうにもならなかった。低いうなり声をあげてもう一度枕に顔をうずめた。怒りと痛みと屈辱のあまり、顔面が蒼白になっ ていた。
「私は女性とは違うんだ。そんなふうにされても全然よくないんだよ!」
「女だっていきなりぶちこまれたら、鼻を鳴らして腰を振ってくるやつはあまりおらん。いるとすれば商売女が客相手にふりをするときだけだな。おまえもそのふりぐらいはすると思っとったがな。拍子抜けだ。」
金髪は自分が売春婦と同列に置かれたのを聞いてさっと顔を上げ、信じられないというように相手の顔を見た。「…びっくりするぐらい品のない言い方だね。きみにそういう物言いができるとは、今のいままで思いもよらなかったよ。」
「これまでのお上品なお相手とは勝手が違うと言いたそうだな。そういう生意気な顔つきは悪くないぞ。いつまで強がっていられるか、楽しみにしておいてやる。」
煙草に火を付けると、黒髪は普段とは全く違った野卑な口調でそう言い、相手をせせら笑った。
「それと、よくわかっとらんようだから念を押しておいてやるが、今のは強姦だ。おれはそうした。おまえの合意を得た覚えはない。よしんば合意があったとしても、」
言葉を切り、細い紫煙を吐いた。
「おまえを楽しませてやる気は毛頭ない。こうなるときにはさぞかしいい思いができるだろうと楽しみにしとったんだろうが、残念だな。獲物の鼻面を引きずっとるのは自分の方だとも思い込んどっただろうしな。」
金髪は一瞬だけ、ひどく傷ついたような表情を浮かべたが、すぐにそれを消して黒髪を睨み上げた。黒髪は冷え冷えとした視線で金髪を見下ろし、冷たく詰問した。
「おまえ、おれが怒っとらんとでも思っとったのか。」
「なんだよ、それ。」
「まだまだ充分口答えできそうな勢いだな。いいだろう。おまえは蜘蛛の網にかかった獲物だ。暴れろ。泣き叫べ。せいぜいおれを楽しませろ。」
「はやくはずせよ、これ!」
金髪は体を起こし、片膝を付いて立ち上がろうとした。縛られた両手首をもう一度強く揺すった。
「他人のうちに夜中に無断で上がりこんで、ご丁寧にも外に出られんような格好で部屋の主を待ち受けとったんだから、これで本望だろうが。おまえ、どこまで身勝手なんだ?あっさり放免してもらえると思ったか?」
金髪は唇を噛んで目をそらした。蒼白だった顔が、憤怒と羞恥で耳まで赤くなっていた。
黒髪は金髪を見つめ、言い放った。「おれはまだまだやり足らん。咥えろと言いたいところだが、その顔つきではおれを喰いちぎりそうだな。」
金髪は怒りと絶望の目で黒髪を見上げた。黒髪は煙草を灰皿でもみ消し、冷たく金髪を見下ろした。「言ったろう。おれはたががはずれた。おれはもう何年もおまえには煮え湯を飲まされて来た。おまえには全く我慢がならん。今日はいい機会だ。まとめて付けを返させてもらう。いい思いができるかと思ってたか?ん?」
言うなり、平手打ちを見舞った。それは黒髪にとっては軽くくれた一発だったかもしれないかが、金髪の薄い皮膚には十分な痛手だった。頬が赤く染まり、犬歯の当たった唇の端が切れて鮮血がにじんだ。黒髪はその血に見向きもせず、長い巻き毛を鷲掴みにして、金髪の上半身を横になぎ払った。
金髪はうめき声を上げて倒れ、暴れた。自由になる部分は脚しかなく、黒髪を蹴ってなんとか近づけさせまいとしたが、屈強な軍人であり熟練した諜報将校である相手には、その抵抗はあまりにも意味が無かった。黒髪はあっさり足首をとらえ、押さえ込み、動きを完全に封じこめてから、縛られて身動きの通れない金髪の不自由な左腕に手を伸ばした。
「つまらんことを考えると、痛い目をみるぞ。」
黒髪が片手で、金髪の左肘に何らかの捻りを加えた。金髪はうっと息を呑んだ。
「利き腕は勘弁しておいてやる。」
金髪は強情にも体を揺すり、ぎらぎらと反抗的な目で、黒髪を見上げようとした。黒髪は黙って力を込めた。鈍い音がして左肘が外れた。伯爵は一瞬体をのけぞらせ、それからありえない方向に折れ曲がった肘をかばうように丸まった。激痛のあまり声も出せないようだった。
