このサイトでは、「エロイカより愛をこめて(From Eroica with Love)」を題材とした、英語での厖大な二次創作群を翻訳しています。サイト管理者には原作者の著作権を侵害する意図は全く無く、またこのサイトにより金銭的な利益を享受するものでもありません。私が享受するのは、Guilty Pleasure - 疚しい楽しみ-だけです。「エ ロイカより愛をこめて」は青池保子氏による漫画作品であり、著作権は青池氏に帰属します。私たちファンはおのおのが、登場人物たちが自分のものだったらいいなと夢想 していますが、残念ながらそうではありません。ただ美しい夢をお借りしているのみです。

2011/10/12

断片02 私のマルス

ミッション:「とにかく伯爵を幸せにしてあげよう!」そのに 
(断片01と対になっています。01からお読みください。)




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全く、このトーヘンボクときたら私を何だと思ってるんだろうか。


もう数ヶ月も、指一本触らせてくれなかった。私は飢えていた。きみに。なのにきみときたら白々しい顔つきで、いつもどおりの強面を崩さない。そっちがそうくるならこっちも少しじらしてやろうと考えて、食事に誘った。ちゃんとした夕食を、時間をかけて楽しんだ。それからきみの部屋に戻り、慎み深く別々にシャワーを使った。私は苛立っていた。きみは氷のように冷たい。毒でも盛ってやろうかという気分のまま、毒のかわりに毒舌を吐いた。


そしたらこれだ。向こうに行って座ってしまった。グラスをひとつだけ出して、自分だけ飲み始めた。

「口答えが気に入らないって言われてもね。きみの言いつけをなんでも聞く、ものわかりのいい金髪くんでいるのかい?この私が?」



私は意地悪く笑ってやった。きみの妄想は知ってるよ。きみに夢中でめろめろの可愛い私がいて、きみの目配せひとつで口を閉じたり脚を開いたりしてるんだろ。そんなお遊びにそうそう毎回付き合ってやれるもんか。私はきみが欲しいんだ。きみをめちゃくちゃにしてやりたいんだ。


「それってまんま、Z君じゃないか。きみはZ君に気があるのかな?」

「ばばば、ばっかもんが!けしからんことを言うな!」

うろたえぶりに引っかかった。なにこれ。なんだこれ。気に入らないね。きみ、とうとう本格的に目覚めたってわけ?


「うろたえすぎだよ。でもほんとはああいう清純なタイプが好きなんだろ。」

「黙らんか!」


「彼の方はどうなんだろ。きみが誘ったら断らないとおもうけどな。」


濡れた毛先をくるくる弄びながら、私はじっくり考えた。Z君がきみに夢中なのはみえみえだけど、あの朴訥そうな子から誘うなんて、ありえるかな。きみは誘われたらのるんだろうか?もちろん私ならのっちゃうけどね!あんなおいしそうなチーズケーキはめったにないよ。まずは食事かドライブに連れ出しておしゃべりして、少し酔わせて気分をほぐしてあげたところで部屋に招き入れて、緊張している顎をそっととらえてこちらを向かせて引き寄せて…

「部下にそんなことが出来るか!ちがうちがうちがう!部下でなくともあいつに手なんか出さん!」


きみ、ちょっと必死で否定しすぎじゃないかい?  疑念が私を邪悪にした。油断させたところで奇襲して、反応を見てやろうか。懸念が杞憂にとどまらないのなら、このままボンに家を買って移り住むことにする。ジェイムズ君は無駄遣いだと金切り声を上げるだろうが、背に腹は換えられない。とりあえず先にZ君を攻略しなきゃ。


「ふうん。とすると、きみはZ君には手を出さない。だったら私がZ君みたいないい子ちゃんになっても無駄ってもんだよ。だってなんにもしてくれないんだろ。私は私の路線で、正々堂々とこっちから手を出すさ。さあ、脱ぎたまえ。さっき履き替えたきみの下着がグレーなのはもう調べ済みだ。もったいぶらなくてもいいよ。」

少佐は複雑な表情で私を見上げた。ふん。朴念仁の振りをしたって無駄さ。部下に慕われて鼻の下を伸ばしているおっさん上司のくせに。


「脱ぐか脱がないのかどっちだい。今夜やっとかないと、また数ヶ月先までお預けだよ。今度の任務は長そうなんだろ?」

「…くそっ!」

「私が手伝ってあげるさ…、ほら…。」


おとなしくしてな。私が心も体もとろかしてやるから。きみの弱いところはみんなわかってるよ。ほら、ここだろ?それからここ。こんなところも…

「私が触れただけでこんなになってる。きみのも、それから私のも…。」

そう、きみをこんなにしたのは私だよ。いまさらよその誰かにつまみ食いなんかさせないよ。きみのつまみ食いも許さないからね。

「きみが私を気に入らないだなんてうそだよ。」

もちろん知ってるさ。プライドが邪魔して言えないだけだろ。だから私が言ってやる。

「きみは私に夢中だよね。私もそうだよ。だから、ずっと待っていたんだよ。」

ここ。まちがいなくここ。きみが一番弱いのはここ。前を握ったまま、後ろに指を入れてくいくい動かしてやった。物理的な快感だけじゃなくて、きみは精神的に落ちちゃうんだよね。このおれが、鉄のクラウスがこんな、こんな…って。そんな瞬間の君が好きさ。さあ、きみが一番無防備な瞬間に聞いてやる。喉元に匕首を突きつけるように。きみはどう反応するかな?

「ああ、でもね、きみがZ君に気がないってのは信じてないから。Z君から誘ってきたらきみ、多分断れないよね。」

………豪腕でぶっとばされた。

「痛っ!なにするんだよ!」

「なんでこんなときに他の男の話を出すんだおまえは!おれはおまえのそういうところが気に入らんのだ!」


やっぱりだ!大当たりだ!図星なんだ!私は唖然とした。こんなにさっさと別の男に目が行くようになるなんて、私の教育がよすぎたのだろうか?しかし痛い。

「こういう会話はベッドの上のスパイスだろ!きみは『ほかの男なんか目に入らん。おれにはおまえだだけだ。』とかなんとかかんとか言っときゃいいんだよ!殴ることはないじゃないか、野蛮人!」

「なーにが『おまえだけ』だ。おまえはおれだけなのか?え?言って見ろ!」

息が止まった。嫉妬してるのは知ってたけれど、そしてそれをちろちろと楽しんではいたけど、この誇り高い
先祖代々の職業軍人が、それを口に出して聞いてくるとは思ってもみなかった。それってきみが単なる潔癖症だからかい?それとも、きみのその頑丈なプライドを凌駕するほど、私のことを独り占めにしたい気が強いのかい?だったら私は、私は…


そこへ爆弾が降ってきた。

「こんどZが誘ってきたらおれは断らん。こっちから手を出してみてもいい。おまえがいろいろやりかたを教えてくれたしな。」

「言ったね、きみ。…ってちょっとまって、今度って!今度って!」

ええええええええええー!Zくん!私はきみを見損なっていたよ!そんなに積極的だったなんてなんてことだ。見た目どおりの純情一途じゃなかったとは…。ああっ、この方面のエキスパートのはずの私が、こんな初歩的な判断ミスを冒すなんて。今すぐボンの不動産屋に駆け込まなくては!

「数ヶ月に一度の逢瀬が毎回これだ。おれは可愛い部下と出来上がって、公私ともどもに幸せな生活を送った方がいいのかも知れん。おまえもよそで相手に困らんようだしな。」

「…きみがいつかそういうことを言い出すと思っていたよ。」

このイノシシ坊やときたら本当に油断がならない。私を怒らせたね。美術品のこと以外できみが私を怒らせたね。そうはいかないよ。きみを誰にも渡すもんか。きみを私のものにするのに、いったい何年待ったと思っているんだい?千の小細工と万の甘言を弄してなお、びくともしなかった鉄壁の防御のきみが、死の淵から這い上がるような任務の後に唐突に私を抱き寄せたあの日のことを、忘れられると思っているのかい?グリーングレーの瞳が私への欲望に燃えていた。きみを誰にも渡すもんか。鋼鉄の鎧を身に纏った、私の軍神マルス。

いきなり素早く組み伏せられた。諜報の世界で訓練を受けた軍人の、機敏で無駄のない動き。私は逆らわなかった。もう一度痛い目にあわされるのかなと、少しだけ胸が震えた。痛みさえ、甘い。君が私に与えるすべては。私の顔にかかる髪をゆっくりとはらいのけながら、あの日と同じ緑のまなざしが近づいてきた。私は唇を開き、甘い舌を受け入れた。
 


夜が始まった。
 
 

2011/10/11

断片01 おれのアポロン

 
 
やまなしおちなしいみなしです。私なりのミッションは、「とにかく伯爵を幸せにしてあげよう!」


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「口答えが気に入らないって言われてもね。きみの言いつけをなんでも聞く、ものわかりのいい金髪くんでいるのかい?この私が?それってまんま、Z君じゃないか!」伯爵はくすくす笑った。「きみはZ君に気があるのかな?」

「ばばば、ばっかもんが!けしからんことを言うな!」

数ヶ月ぶりの夜だというのにこの会話だ。夕飯はこいつに付き合って熱いものをたらふく食った。風呂はさっさと済ませた。酒の買い置きはまだある。飲むなら飲む、やるならやる、夜の過ごし方は他にいくらでもあるだろうが。なんだっていつもこんな憎たらしいことばかり言いやがるんだ?

