このサイトでは、「エロイカより愛をこめて(From Eroica with Love)」を題材とした、英語での厖大な二次創作群を翻訳しています。サイト管理者には原作者の著作権を侵害する意図は全く無く、またこのサイトにより金銭的な利益を享受するものでもありません。私が享受するのは、Guilty Pleasure - 疚しい楽しみ-だけです。「エ ロイカより愛をこめて」は青池保子氏による漫画作品であり、著作権は青池氏に帰属します。私たちファンはおのおのが、登場人物たちが自分のものだったらいいなと夢想 していますが、残念ながらそうではありません。ただ美しい夢をお借りしているのみです。

2012/06/25

Peripeteia 03 - by Sylvia





By the Pen - Peripeteia
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スー プ、サラダそれからデザートが、ダイニングホール両脇の長いビュッフェテーブルの上に恭しく用意された。しかし、だがメインディッシュがまだだった。それ からもちろん、飲み物は頻繁に補充されねばならなお。さらに使用済みの皿とグラスを遅滞無く持ち去り、新しいものを追加する。

婚 礼客の最後のメンバーが自分の分を平らげてしまった頃に、別の早い客たちは次のスープや小さなケーキやパイにとりかかっていた。可愛らしいサイズのチョコ レートムースもあった。ウェイター!トマトのカクテルがもうないってどういうこと?それから、十分前に頼んだワインはどうなってるの?

泥棒から足を洗って正業につくとすれば、選択肢のリストの最後の職業がウェイターだろう。

て んてこ舞いの状況がようやくましになり、一人ぐらい欠けてもすぐには困らない状況まで落ち着いたときに彼はこっそり抜け出して、もうすぐロンドンの自分の 寝室に架け替えられる運命である、あの絵をもう一度じっくり眺めるために、絵画をおいた部屋へ忍び込んだ。どの位置にかけるかはまだ決めていなかった。暖 炉の上か、それとも東側の窓の間か。絵が手元に到着したら、しばらくそれに夢中になることはわかりきっていた。

ド リアンは、ティリアンと同時代に生きてみたたかったなと考えた。悲惨な衛生状態や快適な生活の基本的な欠如はとりあえず置くことにして。その人物に関して の言い伝えには事欠かなかった。彼は悪辣な暴君で、粗野的で執念深く、野心に満ちた快楽主義者でもあり、衝動的な性格ではあるがカリスマ性を持ち、躊躇や 限界などといったものを全く持ち合わせない人物だった。その人物について調べることは興味深くもあり、数世紀も離れた現在という安全な高みからしか知るこ とのできない歯がゆさもあった。そしてドリアンは全くのところ、彼と同時代に生き、肩を並べてみたかったとしみじみ思わざるを得なかったのである。

お めでたい考えだね。彼は自分で自分を笑った。火遊びばかりして、大やけどをする危険さをいつまでたっても学ばない。それにきっとティリアンは私を焼き尽く すよ。ティリアンは近づくものすべてを焼き尽くす個性だったに違いない。彼の目にとまるすべての者たちを。だがドリアンはその種の魅力には抗えないほう だった。無情であり無謀である、恐れ知らずなきらめき。もちろんそれらすべてが、あの人を魅了してやまない美しい表情とともにある。そして肖像画家はその きらめきを完全にキャンバスに閉じ込めていた。ドリアンはそれをその絵の表情から、余すところなく見て取ることができた。

ああ、呪うべきほどの魅力をたたえた、かの絵よ。

彼は空想に夢中になるあまり、その部屋に忍び込む前に周囲を注意深くい観察するのを怠った。基本的な注意事項だな。嘲るような声がした。その声は、軽蔑を隠そうとしないときの少佐の声にそっくりだった。

彼は凍りついたまま動けなかった。変装がばれたかと考えた。

クラウスの表情に表れた鋭い疑いの表情はすぐに消え、無関心な表情に戻った。頭と肩が柱の陰に消えた。薄い漂う煙草の煙が、彼がそこにいることを証明していた。

「紫 を着る男」をゆっくり鑑賞するどころではなかった。「紫を着る男」の子孫をじっくり眺めるどころでもなかった。だが、クラウスはどの絵を眺めていたのだろ う?きっと見るべき価値のある絵に違いない。少佐のお気に入りなのかもしれない。だとすれば、ついでにそちらも頂いてしまうという手もある。

ふー ん、わりと最近の作だな。ドリアンはあっさり鑑定した。彼にはその能力があった。一人の女性が緋色の乗馬服を着て、銀で縁取りのある、羽根のついた赤い小 さな四角い帽子をかぶり、マホガニーの木の芸術的なまでにねじれた枝に浅く腰掛けていた。背景の右側のほとんどの部分を占めている馬は、野生の目と血の色 の鼻腔を持つ漆黒の巨大なけだものだった。背景の左部分は田園風景で、遠くにエーベルバッハ城が聳えていた。

そ の絵の水準は、平均かやや上といったところだった。女性はまあ美しいといえたが、なぜか気鬱に満ちた表情だった。それは退屈や傲慢や満たされない欲望、そ して悲痛といったものからきているのかもしれない。画家の技術がドリアンが鑑定したよりもずっと劣っているのでない限り、その女性は多分なにか難しい問題 を抱えていたに違いない。

ドリアンは少佐を覗き見するという危険を冒してみた。少佐がこちらを見ていないことが判った。彼はまた黙ってその絵に視線を戻していた。柱に背を預けて足を足首の辺りで軽く組み、ゆるく握った手に煙草を持って、これまで見たこともないほど気だるげな様子に見えた。

「こちらの女性はどなたなんでしょう?」ドリアンはドイツ語に細心の注意を払いながら尋ねてみた。答えが知りたいというよりは、好奇心に負けての発言だった。

少佐の応えにドリアンは驚いた。「クラウディア・ヘンリエッテ・フォン・デム・エーベルバッハだ。」

「つまり、お母上でいらっしゃる?」しまったと思うまもなく、その言葉が口から飛び出した。ドリアンは首をすくめた。猛烈に怒鳴られるに違いない。

「そうだ。」ドリアンの最愛の男は静かに答えた。「おれの母親だ。」

彼 らは黙ってその絵を見つめた。クラウスの母についてドリアンが知っていることといえば、彼女がクラウスがほんの幼少の頃に亡くなったということだけだっ た。この絵を見る限り、彼女が幸福な人生を送ったとは言い難いようだった。エーベルバッハの一族の者は、みななんらかの意味で生きにくい事情を抱えている ように見えた。人生を単純に楽しむすべを心得ているものはいないようだった。

そう、だからこれから学べばいい。

ドリアンは、クラウディア・ヘンリエッテが息子に彼女の面影を残していないか盗み見してみたが、何一つ見当たらなかった。驚くには当たらない。彼ははっきりと父親似であるのだから。