「本職のスパイでもここまで抵抗できんやつもおる。いい玉だな、おまえは。たまらん味だ。」
なおも体を丸める金髪の耳もとでささやいた。「腕をよこせ。関節をはめてやる。またいつでも外せるようにだ。言うことを聞かん獲物にはいいお仕置きだろうが。外したままだと治りが遅いぞ?」黒髪は強引に金髪の腕を取りぐるりと廻して、たった今自分が外した関節を難なく再びはめ込んだ。
金髪は喘いだ。痛みが引いたわけではなかったが、すくなくとも腕はもとの形に戻った。だが鼻っ柱の強さはもとにもどらなかった。黒髪がいままで自分に使ったことがない種類の暴力を、今夜はためらいなく行使することをようやく思い知って、金髪は怖気づき始めていた。黒髪は嘲りをこめて笑った。
「縮みあがっとるな。勃たせてやる。」
そう言い、金髪の前を無理にしごいた。金髪は唇を噛み締め、体をこわばらせて黒髪のなすがままにさせていたが、体には何の反応も現れなかった。
「勃たんか。」
黒髪はくっくっと笑った。「かまわん。どうせよそでさんざんやり尽くしとるだろう。別のところで遊んでやる。もう一度うつ伏せになって尻を上げろ。」
金髪は暗い目で力なく横たわったまま部屋の隅をみつめ、動こうとしなかった。黒髪は無言のまま金髪の右肘に手を伸ばした。指が触れた瞬間、金髪はびくりと体を奮わせ、瞳の中にひらめいた怒りの炎を隠すようにまぶたを閉じて、黒髪の命令に従った。
黒髪は小さめの白い尻を左手で鷲掴みにし、形よく盛り上がった二つのふくらみを開いた。ついさっき何の準備もなしに黒髪を受け入れさせられたその部分には、鮮血が拭われもしないままににじんでいた。黒髪はもちろん気にも止めなかった。
中指を念入りに唾液で湿し、襞の奥まで滑りこませて思った場所でうごめかせながら、黒髪は低い声で確かめた。「ここか?」
金髪は羞恥を怒りで隠し、怒鳴った。「やめろよ!何が言いたいんだよ!」
「別に。好奇心が満たされて満足しとるだけだ。さっきもそうだったが、ここをこうすると、」
指の腹が腸壁のある部分を撫でた。金髪は弾かれたように腰を引いた。
「な?おまえは腰を引いて鼻を鳴らす。そんなにいいのか?女より敏感だな。」
「女と比べるのはよせったら!」
「さほどちがわんぞ。ここだな。」
黒髪が場所を確かめて撫で上げると、金髪は背筋をのけぞらせた。腰から下がぴくりと震えた。
「………」
「どこまで我慢できるのかね?」
「………」
黒髪は黙って執拗に指だけを使い続けた。金髪は枕に顔を押し付けて鼻を鳴らし、喉をひくつかせながら耐えた。だが耐え切れなかった。数分もしないうちに、喉の奥からすすり泣きが洩れ始めた。しばらくの間、黒髪は目を閉じてその泣き声を楽しんだ。
「後ろからがいいのか?だが顔を見ながらやらんのはもったいなすぎるな。仰向けになって足を広げろ。」
再び小競り合いになった。黒髪がもちろん勝利を収めた。
「おれの顔を見ろ。目を閉じるな。」
金髪は黒髪を睨み付け、唇を噛んで息を止め、せめて声を洩らさないよう必死で耐えた。黒髪は残酷に命じた。
「質問に答えろ。おれの名は何だ。」
「…」
金髪は唇を引き結んだままだった。幾度目かの平手打ちがとんだ。
「おれの名を言ってみろ。」
「…クラウス。」
「フルネームだ。」
「クラウス…クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ…」
「所属と階級を言え。」
「NATOボン支部所属、階級は、少佐…」
「そいつはおまえに何をしている?」
「…」
「教えてやろう。そいつがお前の後ろに指を入れて、いいところを突いてるんだ。そう言ってみろ。」
「……」
「言え。」
強いられ、金髪はやむなく唇を動かし始めた。