「うろたえすぎだよ。でもほんとはああいう清純なタイプが好きなんだろ。」

「黙らんか!」

「彼の方はどうなんだろ。きみが誘ったら断らないとおもうけどな。」

金髪は巻き毛を指でもてあそびながら、髪を絡めた指を唇に寄せた。やつがよくやる仕草だ。おれは時折それを横目で盗み見る。今も見た。洗い上りの巻き毛はまだしっとりと湿っていて、いつもよりも鈍い金色に見えた。

「部下にそんなことが出来るか!ちがうちがうちがう!部下でなくともあいつに手なんか出さん!」

「ふうん。とすると、きみはZ君には手を出さない。だったら私がZ君みたいないい子ちゃんになっても無駄ってもんだよ。だってなんにもしてくれないんだろ。私は私の路線で、正々堂々とこっちから手を出すさ。さあ、脱ぎたまえ。さっき履き替えたきみの下着がグレーなのはもう調べ済みだ。もったいぶらなくてもいいよ。」

「…。」

「脱ぐか脱がないのかどっちだい。今夜やっとかないと、また数ヶ月先までお預けだよ。今度の任務は長そうなんだろ?」

「…くそっ!」

「私が手伝ってあげるさ…、ほら…。」

「…。」

「私が触れただけでこんなになってる。きみのも、それから私のも…。」

「…。」

「きみが私を気に入らないだなんてうそだよ。」

「…。」

「きみは私に夢中だよね。私もそうだよ。だから、ずっと待っていたんだよ。」

「…。」

「ああ、でもね、きみがZ君に気がないってのは信じてないから。Z君から誘ってきたらきみ、多分断れないよね。」

考える間もなく右手が動いた。

「痛っ!なにするんだよ!」

もう我慢がならなかった。

「なんでこんなときに他の男の話を出すんだおまえは!おれはおまえのそういうところが気に入らんのだ!」

「こういう会話はベッドの上のスパイスだろ!きみは『ほかの男なんか目に入らん。おれにはおまえだだけだ。』とかなんとかかんとか言っときゃいいんだよ!殴ることはないじゃないか、野蛮人!」

「なーにが『おまえだけ』だ。おまえはおれだけなのか?え?言って見ろ!」

目の前の金髪がぐっと返事に詰まった。ほれみろ。はらわたが煮えくり返った。こいつに身持ちなんぞを求めるのは間違いだ。なんでおれだけ馬鹿正直に貞操を守ってやらんとならんのだ。

だから爆弾を落としてやった。

「こんどZが誘ってきたらおれは断らん。こっちから手を出してみてもいい。おまえがいろいろやりかたを教えてくれたしな。」

「言ったね、きみ。…ってちょっとまって、今度って!今度って!」

「数ヶ月に一度の逢瀬が毎回これだ。おれは可愛い部下と出来上がって、公私ともどもに幸せな生活を送った方がいいのかも知れん。おまえもよそで相手に困らんようだしな。」

「…きみがいつかそういうことを言い出すと思っていたよ。」

巻き毛は本気で怒り始めていた。瞳が輝き、巻き毛が逆立った。こいつがおれを怒らせるのは簡単だが、おれがこいつを怒らせるのは難しい。おれはこいつの怒った顔が好きだ。おれをたらしこもうと意味ありげに見つめる瞳や、いろいろと癪にに触る流し目よりもずっと好きだ。露助がおれをナチス呼ばわりした時に、巻き毛が間髪入れずに食らわせた平手をおれは忘れない。引き締めた唇の上で、瞳がきらきらと輝いていた。おれのアポロン。

おれは素早く動いてエロイカを制圧した。おれのような訓練を受けた者には、たやすいことだった。おれの体の下で、巻き毛は目をぱちくりさせておれを見上げた。彫りの深い顔にかかる金髪をゆっくりと払いのけて、おれは巻き毛に口付けた。巻き毛はうっとりと唇を開いた。おれは舌を差し入れた。


夜が始まった。




2011/10/07

巴里の一夜(下)・少佐



註:「巴里の一夜(上)・サバーハ」「巴里の一夜(中)・伯爵」の続きです。サバーハは単なる脇役の当て馬で、名前さえ出ません。すんごい割りくってんの。かわいそ。





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先天性欲情魔が。あほうめが。痴れ者が。くそったれが。馬鹿者が。くるくる巻き毛のうすらばかが。学習能力のない脳たりんが。くそったれが。蝶々頭の風船野郎が。脳みその軽すぎる考え無しが。隣近所の犬にも劣るやつが。犬並みに相手構わずさかってやがる。場所構わずの慢性露出狂が。こんなところで男をくわえ込みやがって。くそったれが。変態が。尻軽が。

思いつく限りの悪態を脳裏にぶちまけても、個室のドアを開ける手が動かなかった。

入り口近くの個室で、物音と慌しい衣擦れの音がした。黒髪が自分の名を呼ばせようとしていた。金髪は答えなかった。湿った音が続いた。おれは総毛だった。金髪は、自分はここでは無理だと言ったが、黒髪は容赦なくぴちゃぴちゃと舌を使う音で返答した。静けさの中、その音だけが響いた。おれはもうこれ以上耐えられない。ドアを開けようとした瞬間、金髪が深く密やかなため息をついた。間違いなく、やつは感じていた。おれは目を閉じて壁にもたれかかった。

してみるとおれの血は冷たくはなかったのか。

他人の気配を感じ取ったのだろう。金髪が息を止めた。沈黙が降りた。湿った音が止み、黒髪が立ち上がる気配があった。

「声を出す気がないのなら、後ろを向いて前に手を付け。尻を上げろ。」

低い、嫌な響きの声だった。何かに激怒していた。おれの知る巻き毛の風船野郎は、おれの知らないところでこういう相手と体を合わせているのか。おれの知る誇り高い泥棒貴族は、おれの知らないところでこんな下卑た陵辱を求めているのか。命じられたとおりの格好で貫かれ、求められるままに今からその男の名を叫ぶのか。叫びながら、自分も絶頂を迎えるのか。おれは頭を振った。ドアを開けてここを立ち去らねばならなかった。

だがそのとき、何事もないかのように落ち着き払った、からかうような響きのゆったりした声が返った。「ゆうべも言ったと思うけど、私は無理強いは好きじゃないんだ。するのも、されるのもね。」

間髪いれずに、乱暴なぶつかり合いの音が続いた。どちらかが壁に押し付けられたようだった。どちらが?あのほっそりした方に決まっている。あいつは瞬発力はあるが腕力はない。砂漠の決闘のときも、あんな軽い剣を両手で扱いかねていた。あのときはおれが加勢した。あのときは。今は・・・

「おまえは誰の言うことならおとなしく言うことを聞くのだ?あのドイツ人か?」

「ドイツ人?」

「クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハだ。おまえの大事な男だ。」

金髪が息をのんだ気配があった。物音が続いた。せわしない衣擦れの音、足踏みの音。誰かが壁に押し付けられる物音。爪が壁を掻く。ベルトが床に落ち、金具がカチカチ鳴った。素肌が素肌に当たってたてる、ぴしゃりという音。そして切羽詰ったような、黒髪の男の荒い息遣い。