「それでだ、」少佐はしばしの沈黙の後に再び口を開いた。「なにを探しとる?銀の食器でも盗むつもりか。もっと価値のあるものが狙いか?」

もちろん、もっとずっと価値のあるものを狙ってるさ。生まれたままの姿のきみ。わたしのベッドで。わたしの腕の中で。わたしの名を叫びながら・・・・わたしのものになることをね。

「なんですって!」ドリアンは怒ったふりをして声を荒げた。「わたしがここに来たのは、あなたがどこかで具合でも悪くなさっていないか探すようにと、ある女性の方に頼まれたからなんですよ!それを、ひとを泥棒扱いなさるなんて!'わたしは自分の職務を全うしているだけなのに!」

少佐は柱から背を離して真っ直ぐに立ち、青い顔を装ったドリアンに向き直っていつもどおりの冷たい目つきで訊ねた。

「ほう、そうかね。どの女性だ?」

ドリアンはさっき見た花嫁の友人の外観を述べたが、彼の愛するエメラルドの目の中の疑いが少しでも解けたようには見えなかった。ディテールに満ちた説明にもかかわらず、少佐は明らかに信用していなかった。だがそれでも、少佐はほとんど興味を示さないままに使用人の言い訳を聞くだけ聞いていた。

ドリアンは、特大の青あざを付けられた自分が薄暗い地下室に放り込まれるところを想像した。

「ついて来い。」少佐はとうとう聞くのをやめ、窓際に置いてあった灰皿に煙草を押し付けた。そしてドリアンのそばを通り過ぎながら声をかけた。使用人なら命令に従うのが当然といった態度だった。なんらかの理由で、この使用人は少佐のファイルの中で「面倒ではあるが、たいした害の無い軽犯罪者」の項目に分類されたようだった。ドリアンはもちろん躊躇無しに少佐の後を追った。

「喜んで。」ドリアンは口の中でこっそりと呟いた。後姿の長い足に見とれていた。「どんなチャンスでも逃さないからね、わたしは!」

タキシードは体によくあった誂えだった。クラウスの正装は、この先数ヶ月間のドリアンのエロティックな夢の中に幾度となく登場するに違いない素晴らしさだった。だが欠点もあった。それは体を隠しすぎていた。特に、ドリアンが一番知りたいと願うあの箇所を。

たどりついたドアの前でドリアンが少佐の両脚および臀部の目視検査を渋々中断すると、彼はいつものように不信げに細められた鋭い眼光を浴びていることにふと気づいた。

見るな。考えることも許さん。この腐った変態が! ドリアンは胸の中でそう暗唱してみた。

少佐は深く息を吸い、それをゆっくりと吐き出す前に不満めいた立腹の息を鋭く吐いた。が、何も言わなかった。それから彼はドリアンを先に立たせ、階段を降り始めた。







<続く>

2012/06/18

Peripeteia 02 - by Sylvia






By the Pen - Peripeteia
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結婚式だって!ドリアンは結婚式が大好きだった。誰もが一張羅の宝石を身に着けてくる。こんな機会なんだから、エメラルドがルビーとぶつかって傷がつくなんてのは気にしない。いとこのエセルはダイアモンドのティアラをつけてくるかもしれない。それから乾杯の渦。衣装の見せびらかし合い。空になることののないシャンパングラス…。人々の渦。今日だけの親友たち。親族もそうでない者たちも、古い友人もそうでないものも、同僚も隣人も知人もそれから泥棒も…

素晴らしい。全く素晴らしい。

今回は特にそうだ。 婚礼がアンナ・ユリアーネ・ツー・ヘルフォーシュヴァイラーとアントン・ヴァルドキルヒ・フォン・デム・エーベルバッハの披露宴であるときたならば。アントンは、あのそそるほど魅力的なくせに一分の隙も見せない小癪な少佐の従兄弟だった。そしてこの婚礼はエーベルバッハ本家の屋敷で挙行されるのだ。そう、あの『紫を着る男』を所蔵するあの城で。それはエーベルバッハ家の祖先の一人であるティリアンの肖像画で、その絵のティリアンは彼自身の末裔である短気で凶暴な子孫と、驚くほど似た顔立ちをしていた。

さあそしてなお一層素晴らしいのはこのことだ。これだけの数の招待客を格式通りのやり方でもてなそうと考えるならば、やはりそれなりの数の使用人を雇い入れねばなるまい。この好機に乗じないなんてね!

という訳で、臨時のウェイター兼雑用係として潜り込むことはドリアンにとっては児戯に等しいものだったのである。ドイツ語にはやや難があるかもしれなかったが、大きな問題ではない。問題はむしろ彼の目立ちすぎる容姿だけではなく、何をやらせてもそつなく出来すぎることのほうにあった。見破られないだろうかと冷や冷やしたが、エーベルバッハ家の老執事はかつらを付けたドリアンの正体には気づかなかった。

そしてまた、執事は特に何らかの技能も必要としない仕事をドリアンに割り当てた。彼は鍵の降りたドアを何枚も通り抜けて、エーベルバッハ家の祖先たちの肖像画が並ぶ部屋へドリアンを連れてきた。その絵もそこにあった。『紫を着る男』。現実の人間よりも大きく、そして生身の少佐と同じほどに美しい絵だった。

ドリアンは肖像画の表面を注意深く見つめ、それが安物の贋作ではないことを確かめた。いや、本物だ。みたところ、エーベルバッハ家では模写を壁に展示した上でオリジナルを銀行に保管しておくという習慣はないように見えた。ドリアンにとってはなんとも残念なことだった。

絵画の額は盗難防止装置に直結しており、装置はもちろん稼働中だった。盗難防止装置のメインユニットは地下室にあった。ドリアンはワインセラーからワインを取ってくるよう命じられた際に、すでに装置を確認していた。地下は入り組んだ狭い通路と閉所恐怖症の発作を起こしそうな狭い部屋の羅列で迷路をなしており、リースリングとバーガンディを取りに行かされた使用人が戻ってくるまで多少余分な時間を食ったとしても、誰も訝しく思うものはなかった。

盗難防止装置を外すには大した手間はかかりそうになかったし、すでに食料配達用のトラックに部下たちを乗り込ませていた。機さえ熟せば、絵画を成功裏に屋敷から運び去るだけのことだった。それまでにあと数時間…。クラウスの先祖代々の居城を探検する完璧な機会だった。ここでどんな幼年期を送ったのか?もしかすると本人を一度か二度ちらっとのぞき見するチャンスがあるかもしれない。クラウスが招待客全員に目を光らせ、全員がパーティを楽しんでいるかどうか確認するのに最善を尽くしている隙に。