「……が、私の後ろに指を…入れて…」
「省略するな。所属と階級とフルネームが主語だ。おまえの大事な男がな。」
「NATOボン支部所属の、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐が…、少佐が、私の後ろに指を入れて、入れて…突いている…」
こんな遊びはこれまで幾度となく弄んできただろうに、金髪はいたたたまれずに硬く目を閉じた。
「目を開けろ。おれから目を逸らすな。それをフランス語でも言ってみろ。」
頬を小突かれ、金髪は喉を震わせながら目を開いた。盛り上がった涙で瞳が潤んでいた。
「NATOボン支部所属の、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐が…、少佐が、私の後ろに中指を入れて、突いている…」
「ああ、よくそんな恥ずかしいことが口にできるもんだ。おれはたまらんよ。さて、おまえはイタリア語もできたはずだな。言ってみろ。」
目尻からとうとう涙がこぼれた。喉がひくひくとあえぎ、低い泣き声がもれた。生まれてこの方受けた屈辱を余さず足しこんでも、この瞬間の羞恥にはまだ程遠いに違いなかった。
「NATOボン支部所属の、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐が…、少佐が、私の…」嗚咽と小さな悲鳴で言葉が途切れた。
「なんでそんな信じられんほどいい声で泣くんだ、おまえ。おれはまた勃っちまったぞ。だがまだ言い終わっとらん。続けろ。」
金髪は嗚咽をこらえながら、命じられたとおりに繰り返した。いくつもの言語で繰りかえしを強いられるその言葉は、まるで蜘蛛の網のように逃げ場なく彼を捕らえ、精神と肉体の双方を駆り立てて悦楽の螺旋階段をゆるやかに登らせつつあった。上昇が一旦始まれば意志の力ではどう制御もできないことを、金髪はこれまでの経験からよくわきまえていた。
「ではおれの言葉で言ってみろ。いいというまで繰り返せ。」
「…クラウス、クラウス、もう許してくれ…!頭がおかしくなりそうだ!」
またも無情な平手打ちがとんだ。金髪は諦め、鼻にかかった涙声で黒髪の国の言葉を途切れ途切れにつぶやき始めた。愛を語るには相応しくないとその国の皇帝自身が自嘲した言葉はしかし、支配と服従の調教にはよほど適した言葉のようだった。金髪はその言葉に捕らわれ、屈しつつあった。奔流の予感に怯えた。黒髪は暗い目をさらに暗くして聞き入った。二本目の指が入った。
やがて金髪のドイツ語に断続した英語が混じり始めたことに気付き、黒髪は最後に命じた。「自分の言葉で言え。それが一番辛抱たまらんのだろうが。忘れるな。目を開けておれの顔を見ながらいけ。」金髪は顎をがくがくと震わせながら従った。黒髪は二本の指先に力を込めた。
そう何度もは繰り返せなかった。ほどなくドライオーガズムの激しい絶頂が訪れ、奔流が金髪を一気に押し流した。金髪は細い叫び声を上げて、射精のないままに腰から下をびくびくと痙攣させてのけぞった。痙攣は数分に及んだ。ひどく発汗していた。荒い息をつき、完全に崩壊し、嗚咽をこらえようと咽喉を震わせ、そしてこらえきれなかった。黒髪は暗い目のまま、満足げに深い息を吐いた。
「いい声だった。こっちまで冷や汗が出たぜ。男でもこういうふうになるやつがいるとは聞いていたが、知ると見るとは大違いだな。」
指を抜き、興味深く自分の指を見た。そして金髪に向き直った。
「ご褒美だ。」
そう言うと立ち上がり、寝室と続きの書斎からワインのボトルを2本抱えて戻った。どちらもモーゼルの白だった。黒髪はその一方の栓を抜き、絶頂の余韻にまだなお時折体を震わせる金髪の上半身を支えて体を起こすと、瓶のまま口元に押し当てた。
「全部飲め。たいした度数じゃない。…9.5%か。水とかわらんぞ。酔っ払われて感度が悪くなってもつまらんしな。」