「君は何かを誤解しているようだが、私と少佐はそういう関係じゃない。」

「嘘をつくな!」

「きみ、そういうのが好みなのかい?私が誰かのもので、その誰かから盗み食いをしているっていう趣向なのかな?きみの好みを正直に言ってごらん。きみの感じる設定に合わせて言葉を紡いであげよう。ただ…、彼の名を出すことだけはやめてくれないかな。でないと私は続けられなくなってしまう。」

金髪の声はあいかわらず落ち着き払っていたが、からかうような響きは消え、語尾がかそけく気弱に響いた。黒髪はその破綻を聞き逃さず、ぞっとするような低い声で、金髪に念を押した。

「やはりあのドイツ人はおまえにとって特別なのだな?」

「…悪いね。きみのファンタジーがそこにあるなら、私は付き合ってはあげられない。放してくれたまえ。」

「放せと言うのか?ここまで来て?こんなになっているのに?」

男が無理に腰を進める。伯爵の悲鳴が聞こえる。おれはドアを開けてやつらの個室に向かう。おれはドアを蹴破る。安物のポルノのように下卑た、扇情的な光景がおれの目を射る。狭い個室のなかで、後ろから貫かれてのけぞっている伯爵がいる。おれの劣情がおれの無意識の奥底からえぐり出される。おれは二人を引き剥がそうとするが、どうしたわけだか足が一歩も前に出ない・・・

伯爵の叫びのかわりに男のうめき声がして、我に返った。じっとりと汗をかいていた。ばたばたと軽い物音の後に、高慢ちきな英国上流階級のアクセントが続いた。「やれやれ、きみはまだ駆け出しなんだ。こういうことは謙虚じゃなきゃ上達しないよ。言っとくけど、初めての相手がわたしだなんて、きみってすごくラッキーだったんだから。今夜だって楽しい思いはいくらでもできたのに。」

欲情の空すかしを食わされた男はいきりたった。「悪魔め!やつの前で同じことがほざけるかどうか、試してみるがいい!」

黒髪は乱暴にドアを開けた。金髪は物音ひとつ立てなかった。おれは目に見えてはっきりと明らかな自分自身の昂まりを意志の力で押さえつけ、静め、息と姿勢を整えてドアを開け、一歩踏み出した。


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カウンターで未開封のドライジンを一本買い求めた。二度と飲まんと誓ったゴードンズしかなかったが、おれが飲むのではなし、かまったことではない。伯爵の野郎が顔を見せるなり、おれは大股で出口に向かった。付いてくるかどうか、振り返って確認するのはやめにした。付いてこなければ、今夜ゴードンズで前後不覚に酔うのがやつではなく、おれになるだけの話だ。


車寄せにタクシーが入るのと、伯爵が追いついたのが同時だった。

「なにをちんたらしとるんだ。あの野郎はたちが悪いぞ。」


伯爵は黙ったままだった。おれがタクシーに乗りこみ、運転席の後ろのシートまで移ると、すこしためらったが続いて乗ってきた。さっきの男の移り香がした。

黙ったままのこいつは珍しい。おれは沈黙をもてあました。もてあましながら、自分が猛烈に腹を立てていることに気が付いた。何に腹を立てているのか突き詰めて考えると、さらに腹が立った。だがおれが腹を立てとることをこいつに知られるのは、もっと業腹だ。何事もないような声で訊ねた。「宿を知られとるんだろう。戻ると面倒な目にあうんじゃないのか?」

「そうかもね。」


やつもまた、何事もなかったような声で答えた。どこまでも癪に障るやつだ。あの男はクウェートでも三指に入る財閥の跡継ぎ候補だぞ。しかもいろいろときな臭い裏のある野郎だ。恨みを買ったらそれなりにやっかいなことを、こいつはわかっとるのか。「あの成金なら、パリ中のホテルを探しかねんぞ。カネというやつは使い出ががあるからな。」念のために聞いた。「おまえ、パスポートは偽名か?」「ああ。」

やはり。「ならおれの宿で部屋はとれんな。特殊な宿だ。フロントに見破られて足がつく。」

「どこかで降ろしてくれ。…面倒をかけたね。ありがとう。」


頭に血が上った。どこへ行くつもりだ。どんな偽名を使ったって、おまえのそのなりでは目立ちすぎだ。おまえはある水準以上の宿にしか泊まらん。あの野郎がそういうホテルに手を回すのは簡単だ。天蓋付きのベッドでぬくぬくと眠りほうけていたと思ったら、夜中に簀巻きにされて天井から吊られてても、おれは助けてやらんぞ。両手両足をベッドに縛り付けられて、体中に各種責め具を仕込まれていても、抜いたりはずしたりしてやらん。おれはなにを想像しとるのだ。

「おれの部屋に泊めてやる。」

伯爵が驚いた顔でおれを見たのが、視界の隅に映った。

「誤解するなよ。おまえはソファだ。」

おれは意地でも前を向いたまま続けた。「あの手の男は面倒だぞ。じわじわと逆恨みを増幅するタイプだ。今頃気を取り直して、カネと権力を総動員しておまえを探そうとしててもおれは驚かんな。目の前でかっさらわれた晩飯を夜中までかかっても見つけ出せんことがわかったら、半狂乱は間違いない。おまえ、見つかったらラクダで四つ裂きの刑にされるぞ。」


それから急いで付け加えた。

「あの野郎にはルビヤンカ・レポートの件で貸しがある。一度、顔をつぶしてやらんと気が済まなかっただけだ。」

伯爵は黙りこくったままだった。

「えらく言葉数が少ないな。」

「…ちょっときまりが悪いだけだよ。」

さすがに平静ではいられなくなったらしい。少し気分がよくなった。意地悪く言ってやった。「繊細なこった。うまそうな初物を食ったら実はえらいゲテ物で、腹を下して泣いとるところだな。」

「汚い言い方をしないでくれたまえ。」

「間抜けなやつだったな。『おまえは誰の言うことならおとなしく言うことを聞くのだ?あのドイツ人か?』だとさ。けっ、エロイカがおれの言うことを聞くとはな。笑える解釈だぜ。」

 
口が滑った。おまえがおれの言うことをおとなしく聞くのならば・・・。目が眩みそうな想像だった。そこへ座れ。目を閉じろ。動くな。口をきくな。質問は許さん。おれが何をしても口を閉じていろ。おれの名だけは呼んでいい。そうだ。そういうふうにだ。だめだ。目を開くな。くそ、この服のボタンはどうやってはずすんだ?いや、いい、答えんでいい。破ればいいんだ。黙らんか。だれがしゃべっていいと言った。服はもう破った。ぶうぶう言うな。下へ行くぞ、協力しろ。そうだ。腰を浮かせろ。細い腰だな、ドケチ虫にちゃんと食わせてもらっとるのか? ほお、こっちは細くないな。立派なもんだ。だめだ。おれのは見せてやらん。黙れ。誰が目をあけていいと言った。見せんといったら見せん。動くな。黙っておれに従え。さあ、痛かったら声を出してもいいぞ。だがなるたけ我慢しろ。おれの名だけは呼んでいい。おれは初心者だからな。下手なんだ。準備も気遣いもないんだ。痛かったらおれの名を叫べ。いいか、叫べ。おれの体の下で目を閉じたまま、おれの名だけを叫べ。 
 
そういうわけにはいかないのは判っていた。こっちの分が悪すぎる。負ける勝負に挑むのは愚か者のすることだ。おれもさっきの黒髪の男も、本質的には同じだ。こいつに遊ばれるだけ遊ばれた挙句にいずれ飽きられ、壊れた玩具のように遅かれ早かれお払い箱にされる、それだけのことだ。
 
「これに懲りたら相手を選べ。遊ぶんならもう少し手に負える相手にしろ。付き合うんならもう少しまともな相手を選べ。」
 
なにか言い返してくるかと思ったら、頭を下げて巻き毛に表情を隠し、黙り込んだ。くちもとがへの字になっていた。よくもいい年こいてそんな可愛らしい素振りができたもんだ。それまで普通に女と寝ていた一人前の男をくわえ込んで変態の道に引きずり込み、さんざんもてあそんで翻弄して一晩で頭をおかしくさせた上で、食い残しのザワークラウトのようにあっさり捨ててきたくせに。
 