全くもって、少佐は何に対しても不機嫌な男だった。もしこれほど抵抗できないまでに完全な魅力を備えた男でなかったら、私だって…


ドリアンとて好き好んでクラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐に恋に落ちたわけではなかった。この恋がその後何年にもわたる渇望と苦痛を自分にもたらすと初めからわかっていたら、ドリアンはクラウスとの最初の火花の散らしあいの後に素早く逃げ出して、さっさと別の男に身を任せてしまっていたかもしれない。

とはいえ、これほど魅力的な誰かさんの私生活を、なんとかして覗き見したいという欲望には抵抗できそうにもないというのも真実だった。その魅力が他のすべての思惑を押さえつけた。

彼は礼儀知らずで悪辣で残酷で、あらゆる意味で難攻不落だった。彼の部下たちは常に死の恐怖と隣り合わせに過ごしていた。彼は会うたびにドリアンを侮辱し、実際に殴りつけた。それ以上近づくなと拒絶し、悪罵を投げつけ、軽蔑と嫌悪をあらわにした。そしてドリアンはそのすべてを享受するために、幾度と無くクラウスのもとに戻った。

なぜ? そう・・・、理由のひとつに、少佐が男性美を完全に具象化した存在だったということがあげられた。彼の一挙一動に釘付けになることは、ドリアンの目には喜びであり拷問でもあった。その滑らかな筋肉の優美さ、無意識に品のある挙措。だがそれだけではなかった。それ以上の何かがあった。それはなんなのか?

あと2時間かそこら、ウェイターとしての仕事に戻るために厨房への通路をたどりながら、ドリアンはしばらくこのことについて考えをめぐらせた。このことを考えだのはこれまでにも何度かあった。そしてそのいずれも、納得のいく答えを見つけられないままでいるのだった。

ひとつ言えるのは、少佐は合理的な思考を持つ有能な男だったが、そういうタイプによくあるように無味乾燥した退屈な男ではないということがある。彼は恐れ知らずであり、大胆で勇敢だった。ある種の熱情家で、はっきりとした果断さを持ち合わせていた。いったん彼のような男をものにしたならば、彼らは永遠を誓うに違いない。心と肉体の双方において。自分でも奇妙に思えることだが、ドリアンにとってエーベルバッハ少佐はそういう関係を築き上げることを想い描いた初めての男だった。少佐か、それ以外の男かなどという選択はなかった。この種の男に妥協などありえない。だが彼をその気にさせたり、ベッドに引き入れたりできるとは、ドリアンにはどうしても考えられなかった。

もちろんドリアンは、ベッドでのことだけを過大に重要視するほどほど浅はかではなかった。それは言うまでもない。

そのことをはっきりと意識しつつも、それでもなおドリアンはひそかに胸の中でそのことを考えてみることがあった。少佐のような男は、ベッドでどう振舞うのか・・・。考えると口の中が乾いた。

決断力、完全主義、爆発力を秘めたエネルギー、それらすべてがドリアンの気を狂わせ、欲望を解放させる目的へとゆるぎな焦点を定めたそのとき。彼は躊躇から始めるかもしれない。ひょっとするとほんの少し不器用かもしれない。そして彼自身の経験の無さと羞恥にどぎまぎするのかもしれない・・・。だがドリアンなら教えてやれるだろう。どう触れるのか、そしてどう楽しむのか・・・

「こら、おまえ!Faulpelz!  どこをうろついてたんだ!さっさとこれを客間へ持っていけ。寄り道せずに帰って来い、空のグラスも忘れるなよ!」

妄想はシャンパンのフルート・グラスをいっぱいに載せた巨大なトレーが腕に押し付けられた瞬間に終わった。Faulpelzってなんだろ?ドイツ語のレッスンでは本当に使える言葉は全然教えてくれなかったな。知りたくてうずうずする。それから考え直した。知らないほうがいいのかも。

押し付けられたトレーのバランスを取りながら、エーベルバッハ家の使用人に何かを言い返そうとしたが、その男ははすでに別の気の毒なウェイターを怒鳴りつけようとしているところだった。ドリアンは鼻を鳴らし、重くて持ちにくいトレーを持って客間へ向かった。他の臨時に雇い入れられた使用人たちとは違って、ドリアンは城の内部に精通していた。間取りは頭の中に叩き込んであった。

いや、ちがうな。彼は再び思った。私はクラウス・フォン・デム・エーベルバッハの肉体だけが欲しいわけじゃない。もちろんそれも魅力的だけどね。彼の身体はこれまでみたどの男のものよりも素晴らしい・・・。ドリアンは時折、クラウスに襲い掛かったり服を引きずり下ろしたりしそうになる自分を止めるのに苦労することがあった。彼を見たい、触りたい、舌で味わいたい・・・。彼は二度ほど、それを試してみたことがあったが、悲しむべきことにどちらも見事に失敗していた。特に、舌で味わうという目的においては完敗だった。

彼は小娘よりも身持ちが硬かった。そしてあらゆる防御の方法を知っていた。なんと歯がゆいことだろうか。


ド リアンがクラウスを渇望していたことは疑いようもない真実であったが、だが彼の望みは単にそれだけではなかった。彼は時折、例えば少佐が誰も自分を見てい ないと考えているときや、もしくは少佐が自分自身にすら注意を払っていないときなどに、普段は鋼鉄のように厳しくドリアンを切り裂く緑の瞳の中に、なにか の火花がきらめくのを見ることがあった。そしてそれはドリアンにさらなる望みを抱かせた。それがどれほど身の程知らずな望みに聞こえるかよくわかってい た。彼の想い人は、鉄のクラウスの二の名で知られた。もしくは人の形をした鋼鉄の戦車。だが彼は知っていた。彼の少佐は孤独であり、不幸であり、無力です らある、ただ愛を渇望する存在であるということを。

ド リアンには、自分が少佐の孤独を癒すことができるとわかっていた。彼を幸福へ導き、満ち足りた感情を教えてやれる。少佐の人生にたった今欠けているものす べてを、伯爵なら与えてやれることができた。彼がその見返りに望むものは、少佐における美を共有すること。それは対等な取引以上のものになるように思われ た。なぜなら伯爵には、少佐受け取るものすべてを享受し尽くすだろうという確信があったからである。この頑固な野生馬が美しい目を見開き、真の意味でドリ アンが差し出すものに目を向けさえすれば!