金髪は素直に瓶に口をつけた。そして一口目を飲み干し、口に含んだ二口目を黒髪の顔めがけて勢いよく吐きかけた。黒髪は瓶を握ったままのの拳で、間髪いれずに金髪の頬を殴りつけた。
「おい、おれはこれでも拳では殴らんように気を付けとったんだぞ。五体満足でこの部屋から出してやろうとも考えとる。まったくたまらんな、おまえは。」そう言うと、金髪の下腹部を殴りつける振りをした。振りだけだったが、金髪はさっと体を引いた。黒髪は黙って瓶の口を金髪に押し付け、咥え直させた。そしてそのまま瓶の底を持ち上げ、瓶を最後まで空けることを強いた。金髪はむせながらそれに従った。少なくとも悪い味の酒ではなかった。
「もう一本だ。半分でいい。残りはおれがもらおう。」
二本目の白を強引に半ばほどまで飲ませると、黒髪はボトルを持ってベッドを離れた。寝室の隅に置いた一人掛けのソファに腰掛け、あり合わせのグラスにワインを注いでティーテーブルに置くと、煙草に火をつけた。
足を組み、紫煙をくゆらせた。黒髪が座るソファの一角は暗く、そこから見るとベッドだけが寝室の暗闇に浮き上がって見えた。部屋の明かりは枕もとの読書灯だけだった。その読書灯のそばに、両手首を合わせて拘束されたまま体を丸めて横たわる金髪がいた。地上に堕ち、悪魔に陵辱された大天使さながらだった。もちろん黒髪の悪魔がその高貴な純潔を踏みにじったのだ。
純潔?黒髪は脳裏に浮かんだ自分の考えの愚かさに、自分で自分を嘲らずにはいられなかった。だがレンブラントが猥画を描いたとすれば、それはそのままこの眺めの通りだっただろう。光と影。彼はゆるゆると煙を吐き、グラスの酒で唇を湿らせた。見飽きるものではなかった。
「はずしてくれ、少佐。」
金髪が呻いた。酔いがまわり始めていた。
「まだだな。」
黒髪が答えた。「おれは待っとるんだ。」
「待っている?何を?」
「さあな。」
そう言うと、黒髪は喉を鳴らして最後のワインを飲んだ。それから立ち上がってバスルームに向かった。
水音を響かせて寝室に戻り、ベッドには戻らず再びソファに腰を下ろした黒髪の悪魔を、ベッドの上の金髪は黙って見つめた。長い間みつめた。息を大きく吸い、吐いた。
「…きみって、本当に下劣なんだな。」
「おまえに言われても一向に堪えんな。」
「信じられないよ、こんな。」
「おれの言いつけを守らんかったからな。目を閉じただろう。おれの顔を見ながらいけと命令したはずだ。お仕置きを与えてやらんとな。」
金髪は少し身じろぎをした。鈍い酔いの中で、すでに尿意を覚え始めていた。黒髪は金髪の身動きを面白そうに見つめた。
「…きみのベッドを汚すよ。」
「それで金輪際おまえを追い払えるなら、安い代償だな。」
「私にはこんな仕打ち、どうってことないんだよ。もっと恥知らずな遊びはいくらもしてきたさ。」
「おまえの遊びの幅の広さに別に異議は唱えん。が、どうってことないというのは、どうかね。おれの前でおまえは平気かね?」
次の煙草に火をつけてソファに座りなおした黒髪から、金髪は目を逸らした。黒髪は平静な声で言った。
「おれにはどうもそうは思えん。」
黒髪は暗闇の中に沈んで見えた。これは尋問室だった。灯りが、尋問される被疑者の方だけを照らしていた。時間はいくらでもある。卑劣な報復の味は格別だった。
「…そんなに私が憎いかい?」
「身の程をわきまえろ。質問をするのはおれだ。」
「なんなりと、少佐。」
「何をしにおれの部屋に来た。」
「きみの魂を解放するために、だね。」
「素っ裸でか。」
黒髪は冷笑した。金髪は神妙に答えた。
「肉体に封印されたきみの魂を解放するために、私の肉体の鍵を使おうと思ったのさ。」
「要はおれと寝たかった。そういうことだな。」
「半分はそうだね。」
「残りの半分は、悪質な嫌がらせだな。おれの嫌がることをするのがそんなに楽しいか、変態。」