おまえがおれをたらしこもうとしとるのはわかっとる。そうはいくか。
 
「宿に着いたら先に風呂を使え。おまえのじゃない匂いがする。」

伯爵が隣のシートで身を硬くしたのがわかった。フン。ちっとはきまり悪がっとれ、先天性欲情魔。
 

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他の男の匂いには、本当に我慢がならなかった。伯爵を風呂へ追いやり、ハウスキーピングを呼んで、洗濯を明日の朝までに仕上げるように依頼した。伯爵が脱ぎ捨てた服をバスルームから回収したときに、ぎょっとするようなデザインの扇情的な下着が目に入り、目がしばらく釘付けになった。ああ神よ、シスターよ、罪深いおれをお許しください。父上、クラウス=ハインツは父上のご意向に沿うような息子には育ちませんでした。だが伯爵、おれは実はもっと清純なやつのほうが好みだ。死んでも教えてやらんがな。
 
やみくもに煙草をふかした。間がもたん。一箱目を空にして握りつぶした頃にやっと、伯爵がバスルームから顔をのぞかせた。腰タオルの裸姿だった。
 
「何を考えとるか!だからおまえには油断がならんのだ!」 
 
「少佐、吸いすぎだよ。体に悪いよ。このバスローブ、借りていいのかな?きみの分はあるのかい?」
 
判りきったことを聞きやがって。こいつは、自分の肉体美を誇示できる機会があれば一瞬たりとも無駄にしない。
 
「おれは自分のパジャマを着る。おまえの服は特急で洗濯に出したぞ。明日の朝に帰ってくる。」

「…病的潔癖症。」

否定は出来なかった。別の男がその服に触れたかと思うと、心底嫌な気がしたからだ。そんな服をそのまま着るな。だがおれの服を貸して、無駄にこいつを喜ばせるのも業腹だった。バスローブを着て出てきた伯爵に、未開封のゴードンズとグラスを押し付けて命じた。「おれが風呂を使っている間に、全部飲んでおけ。」

「ぜんぶ!無理だよ!私はきみほど強くないんだ。知ってるだろ!」

「知っとるさ。素面のおまえと同じ部屋でなんぞ寝れるか。さあおれは風呂に入る。覗くなよ。けしからん行為に及んだら、縛り上げてクウェート大使館まで送り届けるからな。そこであの成金野郎にたっぷりおしおきしてもらえ。」

 
バスルームに入り、丹念に鍵を掛けた。鍵。ホテルのバスルームの鍵。エロイカの前では、このドアは開けっぱなしも同然だ。もしやつが入ってきたら…。そう考えただけで、おれは不覚にも反応してしまった。慌ててなんとか抑えようと試みたが、もはやどうにも収拾がつかない。仕方がなく、シャワーの音に紛れて急いで始末をつけた。今やつに入ってこられたら、声を聞かれたらとびくびくしながらの行為は、覚えたてのころのギムナジウムでの夜のようだった。通常比五割増ぐらいの感度で済ませたおれは、シャワーできっちりすべてを洗い流した。長い風呂になってしまった。縞のパジャマのボタンを喉もとまでとめて、バスルームから出た。なんと、伯爵はおれの言いつけどおりすっかり出来上がっていた。

「命令ろおり飲んれるんだよ。へんな命令らよね。きみは飲ばらいのかい?私らけ酔ってるなんて、変な感じらよ。ヒック。なんれ私にらけ飲ませるのさ。」へらへら笑って振った酒瓶が、ずるっと滑って床に落ちた。伯爵はそれを拾おうと前かがみになり、そのままソファからどさりと落ちた。あわてて駆け寄ったおれを、伯爵は床から見上げた。ここまで飲むとは意外だった。

伯爵を助け起こしてソファに戻しながらおれは言った。「さっき言っただろうが。素面のおまえと同じ部屋でなんぞ寝れるか。それとな、」酒瓶を拾い上げ、付け加えずにはいられなかった。「酔っとるおまえがぐにゃぐにゃで面白いからだ。」




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それからのことをゆっくり思い出す心の余裕ができたのは、パリからボンへの機上でのことだ。ぼんやりしていて、アテンダントに三度も聞かれるまでコーヒーか紅茶か選べなかった。ネスカフェはなかった。やや酸味のある強いコーヒーをブラックで飲みながら、相手の酩酊に付け込んで、故意に滑らせまくった口のことをようやく落ち着いて反芻した。
 
バスローブにおれの匂いがするとあいつは言った。おれに抱かれているようだと。いつも通りのあいつの軽口だ。だがおれはそれに乗った。口を滑らせたふりをして、はっきりと口に出した。よその男の匂いのする体なんぞ、抱く気にならん。おれは病的潔癖症だ。それから嫉妬深い。それからこの件に関しては、おれは小心者だ。
 
酔った伯爵がどこまで聞いていたのかはわからない。だがやつは黙りこみ、消え入りそうな声でなにか言った。「…」
 
なにを言ったかは聞こえなかった。呼んでも答えは返らなかった。たぶん、やつは眠ってしまったのだろう。おれはベッドを降り、足音を忍ばせて伯爵に近づいた。眠っているこいつは信じられないくらい無邪気に見える。そして、否定しようもなく美しい。バスローブの紐が解け、誘うように前が開いていた。おれは手を伸ばした。その中に手を滑りこませずに前をあわせ、紐をふんじばって団子結びにするのに、鉄のクラウスの鉄の意志を総動員する必要があった。意志はそこで尽きた。巻き毛を指にからめた。柔らかい髪が指にまとわりつく感触にとうとうたまらなり、髪の房を手のひらにすくい取って、唇を寄せた。伯爵の口元が固く結ばれて、かすかに震えていた。起きとるのか、伯爵。おれの気持ちはわかっているんだろう?
 
だが伯爵の唇のこわばりはすぐに消えた。すうすうと、健康的な寝息が始まった。薔薇色の唇が柔らかく開き、おれの唇を誘っている。今なら誰にも、こいつ本人にも知られずに、この薔薇を盗めるだろう。こいつは薔薇だ。おれの腕の中で手折られるのを待っている、大輪のイングリシュ・ローズだ。だが美しかろうと薔薇は薔薇だ。不用意に手を触れればその棘でひどい目に合う。おれはためらっている。棘の痛みですら甘美であることをあらかじめ了解しているにもかかわらず、それでもおれはためらっている。それともこいつは蔓薔薇だ。棘のついた蔓で、おれをぎりぎりと締め上げる。おれは血まみれで呻く。血の匂いさえ、きっと甘美だ。おれはもうそれを知っている。だがこの件に関しては、おれは紛れもなく小心者なのだ。おれはまとわりつく髪から手を引き抜き、立ち上がった。
 
明日のフライトは早い。こいつが熟睡中に出発できることを、天に感謝した。こいつを酔いつぶす酒を事前に入手した自分の才覚を自賛した。それから残りのゴードンズから二杯だけ飲み、ベッドに戻って眠るための歌を歌い、眠りに落ちた。
 
 
<終>
 
 
 
 

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あとがき: 筆が滑る滑る。書いてるうちに少佐の性格変わってきた(滝汗)。私も少佐も、伯爵の色香に当てられたんだと思う。
 

2011/10/06

巴里の一夜(中)・伯爵



註:「巴里の一夜(上)・サバーハ」の続き。サバーハは一切出ません。








店内に戻ると、カウンターに持たれて立ったままの少佐は、私の顔を見るなりカウンターに載せていた未開封のゴードンズを取り上げ、大股で出口へ向かった。私はそれを追った。入り口で車を待つ少佐に追いついた。

「なにをちんたらしとるんだ。あの野郎はたちが悪いぞ。」

なんと答えていいやらわからなかった。少佐が何を考えているのか、よく読めなかったからだ。タクシーに乗り込んだ少佐は奥のシートまで体をずらせ、私の場所を作った。少しためらった後、私も乗り込んだ。

タクシーが動き出すと少佐はフランス語で道を指示し、ホテルの名を告げた。私の行かない地区の、知らない名のホテルだった。私が所在なげに黙っていると、少佐がちらりと私を見て尋ねた。 「宿を知られとるんだろう。戻ると面倒な目にあうんじゃないのか?」

「そうかもね。」

「あの成金なら、パリ中のホテルを探しかねんぞ。カネというやつは使い出ががあるからな。」声を低めた。「おまえ、パスポートは偽名か?」

「ああ。」

「ならおれの宿で部屋はとれんな。特殊な宿だ。フロントに見破られて足がつく。」

「どこかで降ろしてくれ。・・・面倒をかけたね。ありがとう。」

本当にありがとう。私は感謝の言葉を重ねたかった。あの思い上がりを鼻先であしらうぐらいなら自分で何とでも出来ただろうけど、あんなところをきみに見られたのにはしたたかに堪えたよ。あの馬鹿、一回寝たぐらいであそこまで頭に血が上るなんて。きみに平静な声をかけられなかったら、サバーハ以外の店内の男達全員を誘惑してブースの前に一列に並ばせ、独りずつ順番に呼び込んで一晩中後ろから突かせていたかもしれなかったな。ま、それは嘘だけど。そのくらいの自己嫌悪で死にそうだったよ。