ド リアンは当初、その日は遠からずやってくると見積もっていた。ドリアンの魅力に逆らえたものはこれまでいなかったからだ。彼は今までにも、異性愛者である と公言する男たちへも標的を定めてきた。相手の自覚などには無頓着だった。結局のところ、彼らはみなドリアンのベッドに体を横たえた。そして喜んで快楽を むさぼった。

それらの過去はすべて、彼が少佐に出会う前の話だった。少佐は、両腕を広げて待つ伯爵に恐るべき抵抗力で抗った。この男はいかなる性衝動も持ち合わせていないのかもしれない。

思考の行き着いた先の衝撃に、ドリアンは微かに震えた。なんて想像だ。クラウスがもしそうなら、なんという壮大な浪費だろう。

ド リアンは、想い人か視線を引き剥がし、大広間へ戻った。広間は人でごった返していて、どの招待客もみな思い思いに着飾り、ありったけの宝飾品を身につけて いた。シャンパンを招待客に配っていたときに、そのジュエリーのいくつかがドリアンの目にとまった。だがそのいずれも現在の標的も魅力には程遠かった。 『紫を着る男』を手にいれるチャンスを目の前にして、余計な危険をおびき寄せるのは賢明なやり方ではない。あの太った未亡人の真珠とダイアモンドのチョー カーや、花嫁の耳に揺れるドリアンは大粒のエメラルドにも、そんな価値はない。

ただ・・・、ドリアンはエメラルドのイヤリングをもう一度間近でよく眺め、心惹かれた。めったにない大粒で、珍しいほど緑色の濃い、しかし曇りひとつない石だった。カットも上出来だ。もしかすると、また別の機会にね。

「クラウス!」花嫁が大声で呼ぶ声がドリアンの耳に直接入り、ドリアンはあやうく持っていたトレーを取り落としそうになった。クラウスが顎をあげて、巌のようにいかめしい表情で大広間に入ってくるところだった。

少佐は人ごみをかき分けて、招待客の社交辞令としての挨拶を、あっさりとやりすごしながらこちらへ進んできた。彼はタキシードに着替えていて、その様子は・・・

素晴らしい。

さっ と目を逸らし、だれでもいい他の誰かに視線を逸らせようとして、ドリアンは再びシャンペンを落としそうになった。もう一瞬でも長く少佐を見ていたら、公衆 の面前で少佐を誘惑しにかかりたいという欲望を抑えられそうになかった。そして想い人は当然、彼に激怒する。ああ、なんてことだ。少佐の立ち姿かここまで そそるとは。しかも服を着たままで。

「アンナ、」ドリアンの想い人は、滑らかな低い声で花嫁に話しかけた。「おめでとう。」

「ありがとう、クラウス。私、アントンと一緒にきっと幸せになるわ。かれったら素敵なの!あなたとなら、きっとうまくいかなかったわよね?」

なんだって!

「きみはおれには過ぎた女性だったさ。」クラウスは応えた。その返答の驚くべき内容を、冷静すぎる口調がやや裏切っていた。「アントンは果報者だな。きみたちふたりの幸せを祈る。」

なんてことだ。彼はいまとんでもない努力を払っているに違いない。きっとそうだ。

「ドレスがよく似合っている。今夜のきみはとても綺麗だ。」

ドリアンの頭の中は真っ白になった。なんとか我を取り戻し、トレーを少し高く掲げた。飲み物を招待客たちに配り、空のグラスを集めながら、視界の隅でアンナに目をやった。彼女は微笑んでおり、社交と礼儀作法方面における少佐の前代未聞の努力に、さしたる感銘を受けたようにも見えなかった。


「失敬。」

ああ。

アンナの顔に失望の陰がちらりと差した。それはよく訓練された社交的な表情の裏にすぐに隠されてし まったが、ド リアンはくすりとせずにはいられなかった。ドリアンの愛しい男はさっと踵をひるがえし、その場には一瞥もくれずに去っていた。彼は、招待客たちへの失礼にならない程度の挨拶を必要最低限の時間で済ませようとしていた。

「おや、あらあら。」低い女性の声が背後から聞こえた。

「やっぱりそうだったわね。」アンナはごく平静な声で答えた。「何もかもが思い通りに行くわけじゃないしね。もっと早くあなたに紹介してあげればよかったわね。でもよっぽどうまく近づかないと、あなた凍傷にかかっちゃうわよ。」

『私だけの』少佐にけしからん欲望を抱いたこのあばずれを絞め殺してやりたいという衝動を抑えるために、伯爵は急いで新婦とその友人から離れた。ゆっくりと足を向けた方角に少佐がいたのは全くの偶然だった。誓ってもいい。

ひっきりなしに煙草を吸う少佐を見つけたときには、トレーの上は空っぽのグラスでほとんどいっぱいだった。少佐は、なにやらげらげら笑いっぱなしの灰色の髪の年配の男性につかまっていた。ラクダみたいな笑い声だった。ラクダの鳴き声など聞いたことはなかったが。

少佐はドリアンのほうに目を遣らないまま片手を伸ばし、新しいグラスをさっと取り上げて一気にあおった。それからほとんど即座に次のグラスを取り上げた。ド リアンは跳びあがりそうになった。もう一杯を所望されたらどうしよう。ああ、でもこの場所からなら彼のうなじの後れ毛が見える。さっき髪をかきあげたとき に見えたんだ。

だが彼はともかくその場所を離れた。そのままそこにいれば、クラウス・フォン・デム・エーベルバッハ少佐のうなじの後れ毛に鼻をうずめ、素敵な首筋に噛み付いてしまいそうだったから。
 
 
 


<続く>

2012/06/11

Peripeteia 01 - by Sylvia




By the Pen - Peripeteia
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注意:ティリアン、ドリアン、クラウス、クラウスの父、エーベルバッハ家の執事、その他のエロイカ関連の登場人物はすべて青池保子氏の財産です。私が彼らに加えた加工は、彼女の責によるものではありません。その他の人物は存在しません。また、エーベルバッハ市は実在しますが、私は独自にそれを脚色しており、歴史等にも改変を加えています。


前書:発表前に校正を引き受けてくれた読者たちに感謝します。Theresa, Ruth S., Masae そして Lisaは私を激励し、エロイカ世界に関する詳細を確認する手助けをしてくれました。この物語は彼らによって、より素晴らしい物語になったのです。


Peripeteiaとは、事態の激変をあらわす用語。ドラマの流れが悲劇へと舵を切り、カタストロフへと向かうその瞬間を指す。






Peripeteia
by Sylvia






厚い雲に遮られた日没の中、エーベルバッハ一族の居城が暗い影を従えて聳え立っていた。城は比較的近世の建築だった。11世紀に建造された本来の城郭は、エーベルバッハの血統に割り込んだ悪名高いティリアン・パーシモンによって16世紀には完全に取り壊されていた。新しい城郭の建設が始まる前にそのティリアンが爆破された自艦と運命をともにしたという一報を受けても、新しく縁戚となったエーベルバッハ一族には嘆くものは一人もいなかったと伝えられる。