「残りの答えはもう言ったよ。きみの魂を解放したかった。それはまだできていないね。」
金髪のからかうような口調に、黒髪はいつも通り苛立ちをかきたてられた。
「…おまえのその口の利き方が我慢ならん。だがそれもこれで最後だ。目的は果たしたはずだな。二度とおれの前に現れるな。」
「目的にはまだかすりもしていないね。第一にきみの魂は封印されたままだ。第二に私はまだきみと寝ていない。」
「やることは済ませてやったぞ。おまえもいい目をみただろうが。まだ足らんのか。」
「…おまえのその口の利き方が我慢ならん。だがそれもこれで最後だ。目的は果たしたはずだな。二度とおれの前に現れるな。」
「目的にはまだかすりもしていないね。第一にきみの魂は封印されたままだ。第二に私はまだきみと寝ていない。」
「やることは済ませてやったぞ。おまえもいい目をみただろうが。まだ足らんのか。」
青い瞳が正面から黒髪に視線を返した。金髪は告げた。
「少佐、私はきみと愛し合いたいんだ。」
「口の減らん野郎だ。ではおれは別の方法でおまえを追い払うしかないというわけだな。いいだろう。そのままそこにいろ。」
「バスルームには行かせてくれないのかい?」
「おれの前で我慢できなくなるのは恥ずかしいか。」
「ああ、恥ずかしい。」
「そうなのか?」
「そうでもないかもね。」
「どちらだ。」
「なんなりと答えるとは言ったけど、口に出す言葉が真実かどうかは誰にも分からないね。きみも同じだろ?」
「何が言いたい。」
「胸に手を当てて自分に尋ねてごらん。きみは本当に私を追い払いたいのかな?」
「…まだまだ余裕がありそうだな。」
黒髪は足を組みなおした。しばらくの間、どちらも口を開かなかった。時計の秒針の音だけが響いた。
「おれには時間はいくらでもある。」
沈黙を破ったのは黒髪の方だった。
「少佐、私はきみと愛し合いたいんだ。」
「口の減らん野郎だ。ではおれは別の方法でおまえを追い払うしかないというわけだな。いいだろう。そのままそこにいろ。」
「バスルームには行かせてくれないのかい?」
「おれの前で我慢できなくなるのは恥ずかしいか。」
「ああ、恥ずかしい。」
「そうなのか?」
「そうでもないかもね。」
「どちらだ。」
「なんなりと答えるとは言ったけど、口に出す言葉が真実かどうかは誰にも分からないね。きみも同じだろ?」
「何が言いたい。」
「胸に手を当てて自分に尋ねてごらん。きみは本当に私を追い払いたいのかな?」
「…まだまだ余裕がありそうだな。」
黒髪は足を組みなおした。しばらくの間、どちらも口を開かなかった。時計の秒針の音だけが響いた。
「おれには時間はいくらでもある。」
沈黙を破ったのは黒髪の方だった。
「おまえには勝ち目はない。さっさと負けを認めろ。」
「負けとやらを認めたら、手首を自由にしてもらえるのかな。」
「二度とおれにかかわらんと誓えたらな。」
「口先だけの誓いでいいのかい?それとも聖書に手を置いて?」
「おまえの誓いなんぞ信用できるか。」
「だったらそんなこと言わせても無駄だね。」
「そうとも言える。だが誓うか?二度と俺の前にその顔を見せんと誓えるか?」
「その誓いは子供のころに何度も母にさせられた、『もう二度と泥棒をしません』の誓いと同じ結果になりそうだな。」
黒髪は煙草を灰皿に押し付けた。押し付けては捻じり、吸殻がばらばらにほぐれるまで力を込めても腹立ちはおさまらなかった。ついに直截な問いを押さえきれなくなった。
「強姦されるのは初めてじゃないのか?」
「正直に言うと、二度目や三度目でもないね。」
「強姦されるのは初めてじゃないのか?」
「正直に言うと、二度目や三度目でもないね。」
「全く堪えんのか、おまえには。」
「なぜ?こんなことは完全に、する側の問題であって、される側の問題じゃないよ。これは私の問題じゃない。だから、私には何の影響も及ぼさない。」
「おれの問題だといいたいわけか。どこまで厚かましいんだ、おまえ。」