「おれの部屋に泊めてやる。」

私はぎょっとして少佐の顔を見た。

「誤解するなよ。おまえはソファだ。」

少佐は前を向いたまま続けた。「あの手の男は面倒だぞ。じわじわと逆恨みを増幅するタイプだ。今頃気を取り直して、カネと権力を総動員しておまえを探そうとしててもおれは驚かんな。目の前でかっさらわれた晩飯を夜中までかかっても見つけ出せんことがわかったら、半狂乱は間違いない。おまえ、見つかったらラクダで四つ裂きの刑にされるぞ。」

私は黙って肩をすくめた。

「あの野郎にはルビヤンカ・レポートの件で貸しがある。一度、顔をつぶしてやらんと気が済まなかっただけだ。」

少佐は付け加えた。私は言葉を返さなかった。

「えらく言葉数が少ないな。」

「・・・ちょっときまりが悪いだけだよ。」

少佐はせせら笑った。「繊細なこった。うまそうな初物を食ったら実はえらいゲテ物で、腹を下して泣いとるところだな。」

「汚い言い方をしないでくれたまえ。」

「間抜けなやつだったな。『おまえは誰の言うことならおとなしく言うことを聞くのだ?あのドイツ人か?』だとさ。けっ、エロイカがおれの言うことを聞くとはな。笑える解釈だぜ。」

「・・・。」

「これに懲りたら相手を選べ。遊ぶんならもう少し手に負える相手にしろ。付き合うんならもう少しまともな相手を選べ。」

他の誰から言われるよりもこれは堪えた。私は頭を下げてシートに沈み込んだ。十代のかわいい盛りなら泣いてるだろうな。二十代のロマンチックなあの頃はどうだっただろう?今泣いたら少佐はびっくりするかな?私は唇をかんで、隣の男をちらっと眺めた。少佐は仏頂面で前を向いたまま、鼻を鳴らして吐き捨てた。

「宿に着いたら先に風呂を使え。おまえのじゃない匂いがする。」

冷や汗が流れた。このジャーマンシェパードときたら、鼻もきくんだ・・・。
 
 
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タクシーを降りたホテルと繋がった隣のオフィスビルの地下の駐車場に、少佐がパリで使うメルセデスが置いてあった。諜報畑はいろいろと面倒だ。そこから少佐の運転で、郊外のホテルまではしばらくかかった。夜のドライブ中は、ふたりとも無言だった。小さなホテルの少佐の部屋から、私のホテルに電話をかけて引き払う旨を伝え、荷物をまとめておいてもらうように依頼した。その後、潔癖症の少佐が本当に私にシャワーを使わせてくれた。シャワー中に少佐がバスルームのドアを開けたときには。心臓が口から飛び出そうになった。少佐はなにやらがさごそと物音を立て、すぐに出て行った。
 
(よ、よかった・・・。普通にシャワーを浴びてて・・・)

カーテンを開けると今脱いだ服が下着も含めてすべてなくなっていて、かわりにドアの裏にバスローブがかかっていた。これを着ていいものかどうか判断がつかず、私はバスタオルを腰に巻いてドアを開けた。握りつぶした煙草の空箱が飛んできた。

 
「何を考えとるか!だからおまえには油断がならんのだ!」
 
部屋中、煙だらけだった。「少佐、吸いすぎだよ。体に悪いよ。このバスローブ、借りていいのかな?きみの分はあるのかい?」
 
「おれは自分のパジャマを着る。おまえの服は特急で洗濯に出したぞ。明日の朝に帰ってくる。」
 
「・・・病的潔癖症。」
 
「みさかい無しのド変態。」
 
「ニコチン依存症。」
 
「ホモ野郎。」
 
「癌になるよ。」 
 
「おまえはエイズだろ。」
 
「跡継ぎを作る前に死んじゃったら、お父上が泣くんじゃないかい。」
 
「ホモに説教される筋合いはない。それに親父もスモーカーだ。」
 
「私の父も男色家だったよ。」
 
「遺伝か。」
 
「遺伝と環境の英才教育さ。」
 
「フン。」
 
バスローブを着た私がソファにねそべると、少佐は未開封のゴードンズとグラスを私に押し付けて命じた。「おれが風呂を使っている間に、全部飲んでおけ。」
 
「ぜんぶ!無理だよ!私はきみほど強くないんだ。知ってるだろ!」
 
「知っとるさ。素面のおまえと同じ部屋でなんぞ寝れるか。さあおれは風呂に入る。覗くなよ。けしからん行為に及んだら、縛り上げてクウェート大使館まで送り届けるからな。そこであの成金野郎にたっぷりおしおきしてもらえ。」
 
そこまで言うと、少佐はバスルームに入った。丹念に鍵を掛ける音がした。鍵。ホテルのバスルームの鍵。私はくすっと笑った。私はエロイカなんだよ。そんなもの、小指一本で開けらされるさ。
 
もちろんそんなことはしなかった。今夜はいい子でいることしよう。私は起き上がって命じられたとおりにゴードンズの封を切り、自分では決して飲まないきつい匂いの烈酒を、少しずつ喉に流し込み始めた。少佐の言いつけにおとなしく従っているというより、さっさと酔ってしまわないと本当にけしからん振る舞いに及んでしまいそうな、いけない自分を抑えかねたからだった。さっさと酔っぱらって、ぐでんぐでんになって、ぐうぐう寝てしまおう。あのアレキサンドリアでの夜のように。
 
少佐のシャワーは長かった。すっごく丁寧に洗ってるんだ。考えただけで体が反応した。さっきタクシーの中で我慢した涙を思い出して、自分を抑えた。闇雲にグラスを干していたら、ボトル半分ぐらいは飲んでしまったようだった。私の酒量の限界だ。縞のパジャマをきっちり着こんでバスルームから出てきた少佐に向かい、にっこり笑って酒瓶を振った。
 
「命令どおり飲んでるんだよ。へんな命令だよね。きみは飲まないのかい?私だけ酔ってるなんて、変な感じだよ。なんで私にだけ飲ませるのさ。」手に持っていた酒瓶がずるっと滑って床に落ちた。蓋をちゃんと閉めていてよかったなあ。拾おうと前かがみになると、そのままソファから落ちそうになった。目の前に少佐のつま先があった。

「さっき言っただろうが。素面のおまえと同じ部屋でなんぞ寝れるか。それとな、」ゆらゆら揺れる視界の中で、酒瓶を拾い上げた少佐の顔がにやぁと笑った。「酔っとるおまえがぐにゃぐにゃで面白いからだ。」




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朝も遅い時間にひどい頭痛で目を覚ますと、バスローブの紐がほどけないようにぎゅうぎゅうに結んであった。少佐はすでに出発した後のようで、ベッドがきちんと整えられていた。書き物机の上に、クリーニングから帰ってきた私の着替えが置いてあった。ソファの横のティーテーブルには水とアスピリンが置いてあり、その隣のメモに走り書きで、支払いが済ませてあり、16:00のlate check outを頼んである旨が書かれてあった。思いがけず手馴れた手際のよさに、ひょっとして女と逢うときもそうしているのだろうかという考えが忽然と浮かび、胸が恐ろしく痛んだ。

 
ゆうべはしたたかに酔っ払って、それぞれベッドとソファに寝そべったまま、お互いに言いたい放題を言い合ったような気がする。私は本当に酔っ払っていた。酔ってへらへら受け答えをしていると、普段の警戒心をゆるめた少佐がぽんぽんといろんな言葉を投げかけてきた。
 