ティリアンは悪辣にも、財宝を部下や船と一緒に沈めることを選んだ。エーベルバッハ一族はかつての権勢と栄光を取り戻すために、あらゆる手段を頼らざるを得なかった。彼らは収奪し、没収し、差し押さえることで、一族の財産を再び築き上げようとした。それには二世紀以上にわたる期間が必要だった。そしてついに現れた当主が気取り屋ウォルター・フォン・デム・エーベルバッハである。彼は同時代の親族たちからは不当なまでに鼻つまみ者の扱いを受けていたが、口舌滑らかな廷臣の常として財富の蓄積に長け、虚飾の城の再建に成功した。彼は体裁を重んじる男であったが、目的のためなら裕福な商人の娘を娶ることすら是とした。妻を人目につかぬ場所に押し込めておけばよいのだった。こうして、エーベルバッハの栄誉ある家系は引き継がれた。誇るべき壮麗さで。


エーベルバッハの血統はそれ以後も以前も、収奪者であり略奪者である子々孫々を輩出し続けた。末裔たちには無慈悲な犯罪者、残忍な専制者、とめどなく無節操な快楽主義者、もしくは野放図な豪傑たち・・・、ありとあらゆる者たちがいた。そして今日、数世紀にわたる栄枯を経て、一族はさらに成長し、繁栄していた。


その子孫たちのうち、本家の血筋の最も若いひとりが車を駆り、華麗に照らし出された城の主館の窓を凝視していた。城郭は、無節操な享楽主義者であるウォルターが、妻のリゼル、エリザベータ・フォン・デム・エーベルバッハの父である成金の香辛料商人、ユップ・ミュラーの援助下に再建したものとしては、趣味のわるくない造りだった。ウォルターは犯罪者ではなかったが、虚言に長け、裏切りと収奪と殺人についてもなんの躊躇もなしにやすやすと実行することができた。節操を持ち合わせていないわけでもなかったが、冷酷さと残酷さととを見る限りは良心とやらをを放棄したものとしか思えなかった。


その歳若い末裔は、血筋の過去は差し置いて彼自身の義務と正義の感覚に奉仕していた。だが時折、自分の意思は祖先たちに枷をはめられ、束縛されているのだと感じることがあった。その思いが静脈の中を駆け巡るとき、血液の中で抑えようも無く荒れ狂うときなどには、彼は常に血脈の過去を想い起こした。


どのくらいそこに座っていたのだろう。彼自身の家系に関するさまざまな歴史の断片が、その若い男のの胸中を漠然と浮遊していた。太陽はすでに城の東塔の背後に沈んでいた。城の敷地内に入ったときには、すでに黄昏だったのだだろうとクラウスは思った。


割れるような頭痛を覚えた。


数日前、二重、もしかすると三重スパイかもしれない所属不明のエージェントとの小競り合いの際に、クラウスは固いレンガの壁に側頭部を叩きつけられていた。だがこの頭痛がそのせいだとは彼は思わなかった。


婚礼。クラウスは婚礼を忌み嫌っていた。


車はすでに屋敷の車寄せに到着していた。さっき敷地の正門が開く音を聞いたような気がしたが、気に留めていなかった。自分が周囲の状況へのしかるべき注意を怠っていたということに気づき、クラウスはややたじろいだ。無益な物思いを振り捨て、すばやく煙草をもみ消して車の外に出た。スーツケースを手にして屋敷の入り口に向かったとき、次の車が到着が背後に聞こえた。


クラウスは振り返らなかった。誰であろうがかまわなかったし、誰とも顔をあわせたくなかった。くだくだしい挨拶が面倒だった。


正面玄関への階段を上がりきったところで、執事がドアを開けた。いつもと同様に落ち着いて冷静な出迎えだった。(窓からおれの到着を確認しとったな、執事め。)クラウスは執事の顔を見てそう考えた。


「ご主人様。」執事は微かに高揚した声を出した。「ご主人様と男爵さまを同時にお迎えできるとは、なんと光栄なのでしょう。さあ、お父上もお喜びです。」


クラウスは明らかな嘘に反応してやるのはやめにして、恒例の苦行の場にそのまま赴くことにした。「フン。」返答の代わりに、無愛想に鼻を鳴らすだけにとどめた。


見覚えのない若い娘が執事の脇から現われ、鄭重に礼をしてクラウスからスーツケースを受け取った。ブリーフケースに手を伸ばした瞬間のクラウスの反応に、彼女は怯えて後ずさった。クラウスはその娘が17歳前後で身長が167センチ、やや小太りだが目立つほどでもなく、髪を暗い臙脂に染めているが本来はくすんだ茶色であろうことを一瞥で観察した。瞳はグレーで、コンタクトレンズは色つきのものではなかった。鼻は小さめで尖っており、変装でこう作るのは不可能に近いだろう。


素性の知れない娘、おそらくは今日のために一時的に雇い入れた学生だろうが、彼女は執事から叱責するような視線を浴び、自分がどういう失敗をしでかしたのか分からずにまごついておいた。あきらかにに、預かるべき荷物とそれ以外の貴重品の区別をつけられないでいるだけだった。


クラウスはやや気の毒な気分になり、彼女にブリーフケースを渡してやった。娘はそのせいでスーツケースを倒し、狼狽のあまり半泣きになった。クラウスは娘と唖然とする執事を押しのけ、歩きながらコートを脱ぐとそれを執事に手渡して屋敷に入った。


ブリーフケースには白紙と鉛筆と煙草以外には何も入れていなかった。鉛筆の先はよく尖らせてあり、最悪の場合には自衛の武器として使える。親族と使用人とその他の野次馬どもが右往左往する屋敷に、機密書類を持ち帰る気はそもそもなかった。それに、屋敷には屋敷の面倒がいくらでもある。


例えば屋敷で彼を待つこの人物など。


「おまえはまだ髪をそんなみっともなく伸ばしておるのか。」テオドア・ウォルター・フォン・デム・エーベルバッハ男爵の声が大広間の向こうから届いた。男爵の口調は低かったが、ドアから階段の下までくっきり通る声だった。親しい友人以外の相手には、男爵は常にその口調を使った。紛れもない命令口調であり厳密この上なくまた冷酷な、我が指示への返答は服従でしかありえないという鋼鉄の確信に満ちた声だった。


クラウスは鼻に苛立たしいむずがゆさを覚え、上唇がゆがむのを感じた。これほどまでにはっきりとした本能的な反射に、クラウス本人ですら驚いた。彼はとっさに頬の内側をかみ締めて、自分でも説明できないほどに不合理な激怒を抑えた。血の味がした。「この男は俺を支配する権限を持っている。」彼は自分に言い聞かせた。「これはおれの父親だ。この屋敷の主人だ。反抗してはならない。それがどうしても必要という場合以外は。」


「今のままで特に差支えを感じません。」感情を押さえつけることに成功し、クラウスはそう応えた。


男爵であり、エーベルバッハ家の当主でもある男が、寄木細工の床にはめ込まれた紋章を横切ってクラウスに近づいた。挙措の隅々にまで、誇り高い家系の血筋と尊厳が顕れていた。銀髪が朝の光を受けた霜のように混じり気なく白かった。いくつも誂えた上品で趣味のいいデザイナー・タキシードのうちの一着を、今日もやすやすと着こなしていた。クラウスはもう長い間、そういった姿の父親しか見たことがなかった。そのため、父親にとっては軍服以外ではそれがもっとも自然な服装のように思えた。