「きみがなぜこんなことをしたのか、その方がずっと気になるね。まあ、受けた苦痛は別として。」
「黙れ。おれに指を突っ込まれてふんふん泣いてよがりやがったくせに。恥ずかしいとも思わんのか。」
「快楽を罪だと思ったことは生まれてこの方一度もないんだよ、私は。」
「…思ったとおりの答えだ。ではおれはこの下品な手段を使うしかないということだな。」
黒髪は最後の一本に火をつけた。吸いすぎだった。いくら吸っても心が落ち着かない。だがとにかく沈黙をやり過ごすには、今夜は煙に頼るしかなさそうだった。黒髪は注意深く煙を吸い込み、吐いた。自分の動悸が寝室に鳴り響いているような気がした。
「少佐…?」
「何だ。」
金髪は黙り込んだ。それから潤んだ目で暗闇の黒髪を見遣り、言った。
「少佐、お願いだ。バスルームに行かせてくれ。」
「だめだな。」
ついにその瞬間が訪れた。金髪は座りなおし、足で毛布をかき寄せ、その上で自分を解放した。闇にほの白く浮かび上がるベッドの上で、金髪の膝と太腿が生暖かくじっとりと濡れてゆくのが見えた。黒髪はその始まりから終わりまでをあますところなく見届けた。否、目をそらすことができなかった。金髪が視線を伏せた。黒髪は目を閉じた。咽喉がひりつき、自分の体が激しく反応しているのに気付いた。煙草を持たない方の手でそれをなだめながら、我と我が身が落ち着くのを待った。それには長い時間が必要だった。再び目を開けると、金髪はスポットライトに似た光の中で、黙りこんで俯いたまま、その豊かな巻き毛の下に顔を隠していた。何がその表情に浮かんでいるのか。怒りか羞恥か、絶望か、軽蔑か。黒髪はそれを確かめたいという欲望としばし抗い、そしてついに抗いきれなかった。煙草を消して立ち上がり、ベッドに近づいた。
「毛布の上でやったか。始末が楽でいい。さすがに慣れとるな、おまえは。」
右手で巻き毛を鷲掴みにして乱暴に仰向かせた。息が止まった。美貌が、怒りでも羞恥でも絶望でも軽蔑でもなく、ただ燦然と輝くまばゆい微笑で黒髪を誘っていた。黒髪はその輝きを正面から受けた。たったいま陵辱され貶められたはずの精神と肉体のすべてから、蠱惑的ななにかが金色の蜜のように滴り落ち、それが網の目をなしてゆらゆらと立ちのぼっていた。黒髪は瞬時にその網に絡めとられた。網の目の芯にある双の瞳が底知れぬ湖の色を湛えて、遮るもののなにひとつない距離から黒髪を湖に引きずり込もうとしていた。薔薇色の唇がひらき、白い歯がこぼれ、唇の間から甘い息とともに自分の名が滑り落ちるのを、黒髪はただ茫然と耳にした。
「クラウス…、来て、私に触れてくれ…。」
殴るか、体を翻すか、黒髪はこれまでそうしてきたように直ちにその誘惑から逃れようとした。
だがもはや逃れられなかった。
欲望がほとばしった。毛布をベッドの下に蹴り落とし、黒髪は金髪の湿った腰を抱いた。金髪は抗わなかった。黒髪は金髪の瞳に吸い込まれるままに顔を近づけ、唇を吸い、舌を差し入れて、それ以上の声と言葉を奪った。唇を合わせるのはこれが初めてだった。気が狂いそうだった。そんなふうにおれの名を呼ぶな。呼ぶな、頼む、呼ばないでくれ。ああ、いや、ちがう。ちがうんだ。呼んでくれ。おれの名を呼んでくれ。おれの名だけを呼び続けてくれ。黒髪は唇を離し、間近に金髪の青い瞳を見つめながら両手でその双腿を広げ、持ち上げ、押し入った。金髪がのけぞって、細い悲鳴を漏らした。
「…少佐、なにか使ってくれ。初めので傷ついている。少しつらいんだ。」
「黙れ。」
「少佐、頼むから…、」
「いいと言うまで、おれの名しか口にするな。」
「少佐、痛い…。」
「おれの名前は『しょうさ』、か?」
「クラウス、痛いよ、クラウス…」
「おれの名前は『痛い』か?」
「クラウス…、クラウス、クラウス…」
「そう、おれの名だけを呼べ。」
「クラウス…、クラウス、クラウス!あああっ!」