「おまえ、最近はあんな恥知らずな下着を着けとるのか。どこで買うんだ、あんなもん。」
 
「欲しけりゃいくらでもプレゼントするよ。きみのサイズを教えてくれたまえ。」
 
「けっ!」
 
「最近って、以前に私の下着を見たことあるのかい?」
 
「あるだろ。サミットの時に脱がせてやっただろ。」
 
「ああ、あれか。」
 
「あれだ。」
 
「どっちが好みなのかな?ああいう健全なのと、今日のと。」
 
「黙っとれ。」
 
「きみはブリーフ派?それともボクサータイプ?」
 
「おれは答えんぞ。」
 
「色はグレーかカーキかだよね。」
 
「軍の支給品はカーキだ。だが質が悪い。おれは自分で買っとる。」
 
「ふうん。盗みに行こうかな。」
 
「おまえにはでかすぎるぞ。」
 
「穿くんじゃないんだけどなあ・・・。」
 
「衣類は身につけるものだ。本来の使用目的以外の使用は許さん。」
 
「了解です、少佐。きりっ。あはは、Aくんの真似。」
 
「酔っとるなあ、おまえ。」
 
「ねえ少佐、バスローブの紐って、どうして必ず寝てる間にほどけちゃうんだろうね。」
 
「脱ぐなよ!脱ぐと殺すぞ!」
 
「でも私は普段は寝るときは何も着ないんだ。こんなごろごろしたものを着て眠れないよ。」
 
「では丸裸でクウェート大使館まで連行する。あの野郎も服を剥く手間が省けていいだろう。」
 
「それはいやだな。」
 
「いやならおとなしく着てろ。」
 
「ふふ、これも悪くないな。」
 
「なに笑っとるんだ。」
 
「きみ、このバスローブを使ったろ。今朝かゆうべ。だってきみの匂いがするもの。」
 
「くそっ!」
 
「ああ、きみに抱かれてるような気がするよ。今夜は素敵な夢を見そうだ。」
 
「黙れ黙れ黙れ!」
 
「いいじゃないか夢ぐらい。けち。」
 
「・・・おれはよその男の匂いのする体なんぞ、抱く気にならんぞ。」
 
「!」
 
「おまえの言うとおりだ。おれは病的潔癖症だ。」
 
「・・・」
 
「おれは寝る。おまえはもう黙れ。」
 
「少佐。少佐?」
 
「・・・」
 
「・・・どのくらいの禁欲期間を設けたら、・・・きみにその気になってもらえるの・・・かな・・・。」
 
「・・・伯爵。」 
 
「・・・」
 
「伯爵。・・・エロイカ。寝たのか?」
 
酔いがまわりすぎていて、眠ったとも眠っていないとも言いかねた。というか、あまりに現実離れしすぎていて、それが現実の会話なのかそうでないのかもよくわからなかった。
 
静かな足音が近づいてきた。誰かがソファの前でひざまずき、私のバスローブの前に手をかけた。必死で寝たふりをした。ということは、まだ寝てないんだ、私は。これって現実なんだ。無骨で優しい手が、開きかけたバスローブの前をきっちり合わせ、タオル地の紐をぎゅうぎゅうに団子結びにし、ブランケットを首元まできっちり掛けた。それから、私の髪に指を絡めてふわふわともてあそんだ。
 
私は嗚咽をこらえていた。こらえているうちに酔いに引きずられ、くうくうと眠ってしまったのだろうと思う。少佐がいつまで私の寝顔を見つめていたかは知らない。私が眠っていないことを、もしかすると少佐は判っていたのかもしれない。そしてそもそもそれが、私の夢に過ぎなかったのかどうかすらわからない。
 
気が付けばパリの朝だった。頭痛の朝、アスピリンの朝だ。私は苦労して紐の結び目をほどき、バスローブを脱いだ。クリーニングから帰ってきた服を着こんでアスピリンを飲んだら、サバーハをまいてロンドンに戻り、いつ終了を宣言してもらえるかわからない禁欲期間を、身を謹んで迎えることにしよう。
 
 
<終>
 
 
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あとがき:自分に課した縛りは「決して"やらない"ラブラブ」。そう、再開後の原作がテーマとしてそうな路線の、もうちょっと先。それにしても、ちょっと可愛らしすぎたなあ。

 

2011/10/05

巴里の一夜(上)・サバーハ

  
メモ:サバーハ萌えの友人のリクエストに応じて書きました。設定は、「九月の七日間」の二・三年後です。


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<サバーハ>

豊かな黄金の巻き毛から、記憶にあるとおりの薔薇の香りが立ち上った。

促されるままに彼の滞在する部屋に入ったときには、こうなることはすでにわ かっていたような気がする。そ の青い目の英国人が私の黒いレーシングスーツの ファスナーを降ろすまでに、さほどの時間はかからなかった。私はその音を、 運命の扉が開く音のようにただなすすべもなく聞いていた。そもそも手痛い目に 合わされた以前の経緯すら、思い起こすたびによみがえる記憶は見事に騙された 腹立たしさではなく、もう二度とこの イギリス人とあいまみえることがないとい う喪失感だったのだ。だが私は再び彼を見出した。豪勢な金髪の巻き毛を背の中 ほどまでたらした男は、私の凝視に気付くと視線だけで私を誘い、私は抗わなかった。

彼は一人だった。彼のパリでの投宿先が、私の一族の所有するホテルではなかった ことに、私は密かに安堵した。取り巻きの誰にも知られたくなく、私も独りだっ た。大型のバイクの後ろに彼を乗せ、夜の街を走った。 私は目立つらしい。この 姿で外出すると、女からも男からもねっとりした視線を受ける。彼はもちろん、 もっと目立つ外観だ。襟の開いた真紅のノースリーブに足腰の形ぴったりのスリムなジーン ズ、膝から下の長さがよくわかるロングブーツという、私の国では男であろうが 女であろうが決して許されない格好をして、輝くように笑っていた。暗い店の中 で、まるでそこだけスポットライトが当たっているようだった。今もまた、私の背後でヘルメットもかぶらずに黄金の豊かな巻き毛をたなびかせている彼を、夜道を行く誰もが息をのんで見つめていることだろう。

彼の部屋に入った。彼は私を奥の寝室には誘わなかった。プライス・コレクションから私が落札した絵画を根こそぎ盗みとり、その後も私を愚弄し続けたエロイカが、今夜も私を嘲笑おうとしているのだろうか?絵画などいくらでもくれてやる。私にとっては取るに足らないものだ。だがこれ以上私を愚弄することは許さない。その沸々たる想いとは裏腹に、私は緊張していた。ソファに、ごく浅く腰掛けた。優雅な手つきでブランデーグラスをふたつテーブルに置いた彼は、向かいのソファには 座らず、私のすぐ隣に腰を下ろした。太腿が触れ合った。薔薇の香りがした。心拍数がいっぺんに上がった。

「少し飲みたまえ。体も気分も楽になるよ。」

青い瞳が、自在に伸び縮みする網のように私を捕らえて離さなかった。私は動けなかった。ここは彼の部屋で、私のテリトリーではない。水の中にいるように体が重かった。彼は視線で私を捕らえたままグラスを取り上げ、私の唇に当てた。はたき落とす事も出来たはずなのだが、そうしなかった。できなかった。グラスを傾 けられるままに、私は青い瞳の男の手から与えられるその強い酒を飲み、やがて飲み干した。それはつまり、承諾のしるしだった。英国人は静かにグラスを 置き、私のレーシングスーツのファスナーに手をかけた。襟元が押し広げられ、 砂漠の砂のように金色に輝く髪が私の胸にうずめられた。舌が、鎖骨を這い 回っているのが判った。みっともなくも女のような悲鳴を洩らしそうになり、冷汗がどっと噴出した。私には同性との経験がなかった。

「君の国の香料の匂い、緊張したきみの汗の匂い、皮のレーシングスーツの匂い が交じり合っている。たまらないね。」

英国人は私の胸元から顔を挙げないまま、そう言った。からかうような言葉に 伴って吐き出された息の温もりが、私の肌をかすかに刺激した。それだけでもま た声が出そうだったのに、金髪はそのまま頭を下げ、巧妙な 舌で私の胸の小さな 突起を捕らえ、ちろちろと愛撫を始めた。ソファの肘掛を掴む手に力が入った。泥棒貴族は 私の左の乳首を舌先で、右を指先で巧みに刺激しながら、空いた手を スーツの 中にもぐりこませ、私の体のそこかしこを存分に確かめ始めた。

「アラブ種の素敵な駻馬だ。すごく、感じやすい体だね。愛撫を受け慣れているんだ。いつも女性に奉仕させているばかりなんだろう。」

それは当たっていた。私は女を相手に積極的になるということがほとんどなかっ た。取り巻きの女たちは大勢 いて、相手に不自由はなかった。身の回りに女たちを置 いておくのは、私の国の私の階級の男にとっては車や駱駝を収集するのと同様 の、当たり前の身だしなみに過ぎない。指を鳴らせば複数の女たちが私の体に群 がるのは、10代のころからの習慣だった。