男爵は彼の目の前で足を止め、しばらく間をおいた。クラウスは父親が手を差し出すか、自分の肩をたたくかするのだろうかと考えた。だがそのようなことは起こるはずもなく、クラウスは手を後ろで握り締めて軍隊式の「休め」の姿勢のまま、まっすぐに立っていた。


父親は、クラウスの頭のてっぺんからつま先までをじろじろと眺めた。唇は不満げに引き結ばれていた。今日は何が父親の不興をかっているのかクラウスには見当もつかなかったが、確定できない事実に心を悩ませるのは愚かなことだという結論を、彼はとうの昔に導き出していた。この父なら、息子に対する不満をいくらでも数え上げそうだった。ほとんど数限りなく。取るに足りない些細な点や、なにか不適当な行為、ごくまれにクラウスの何かが父親の要求する水準を満たしていなかった場合、クラウスから身体的な攻撃を受けたという同級生やその保護者からの抗議、割れた窓ガラス。それから一度などは、とうとう隠し切れずに見つかってしまった拾い猫の件・・・。そう、父親は不満の理由には事欠かなかった。


父親の習慣的な非難になんらかの返答をしようとする努力はもうとうにやめており、老エーベルバッハの冷たい凝視に萎縮していた頃に自分が何を感じていたのかは、今となってはほとんど思い出せなかった。そもそもクラウスは萎縮などする性質ではなく、本当の意味で卑屈さなどを感じたことは金輪際無かった。それは彼の父親が彼に認める、数少ない美点のひとつだったかもしれない。


「ほとんどの客人は昨夜か今朝のうちに到着しておる。」クラウスの父はとうとう口を開いた。「エーベルバッハ家の息子はどこだと嫌になるほど尋ねられたぞ。」


「国際情勢が一族の私的な会合に優先されるべきことは、お分かりいただけるかと思いますが。」クラウスは平静な声で答えた。


「わかっとるだろうが、アントンはお前より若い。」


命令口調はいまやはっきりと非難の口調になっていた。クラウスはまっすぐに立ち、あごを引くように努力した。必要がない限り、反抗的な態度を見せてはならない。


「存じております。」クラウスは冷ややかな返答を返した。ひょっとすると黙っていたほうがよかったのかもしれない。沈黙のほうがまだ、同じ意味の返答をましに伝えられたのかもしれなかった。


「ヴォン・ターニス伯爵夫人に返事をしておいたぞ。おまえは明日、夫人の娘たちを連れてエーベルバッハの街を案内してくるがよい。」


クラウスは無表情を保つよう努力した。以前にも同様のことを命じられた折に、彼はそのその知性に欠けた娘たちをひどく怖がらせたことがあった。だが彼女たちは夫候補者よりもさらに自分の母親を恐れており、クラウスとの結婚をお膳立てしようとする無慈悲な試みに逆らう勇気がないようだった。クラウスは母親を威嚇しようと試み、無様に失敗した。彼女のその仕立ての良いドレスには防弾処理が施してあり。その中には秘密兵器でも隠してあるかのようだった。共産主義者ですら脅しに屈して結婚するか、季節がめぐる前にシベリアへ逃げ出しすかもしれない。


「了解したしました、父上。」クラウスは歯を食いしばった。


「さっさと部屋へ行ってもう少しまともなものに着替えて来い。こんなに遅れおって。」


クラウスは賢明にも頭を下げるだけにとどめ、その場を去る父を見送った。それから緩やかに曲がる階段を一直線に駆け上り、速度を落とさないままに廊下を通り抜けて自室へ入った。クラウスはいつもこの速度で邸内を歩いた。走行よりはやや遅い速度が必須なのは、廊下を走ることは許されていないためだった。そして通常の歩行よりは素早いのは、敏捷さに欠ける動きもまた叱責の対象であるゆえに。


どこかで今すぐ自分を必要とするような国際紛争が勃発しないものか・・・、クラウスは絶望的に祈った。


「勇気を持て。」聞きなれた声が彼自身の内部から響いた。氷と鉄の壁とめぐらせろ。抵抗することに逆説的な歓喜を見い出せ。戦うと決めたならば最後まで戦い、決して敗北を認めるな。




 


<続く>

2012/06/04

What Goes Around - by Anne-Li



What Goes Around
by Anne-Li
Anne-Li's Slash Page - What Goes Around




概要: ドリアンはとうとう自分の暗い衝動に屈した。彼は、クラウスを得るためなら命も惜しくないと考えた。いや、彼は本当にそう考えたのか?
ノート: CassieIngabenへ捧げる。物語の最後のノートもご覧ください。






What Goes Around - 報い


怒張しきった陰茎を自分に押し込みながら、ドリアンは尻をがくがくと震わせた。それから、まばらで柔らかい陰毛を叩きつけた。彼の下にいる男の腰、力強く引き締まったその腰が持ち上がり、息を合わせ、ぴったりと隙間なく動きをあわせてきた。なんという素晴らしさ。なんという熱さ。なんという完璧さ!自分の内側からの圧力が高まるのを感じ、ドリアンは半狂乱で腰を使い続けた。爆発しそうだ・・・あと・・・もう幾突きかで!

片方の手で自分自身を弾いた。もっともっと刺激を。なお貪欲に。握り締めた。絞り上げた。引いた。引いた。引いた。自分を突き上げる機を十分に図った。この瞬間を愛していた。そして憎んでいた。

もう一方の手で自分の体を撫で回した。その手はあちこちでしばし止まった。特に敏感な幾つかの場所で。乳首。臍。睾丸。喉。その手は時には後ろにも回った。自分を引き裂こうとしている男の剣に触れるために。または、その下の睾丸を構うために。

彼はなるべく目を閉じておこうとした。だが自制できない瞬間があった。目を開けずにはいられなかった。

目の前の光景に抵抗できないことはわかっていた。それはクラウス。全裸の。力強い肉体に汗がしたたり、まるで油を塗ったように鈍く光っている。筋肉が緊張によじれている。首がのけぞっている。クラウスは双方と闘っている。彼をベッドに縛り付ける太い縄と、焦らされきったまま与えられない、快楽からの解放と。

そう、抵抗できないことはわかっていた。ついに。とうとう。自分にこれほどの忍耐があるとは思いもよらなかったほど長い時間の後に、ドリアンははとうとう堕ちた。ルシファーのごとく、かつて光の使者でありその後天国からの堕ちた、堕天使のごとく。後戻りできないほどの堕落。紛れもない堕落。破壊的な堕落。