「叫べ。もっと叫べ!」
おれに近づくなといったはずだ。おれに構うな。おれに手を伸ばすな。おれに触れるな。おれをかき乱すな。おれはそう言ったはずだ。おれを呼ぶな。おれを呼べ。口に出す言葉が真実かどうかは誰にも分からない。心に浮かべる言葉さえ、それが真実かどうかは本人にすら分からない。おれを、おれを……。
「だがもう、それも終わりだ。これで、終わりだ…!」
黒髪の声が震え、絶望が滲んでいた。金髪は苦痛を堪えつつ、顔にかかる巻き毛の隙間から、自分にのしかかる黒髪の顔を確かめようとした。枕元の灯にはっきりと照らし出された黒髪の表情は醜く引き歪み、緑の双眸には紛れもない涙が浮かんでいた。涙はほどなく頬を伝った。黒髪は金髪の視線に気付き、白い喉に手をかけ、力を込めた。
* * *
なにか熱いものが体を這う感触に、伯爵は意識を取り戻した。熱いタオルで全身をくまなく清められていた。少佐は、伯爵が目を覚ましたことに気付いたが、黙ったまま世話を続けた。片方の太腿を持ち上げて裂傷を丹念に清め、調べた。金髪は目を閉じたまま微かに体をこわばらせて、相手のなすがままに任せた。少佐は立ち上がり、居間から救急箱を持って戻った。そして伯爵の体に残る傷にしかるべき手当てを施した。血をぬぐい、消毒を施し、あざと噛み跡に油を塗った。腫れた左頬に氷を包んだタオルを当て、縄の跡の残る鬱血した手首を丹念にもみほぐした。それから、たったいま自分が絞めたうなじに指先を滑らせた。伯爵はまぶたをあげて少佐を見上げた。二人の視線が交差した。
口を開いたのは少佐の方だった。
「近づくなと何度も、何度も…、おれは懇願したはずだ。」
伯爵は冴え冴えと澄み切った青い瞳で少佐を見上げた。そして言った。
「きみをそんなにも傷つけてきたことを許して欲しい、クラウス。」
少佐は目を逸らした。
「謝るのはのはおまえの方じゃない。」
「私を失うのがそんなに怖かった?」
少佐は息をのみ、口元を手のひらで覆って低いうめき声をこらえた。
伯爵は静かに続けた。「気を失う前、きみが泣きながら私を傷つけていたのを見た。私がきみにこれまでどれだけひどいことをしてきたのか、それでやっとわかった。だから、きみが壁を越えるためにこれが必要だったというなら、私は甘んじて受け入れるさ。少し…、そう、少し堪えたけどね。」
そう言うと、伯爵は少佐へ手を差し伸べた。少佐はつと体を遠ざけて、伯爵の手を避けた。伯爵は行き場を失った手を静かにベッドに戻し、少佐を見つめたまま落ち着いた声で告げた。
「ならばこれは私が受けるべき罰。きみの脆弱さに気付かなかった私の罪を、私は自分で贖うよ。もうここへはこない。」
少佐は動かなかった。ただ静かに目を閉じ、続く言葉をかろうじて絞り出した。
「…ああ、そうだな。これですべてが終わりだ。」
「それはちがうね、クラウス。」
伯爵は後ろ肘を付いて半身を起こし、上目遣いに少佐を見上げた。少佐は目を開いた。伯爵の瞳には挑発にも似た輝きが浮かび、それは厚い雲間から唐突に差した陽光のように、少佐の目を射た。伯爵は瞳を輝かせ、確信をこめて告げた。
「今度はきみの番なんだよ。きみが自分で乗り越えておいで。きみ自身の意思と決意で私のベッドに忍んできたら、そのとき私は、体も心もきみのものだ。」
少佐はあっけにとられた。小癪な泥棒は、急速にそのしたたかさを取り戻しつつあった。
「決心がついたらおいで。きみの意思で、わたしのベッドへ。」
そして鮮やかに微笑みさえ、した。
「きみにその勇気がないなら、私の心はきみにやらない。」
伯爵はそう高らかに言い放つと、不自由な左肘をかばいながら身支度を始めた。凍りついたように動けないままの少佐に、伯爵は流し目をくれて命じた。「着せてくれ。左腕が動かないんだ。」