「でもきみは本当は、女性ではたいして感じないんだろう?だからあんなに数だけ揃えているんだ、ちがうかい?」

英国人が私に話しかけている間だけ、彼の舌先の容赦ない攻めから逃げられた。 だが私には息を整え、こう言い返すのが精一杯だった。

「きみは病気だ・・・私に・・・こんなことを・・・」

「そうかな?本当に嫌ならいくらでも逃げられるはずだよ。でもきみはそうしな い。賭けてもいいよ。きみはずっと・・・こういうのを、ずっと待っていたんだ。」

図星を指されて、恥ずかしさで目が眩んだ。もう目を開けていられなかった。ま ぶたをきつく閉じると、触れられている肌の感覚だけに意識が集中し、声をあげずにこらえているのが精一杯だった。その憎らしい男がいつも身に纏っている、 薔薇の香りがまた匂い立った。香りと共に、滑らかで長い指がレーシングスーツ の中を這い回り、恐ろしいほどの背徳感に裏打ちされた快感の予感に、私は唇をかみ締める以外の何の抵抗も出来なかった。体が震えだすのを止めることも出来 なかった。金髪のイギリス人はそれでもなお、肝心のところに触れてこなかっ た。やはり私を嘲笑っているのかもしれない。全身をを硬くこわばらせながら息を殺 して男の愛撫を受け入れ、恥知らずにも体の中心をもっともっと硬くして男の指 を待っている、惨めな私のことを。私はたまらなくなって目を開いた。

思いがけない近さに、伯爵の顔があった。

「だめだよ、サバーハ。」

オアシスの湖水のように青い瞳が、私を優しく見つめていた。「もっと素直に なって欲しいな。私は無理強いは嫌いなんだ。するのも、されるのもね。きみが 自分から望まないのなら、私はきみには何もしてあげない。 初めてなのはわかっ ているよ。言ってごらん?何をして欲しいんだい?どこに触れて欲しい?」

そのまま瞳が近づき、しっとりした薔薇色の唇が私の乾いた唇を吸った。なけな しの矜持が持ったのはそこまでだった。私は蕩けた。唇を開き、薔薇の舌を受け 入れようとした瞬間、相手の唇が離れた。その舌を・・・、そう言いさしたところ に、英国貴族の命令が優しく、だが容赦なく下った。「さあ、はっきり口に出して言ってみたまえ。その通りにしてあげるから。」

屈辱で顔が火照った。舌が欲しい。唇が欲しい。指が欲しい。何もかもが欲し い。もっと別のところを攻めて欲しい。そんなことを言えるわけがない。だが現 実には私の身をぴったり包んでいた黒い衣のファスナーは腰まで下ろされ、私はうっすらと汗を浮かべて男の舌と指の愛撫を享受しており、唾液に濡れた乳首はこんなに硬くなってもっと強い刺激を待っており、そしてなにより聞き分けのない私の持ち物 が、これ以上ないほどに怒張しきって皮のスーツの前をいっぱいに膨らませてい た。早く解放してやらなければ、もどかしさに気が触れてしまいそうだった。

「命じられるのには慣れていない。そうだね?」

私は答えなかった。そうでもなかった。私の国は金髪の男の国よりもさらに厳格 な階級社会だ。私は国王に、一族の長に、父に、兄たちに、系列が上位の従兄た ちに命じられ、従うことには慣れていた。 だがもちろんこんな恥ずかしい命令 を受けたことはない。

「落ち着かせてあげるよ。ほら。」

英国人は私の手を取り、自分の下腹部へ導いた。そこに、私と同じようにすでに何かを待ち受けているものがあった。他人のそんなものを、布ごしであろうななかろう が、触るのは初めてだった。この巻き毛の男もまた、私に欲情している。その認識は確かに私を落ち着かせた。だが次の瞬間、それを布ごしではなくじかに触りたい、見たい、そして・・・したいと熱望している自分に気づき、さらに頭に血が 昇った。だがそれは、私がもうずっと以 前から望んでたことではなかったのか。

このイギリス人には決まった相手はいるのだろうか。嗅がされた催眠ガスから目覚めたあと、彼のことは手を尽 くして調べていた。どの報告にも、この男との公私にわたって関係のある相手として、あのドイツ軍人の名が挙がっていた。だが彼とその男の関係について は、報告書ごとにて定義付けが異なっていた。曰く親しい友人である。曰く長年にわ たる愛人関係である。曰く業務上のパートナーである。曰く敵対関係である。曰く、曰く、曰く・・・。どこから 探りを入れてもかちこちに硬そうな、NATOの諜報将校。事実がどうであれ、目の前の男があの無粋なドイツ軍人となんらかの関係を持っているのは間違いないようだった。私はあの黒髪の男になりかわりたかった・・・。

今やその夢想の一部がかなおうとしていた。私は伯爵の耳元に唇を寄せ、ついに哀願を口にした。





<伯爵>

彼は私を連れて夜遊びをしたがった。どうやら私を見せびらかしたいらしい。可愛らしいものだ。初物には初物の楽しみがある。特に、こんな歳になるまでこち ら側の経験のない、こわもての男の味ときたら。ひとりでパリまで足を伸ばしたのは 正解だった。こんなにおいしいデザートが転がり込んでくるとは。

昨夜のことを思い出すだけでいやらしい笑みがこぼれた。さんざんにいじめてやった。最初から最後まで、逞しい体をよじって恥ずかしがっていた。言葉で攻めようが指で攻めようが、また別のもので攻めようが、とにかく敏感な体だった。少し縛ってやったら、そんなことをされるとは思っても見なかったのだろう、屈辱に燃える暗いまなざしで呆然と私を見あげた。だがさらに呆然としていたのは、自分がその屈辱から痺れるような快感を得ていることだったに違いない。とめどなく沸き起こる劣情を自分自身で扱いかねているような戸惑いぶりに、また一層そそられた。あまりにも楽しませてくれたので、ご褒美に好きにしていいと体を任せたら、同じように私を縛り上げて、腕力に任せて手のひらを返したような無体を強いてきた。それもまた、よかった。デザートどころか、私にとっても彼にとってもフルコースの一夜だっただろう。

あとは、彼が私に夢中になり過ぎないように気をつけなきゃね。伯爵は無益なこ とを考えた。今まで自分に夢中にならなかった相手などいただろうか?・・・もちろんいる。夢中どころか、振り向きさえしない。私の永遠の標的の彼。追うことは追われることより素晴らしい。彼 は過去にもこの先も私を一顧だにしないだろうが、それでも私は追うことをや めないだろう。肩まで落ちるまっすぐな黒髪、長身で広い肩幅、頑丈で長い手足、 挙措と口調に乱暴さと育ちのよさが奇妙に同居した、どこまでも堅い鋼鉄の男。鉄のクラウス。決して私のものにならない、私の運命の男。

だが彼のあの緑の瞳がさらに深い色になるとき、私には彼がわからなくなる。ひらひらと飛び回る蝶のような私は、彼の 瞳にどう映っているのだろう。彼は時折目を細め、瞳の色をさらに暗く して私を見つめることがある。一度はそのまま腕をつかまれた。経緯は忘れた。 引き寄せられるか殴られるのかどちらだろうととっさに身構えたが、少佐はその まま動かなかった。緊張に耐えられなくなった私は、いつものように微笑んで少佐に流し目をくれた。そうすれば少佐が手を 離して私を突き飛ばすことがわかっていたから。結局は私も少佐と同じく、それが起こってしまうことを恐れているのかもしれない。

考え事にふけっていたら、腕をつかまれ、強引に引き寄せられた。私の隣にいるのは短 い黒髪の男。くっきりした目鼻立ちで、特に目が印象的だ。浅黒い肌の色が、 使っているフレグランスと同じぐらいエキゾチックだった。昨夜の、そしておそらく今夜の私のお相手。アラビアの夜のようにぬめりを帯びた漆黒の 瞳。ごめんよ、サバーハ。きみの前で別のひとのことを考えていたよ。きみに失礼だった ね。抱き寄せられたその腕を拒まないことで、私はきみに謝罪しよう。私の髪を絡めとるきみの指と、耳たぶをついばむように寄せられた唇を、いつもの微笑で受け入れよう。きみが私に何かの冗談を囁いた。のけぞって笑う私の喉もとに、きみは吸い寄 せられるように口付けた。私は目を閉じた。やはりきみも、私に夢中になるんだね・・・。