緑の眼が、ドリアンが生まれてはじめて見るような極度の嫌悪にぎらつきながら彼を見上げた。クラウスが彼を見た。まぶたが快楽のあまり半ば閉じられた瞬間でさえ、形のいい唇が声のない叫びを絞り出した瞬間でさえ、目の前の肉体が小刻みに震え、彼の下にあるその腰がドリアンの手をはねのけるほどに激しく突きあがったときでさえ、胸があえぎ、喉がむき出しに反らされた瞬間でさえ、その眼は嫌悪を浮かべていた。

射精の瞬間、ドリアン自身の叫びが小部屋の中に響いた。だが周囲の建物は無人だった。注意深くそう取り計らったのだ。二人は激しく喘いだ。クラウスの呪詛が止んだのちには、ドリアンの喘ぎだけが残った。クラウスは最初の絶頂を迎えるまで呪詛を吐き続けていた。呪詛はまだ心地良かった。少なくともその後の氷のような沈黙よりは。

強情なイノシシだね。ドリアンは愛情をこめてそう思った。クラウスの肉体を震わせた絶頂は、ドリアンから与えられる快感との闘いに、彼がついに敗北したことを証明していた。ほんの数度、クラウスの唇が開いた。ドリアンはそこから漏れるうめき声を渇望した。だが、彼の口もとは再びきつく引きしぼられ、そこから何も聞くことは出来なかった。

息遣いが戻るまでドリアンは馬乗りになったままでいた。やがて汗が冷えた。体を横たえて愛する男に体を寄せ、肉体の温かみを感じた。すぐそばにある頭がゆっくりと向きを変えてこちらを見た。その男は、瞬きひとつせずに彼を見つめた。その目はもはや快楽に惑わされておらず、しかも、いくばくなりとも打ちのめされてすらいなかった。そこにはただ明示的な嫌悪のみがあった。ドリアンは、いたたまれなさのあまり体を起こした。どのみち横たわっていても居心地は良くなかったのだ。彼が枕にした腕はには粗い縄目の縄が掛けられていて、それはざらついた肌触りだった。

そこで彼は起き上がった。繋がっていた場所が痛んだ。暴力的な交わりの名残は、だがなお甘いとさえ言えた。彼は窓に近づき、空に濃い紫の陰を見て取った。夜明けが近かった。もうあと一時間か二時間そこいらのうちに、少佐の部下たちは朝食の場に姿を見せない上司を不審に思うに違いなかった。多くの場合、彼らの上司は朝食のテーブルにつき、コーヒーを飲んでいる最初の人物である。部下たちは恐る恐る上司の部屋を訪れるだろう。電話中なのだろうか。それとももしかすると、何事かが起こったのかもしれない・・・。その何事かの方ならば、彼らは即座に探索を開始するはずだ。だからといってこの場所をすぐに探し当てられるとも思えないが。この場所とドリアンを結びつけるものはなにもなかった。だが部下たちとて、彼らの上司ほどではないにせよ執念深いはずだ。諦めずに捜索を続けるに違いない。だがそれがどうしたというのだ。ドリアンはすでに自分自身と取引をしていた。いや、取引相手はもしかすると悪魔だったのかもしれない。それが、取引の対象である目の前の男のあずかり知らぬ取引であったにせよ。

六時間がたっていた。夜更けが明け方になっていた。もしかするともう少し長くかかったかもしれない。誘拐し、ここへ運び込む途中で寄り道はしなかった。何度かキスを盗んだだけだ。クラウスは意識を失っていたのだから、わざわざ言い立てるほどのこでもない。だが六時間。もう六時間がたっていた。

彼は物思いから覚めた。そして服を身に着け始めた。この日を迎えるための衣装は、心臓から噴きこぼれる血のごとく紅い、ゆるやかな絹のシャツ。今日という日に全くふさわしい。

寝室には十分な大きさの鏡があった。暗い悦びの間、ドリアンは繋がったふたつの肉体がその鏡に映し出されるのに目を奪われていたのだ。彼は今その鏡の前に立ち、丁寧に髪を整えた。巻毛があるべき曲線を取り戻し、頬と肩を美しく覆うように。それから彼は深く息を吸った。肌の上にたゆたう性の匂いに、なお酔いしれていた。そしてそれからようやく、運命から顔を背けないだけの準備ができた。ベッドに近づき、まだ体を強張らせたままの人影に向き直った。

クラウスの、精緻な彫刻じみた上半身がゆっくりと動いた。息は落ち着いていたが、眼には感情が荒れ狂っていた。それを除けば、やはり彫像のようだった。美しい彫像、「麗人の緊縛」。その彫像の名をドリアンが付けるとすれば、そういう名になるのかもしれなかった。ドリアンはベッドの一角に腰を下ろし、横たわる男の腕に指を滑らせた。温かみを帯びた筋肉が強張るのが判った。

クラウスの衣類は椅子の上に置かれていた。クラウスが眼を覚ます前に、ドリアンが注意深くおりたたんでそこに置いたのだった。テーブルに置かれていたのはマグナムだった。彼は銃取り上げ、優しく、この上なく優しく、銃身を両の手のひらで包み込むように取り扱った。銃はそのように持つものではない。ドリアンとてそのぐらいは知っていた。でも、クラウスは決して銃の取り扱い方を教えてはくれないだろうな、ドリアンはそう考えた。たとえ次に会うことがあったとしても。

銃を持つと不思議と心が落ち着いた。彼はグリップを握った。それはクラウスの指と掌そのままの形だった。すべての角が、日々の酷使と、汗と血と、機械油とで磨かれ、丸められていた。二人の掌はほぼ同じ大きさだったから、特注のグリップはドリアンの手の中にも難なく納まった。それは、・・・ぴったりであるとすら言えた。ドリアンはほとんど微笑みそうになった。なんと馬鹿げた皮肉。だが微笑みはこぼれなかった。馬鹿げてはいるが、笑うべきことでもない。

彼はもう一度クラウスに向き直った。クラウスの眼には、なにか別の感情が浮かび始めたように見えた。嫌悪とない交ぜになった何か。推測?懸念?まさかドリアンが自分に致死的な危害を与えとでも?ドリアンはクラウスにそれだけはないと請け負ってやりたくなった。だがそんな諍いは始めたくなかった。少なくとも今は。ドリアンにとってのクラウスの最後の声を、唇からこぼれた密やかな快感の喘ぎのままにしておきたかった。鉄のクラウスの喉の奥から、あんなものが漏れたとは。

彼は銃身から手を離し、銃を握った。ゆっくりと、愛撫するように銃口を自分の喉もとに当て、その冷たさが肌をなぶる感覚を味わった。それから銃口に唇を寄せた。微かな、ほんの微かな機械油の匂いが鼻腔をくすぐった。それは心地よくもなければ不愉快でもない匂いだった。ただそこにある匂い。その匂いを、彼はクラウスの掌に嗅いだことがあった。それはクラウスの個性に似つかわしかった。くらくらするような取り合わせだった。全く。