黒髪はゆっくりとその命令に従った。金髪は薔薇色の微笑をしのびやかにもらしつつ、黒髪に身支度を手伝わせて優雅な昼間の姿に戻った。そして背後に一瞥もくれないまま、足音も立てずに黒髪の寝室を後にした。ほんの僅かなぎこちなさに昨夜の出来事の名残をにじませつつ、その傷ついた肉体の挙措ですらやはり猫科の獣のように滑らかだった。寝室には金髪の、薔薇ではない本物の肉体の香りだけが残った。馴染み深く、そしてもはや厭わしくなくただ慕わしく、否、狂おしく恋しいその香り。黒髪は身動きひとつできなかった。まるで蜘蛛の網に全身をくまなく絡めとられたかのように。
蜘蛛の網にかかった獲物はどちらだったのだだろうか? …だがおそらく双方が、それは自分だと主張するに違いない。
END
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このお話の数週間か数ヵ月後に、ロマデラ版「エロイカより愛をこめて」イラスト集58Pの、あの絵のシーンになるわけです。ロマデラをお持ちで無い方へ。この絵です。
ttp://www.animepaper.net/art/151106/from-eroica-with-love
蜘蛛の網にかかった獲物はどちらだったのだだろうか? …だがおそらく双方が、それは自分だと主張するに違いない。
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このお話の数週間か数ヵ月後に、ロマデラ版「エロイカより愛をこめて」イラスト集58Pの、あの絵のシーンになるわけです。ロマデラをお持ちで無い方へ。この絵です。
ttp://www.animepaper.net/art/151106/from-eroica-with-love
はじめてコメント申し上げます。
返信削除一週間ほど前こちらのサイト様を発見してから、それはもう日常生活が手につかず、夜毎(家人が寝てからv)震える手でマウスを繰りひとつずつ扉を開いては、「生きててよかった!」と闇に咆哮する日々をくり返し、やっとのコメントと相成りました次第です。
タイトルから、「あなたに抱かれて私は蝶になる~あなたの腕優しい蜘蛛の糸~♪」などと軽薄な懐メロを口ずさみつつ扉を開き、打ちのめされました。
酷い。
もう2人とも酷すぎる(涙)。
とくに伯爵の最後の一言が神のように美しく魔王の如く残酷非道で、ショックでした。
まるで雷鳴のような轟きに、自分も少佐と一緒に崩壊しそうでした。
こんなこと言われたら少佐白髪になっちゃいますよ・・でもネ、神は乗り越えられない壁はお与えにならないと言うからネ、と心の中で少佐を慰めようとして、マグナムでマシンガンのように撃たれたりも致しました。
高貴と下賎と神聖と野卑が大理石のように入り混じる様は・・やはり美しいとしか表現できません。
素晴らしいです(涙の川)。
こんな美しい物語を久しぶりに拝見しました、感謝してもしきれません、ありがとうございます。
じつは少し前まで私もクラドリでジミに稚拙な文を綴っておりましたが、時間的に管理が難しくなったり、諸般の理由で閉じてしまってから寂しい思いをしておりました。
思いがけず当時交流のあった方数名のお名前をこちらのコメント欄に発見して嬉しい限りです、こんな素敵なサイト様で再会できたのもYAOIの神のお導きかと。
IDとハンネを間違えてkuradoriと(そのまんまや)名乗っていました、ハンネの方は融(ゆう)と申します。
これから入り浸らせて頂くかと存じますが何卒お許し下さいませ、季節柄お身体お大切に、更新を全力で楽しみにお待ちしております。
コメントありがとうございました!
返信削除これといい、「昼と夜とすべてと」といい、書いた本人が気に入ってるものほど受けはよろしくないようなので、やっぱり本人のお下劣さと凶暴な性格が出てるやつはいかんなーと思ってたところです。
旧知の方々の再会の場になったのはうれしい限りです。
またご訪問くださいませ。