彼は唇を開き、ゆっくりと銃身を呑み込んだ。だが銃を包む油の味はその匂いとはちがい、我慢できるものではなかった。そこで彼は別の方法をとることにした。銃身の直径はこめかみにぴったりだった。それは誂えたように、もともとそこにあるべきものであったかのように、その場所にすんなりと収まった。



   引き金を引いた瞬間、壁に血が飛び散るだろう

   シャツの上にも

   それから脳漿と

   そしてわたしは死ぬ

   この世を去る

   存在しなくなる

   心から笑うこともない

   日没に見惚れることもない

   新しい美術品に目を奪われることもない

   恋人に触れることもない

   盗むこともない

   なにもない なにもなくなる 永遠に




彼の手が震え始めた。決意がぐらついた。 呼吸が早まり息苦しくなるのを、遥か彼方で起こっていることのように感じた。



   もはや息をしない

   なにもない

   二度と

   決して

   再び



腕が震え始め、腸がよじれるように痛んだ。



   だめだ



その思いがはっきりとした意識に至る前に、突然現れた蜘蛛を払い落とすような仕草で彼はただ本能的に銃を押しのけた。クラウスのマグナム銃は、硬い金属質の響きを立てて床へ落ちた。暴発はしなかった。幸いなことに。

「ばかものが!なにをやっとるんだ!死んで何をどうするつもりなんだ!とっととこの縄を切らんか!この腐れ外道の英国人めが!」

まるで魂が抜けたかのように、ドリアンはふらふらとベッドへ向かった。クラウスはうなり声を上げ続けていた。彼の眼が激怒に燃えたぎっていた。この夜の始まりのときと同じように。この世界から切り離されたような感覚のまま、ドリアンはこの部屋へ持ち込んだ荷物の中からナイフを取り出した。それはもともと、縄を使いやすい長さに切るために使ったものだった。それを使い、今の彼は捕虜を解放するために縄を切った。

右腕が自由になるなりクラウスはナイフを奪い取り、自分で左腕の縄を切り始めた。

ドリアンは自分が嗚咽しているのに気づいた。いったいいつから?彼はクラウスの動きを見つめた。だが盛り上がった涙がとうとう頬に落ちるまで、涙でそれはぼんやりと霞んでいた。

「今すぐ泣きやめ!赤ん坊か何かのつもりか?やめろといったやめろ!」

クラウスは激怒していた。当然だろう。彼にはその理由がある。ドリアンにはもちろんわかっていた。彼は涙をぬぐい、はっきりとした視界にクラウスをとらえた。殴られるのか?それとももっと単純に、ただ殺されるのか?

素早い身のこなしで衣服を身に着けながら、クラウスは目を逸らした。だがドリアンはクラウスを見つめた。逆回しのストリップティーズを見るように。クラウスはネクタイをしめ、肩にホルスターを掛けた。ホルスターは空のままだった。それからクラウスは身をかがめて銃を拾い上げ、丹念に目視した。何度も繰り返し確認し、それから顔を上げてドリアンの顔に視線をあてたまま、銃身を両手で撫で回した。それは銃を愛撫しているような手つきでもあり、ただ単に銃身の埃を払っているような手つきでもあった。

「おれを手に入れるためなら死んでもかまわないと言ったな。」クラウスは言った。不似合いなほどの大声だった。いや、激しく熱狂的な、あるいは突き刺すような鋭さを持った声だった。よく聞こえるようにというよりは、ドリアンの全身に浴びせかけるように放った言葉だった。「だが結局のところ、おまえは引き金を引かなかった。」

ドリアンは絶望的に肩を落とした。この感情をどう伝えられるか、思いつかなかった。そう、引き金を引かなかった。だからといって、それがクラウスには命と引き換えにするほどの価値が無かったということを意味するわけではない。ただ、ドリアンには相応の支払いができなかったというだけなのだ。

「おまえはやはり盗人だ。それ以上の何者でもない。」クラウスは半歩進み、身をかがめて言った。「ばかものが。もしおまえが本当に命を引き換えにしていれば、自分の言葉の意味を真摯に捉え、おまえという惨めな存在をそのために投げ出していたならば、おれは受け入れていただろう。」彼は体を元に戻し、後ろに下がった。「引き金を引いていれば、・・・おれは今おまえに口付けていた。」

彼はもう一歩下がった。そしてマグナムを取り上げ、シャツの柔らかな布地に落ちた涙のしみを指差すかのように、ドリアンの胸に照準を合わせた。ドリアンがついさきほど唇を寄せた銃口が、今は黒々と近寄りがたく彼に向けられていた。それは彼に死をもたらそうとしているのだ。クラウスの凝視は銃口と完全に同歩をとっていたが、まるではっきりと見たくないとでもいうように、標的から斜めに目を逸らせていた。

「バン!」クラウスは口に出した。ドリアンは、クラウスの指が引き金を絞るのを見た。撃鉄が落ちるのを聞いた。聞こえたと感じた。くぐもった銃声を聞き、はじけるような火花を見た。・・・だが、血は流れず、死もまた彼を覆わなかった。

ドリアンは自分の胸に目を落とした。何が起こったのかわからなかった。クラウスが、はずした?まさか、そんなはずがない。

クラウスは鼻を鳴らした。「おれが弾薬を銃に装填したまま、うかうか貴様に誘拐されたとまともに思っとったのか?銃を持った貴様がどれだけ無能が、このおれが知った上で?おまえにおれの銃なんぞ触らせたら、どうなるかわかったもんではない。」

ドリアンはゆっくりと体を起こした。その言葉の意味を捉えるまでにはなお時間が必要だった。

だが彼がその意味をはっきりと理解する前に、クラウスがもう一度ドリアンに一歩近づき、優しいと形容してよいほどの柔らかさで頬に触れた。

激しい感情を秘めた緑の双眸が彼を射た。その凝視の深さに、自分の魂そのものすらその冷たい深みに映り込んでいるのかもしれないとドリアンは感じた。

そしてこのとき、クラウスが最後に口を開いたその時、その声は低くしわがれていた。真摯な、誠実な響きだった。「おまえがすべてを台無しにした。二度目のチャンスは無い。次に会うときは空の薬莢ではないからだ。その日、おまえは死ぬ。」

彼はドリアンの頬を打った。ただ一度きり。そしてマグナムをホルスターに納め、椅子の背にかかっていたジャケットを掴みあげて肩に掛けると、その部屋を立ち去った。



THE END






作者からのノート: 私は暗い話をめったに書かないのですが、下読みのたびに貴重な意見をくれる友人のために、特別にこれを書いてみました。興味深い経験になりました。

訳者からのノート: 作者ご本人のサイトとAO3ではついている作者コメントが違うのですが、ここではAO3の方を訳しました。絵的な脳内再現は一巻の繊細な二人が適当かと思われます。