私はサバーハの体をそっと押し遣った。夜まで待とうよ。そうか、時間はもう夜だ。ではベッドまで自制したまえ。 私の肩を抱いていた腕が下がり、腰を抱き寄せら れ、下半身を押し付けられた。サバーハの欲望が、言葉より もはっきりと伝 わってきた。私はさりげなく目を逸らした。泥沼になる前に、潮時を見極めなければならない。





<少佐>

相変わらず良く目立つ男だ。なんでこんなところにいる。髪を切れ。もうすこし 肌を隠す服を着ろ。体の線もだ。へらへら笑うな。とっとと自分の国の自分の城にこもって、盗み 集めた絵でも眺めて暮らしていろ。ブリテン島から出るな。表に出るな。夜も昼もだ。

隣に立つ男に見覚えがあった。クウェート某財閥の三男坊、素人のくせにあちこちに顔を出したがるきな臭い 成金野郎だ。金なら腐るほど 持っとるくせに、エロイカの本職にも手を広げるつもりか?いや、ルビヤンカ・レポートの時にはこいつらはすでに面識があった。そもそもどういう知り合いだ。全く何もかもが気に入らん。

何が最も気に入らないのかを、少佐は意識に乗せないようにしていた。もちろん 一番気に食わないのは、その二人が壁際で足を絡ませるようにして寄り添って立ち、鷹のように鋭い目のアラブ人が、きらめく美貌の泥棒貴族の耳元でなにやら囁いている、その姿だった。もっと言えば黒髪が金髪の肩を抱くようにして巻き毛に指を絡ませ、金髪が嫌がる様子もなくそれを受け入れ、心地よさげに目を細めて囁きに耳を澄ませてい る、その様子でもあった。何を囁かれたものや ら、風船野郎は頭をそらせて笑い 出した。開きすぎた胸元の上に、白い喉が見えた。近くにいればいやったらしい嬌声が聞こえた かもしれない。黒髪の男の眼がその喉もとに釘付けになり、 やがて顔をそこへうずめた。金髪は払いのけなかった。目を閉じて、なすがままにさせてい た。変態どもめ。少佐は目をそらせた。

目的のエージェントとはすでに接触した。渡すべき情報は渡した。エージェントは去った。NATOパリ支部への 連絡は済んだ。会議出張のついでに済ませた、ペーペーのような久しぶりの単独任務だった。接触相手の指定でもなければ、こんな店に足を踏み入れることもなかった。男ばかりが踊りに来る店。独りで来る客の目的はみえみえだ。おれはこんなところにいるべきではない。とっとと飲み干して宿へ引き上げねばならん。

少佐が自分のグラスに目を落とすのと、伯爵が顎を引いてサバーハの体を軽く押し遣ったのがほぼ同時だった。 サバーハが伯爵の腰を抱き寄せ、下半身を押し付けて欲望に燃える目で伯爵を見つめてているところを、少佐は 目の当たりにせずにすんだ。顔を伏せた伯爵の顎をサバーハの片手が捉え、強引に自分の方を向かせて噛み付くようなキスを与えているところも、もちろん見ることがなかった

少佐はグラスを取り上げ、残りの酒を心のざわめきと併せて飲み干した。味などわからなかった。用を足した ら、とっとと宿に戻ろう。 ホテルのエクササイズジムが開いている時間ならいいが。汗をかいて忘れることに しよう。忘れる?何を?






<サバーハ>

伯爵が軽く私の体を押し遣った。だが私はそれを許さず、彼の腰をとらえて抱き寄せ、下半身をこすりつけた。伯爵はさりげなく視線をはずし、私の欲望を回避しようとした。憎らしい男だ。昨夜あれほど私を翻弄したくせに。私には一夜のお遊びの価値しかないのか?

さんざんにもてあそばれた挙句に最後に好きにしてごらんと言われ、さっきまで自分を縛っていた縄でお返しにこの金髪を縛り上げた。緊縛の中から揺らめくような瞳で見上げられた瞬間に、背筋に走った鈍い衝撃が忘れられない。ベッドでこんなものを使うのは初めてだった。縄目がしなやかな筋肉に食い込んでいくのを、自分以外の誰かがしでかした残酷な懲罰のように見ていた。だが縄を掛けたのは自分だ。力を込めて縛り上げたのは自分だ。よほど痛かったらしく、巻き毛が汗でしっとりと湿り始めていて、まるで渦を巻いてとろけ落ちてゆく蜂蜜のようだった。伏し目のまま私の仕打ちを甘んじて受けていた男の、巻き毛と同じ色の長いまつげがふと上がると、その下から底知れぬ湖水のように青い瞳が私を見上げ、同じく底知れぬ欲望に私を引きずり込もうとした。私はあっさりと引きずり込まれた。その後のことはよく覚えていない。正気を失った私から引き出せるだけの快楽を引き出すと、エロイカはやすやすと縛めを解いた。

視線をはずした伯爵の綺麗な顎を掴み、下半身の昂ぶりを強く押し付けたまま、強引にこちらを向かせた。伯爵は美しい眉をかすかにひそめて私を見たが、無理には抗わなかった。私が噛み付くように唇を奪うと、伯爵は私が求めるままに唇を開き、私の舌を受け入れた。その物分りの良すぎる冷静さが、私の暴虐な部分に火をつけた。決して私のものになることのない、この美しい異教徒をどうしてくれよう。怒りのあまり目を開けたまま伯爵の唇をむさぼっていた私の視界に、思いがけないものが映った。

クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐。この金髪の曰くつきの相手。お堅いドイツ軍人がお堅い服を着こんで、カウンターでグラスを前に独り座ってい た。ここは彼らの場所なのか?待ち合わせでもしていたのか?よくここで会うことにしているのか?

目の眩むような怒りが私を襲った。金髪男の舌を吸い出して、噛み切ってやりたかった。さっき唇を寄せた白い喉に指を回し、力を込めて縊り殺してやりたかった。だがそのとき気が付いた。この店に連れてきたのは私だ。この美しい悪魔ではない。 目を閉じて私の舌をおとなしく受け入れているこの男は、エーベルバッハ少佐がこの店にいることにはまだ気付いていないだろう。私は横目でドイツ軍人を追った。彼は立ち上がりながらバーテンダーに手洗いの位置を尋ねており、どうやら私たちのことには気づいていないようだった。冷静になりきれないままの怒りの余韻が、私の脳裏のゆがんだ欲望をさらに歪ませた。まっとうではない思い付きだったが、だがそれがどうだというのだ。男と寝ること自体、まっとうではない行為なのだから。




<伯爵>

私は気が進まなかった。いくらこんな店だからって、そんなところで?覚えたてのティーネイジャーでもあるまいし。そういうのは子供の頃のエレベーター逆走と同じで、若い頃に済ませておくべきやんちゃだよ。だが考え直した。彼にとってはなにもかもが初めての体験だ。本人が望んだこととはいえ手を出したのは私なのだし、坊やの初々しさが残るっているうちに、せいぜい付き合ってあげよう。どちらにしろ、彼とはパリを離れるまでの仲だ。

私はほとんど引きずられるようにラバトリーへ向かい、中をよく確かめる余裕もなく、一番手前のブースに押し込まれた。後ろ手にドアを閉めると、サバーハは切羽詰ったような手つきで、私の前を広げ始めた。「サバーハ?我慢できなくなったのはきみのほうじゃないのかい?」

「私の名を呼びながらいってくれ、伯爵。きみのいい声が聞きたい。」

彼はそう言うとそのままひざまずいて私のものを口に含み、あからさまに湿った音をたてて吸った。ずいぶん性急なしぐさだった。

「私は・・・ここでは無理だな。きみのは私がなだめてあげるよ。場所をかわろう。」

やんわりと制しようとする私の手首をつかみ、サバーハはそのまま執拗に舌を使った。稚拙な愛撫だったが、それでも私のものは応えはじめた。物理的な快感には逆らわずに身を任せながら、一方で私は違和感を感じていた。なにかがおかしい。こんなふうに他人の快楽に奉仕することは、まだこの男のお楽しみリストに載るには早すぎる。ではなにか別の目的が?

ラバトリーの奥で物音がしたような気がした。誰か先客がいるのかもしれなかった。ならば納得が行く。私を所有していることを、周囲に誇示したいのだ。そんな男はこれまでに星の数ほどいた。わざわざ名を呼ばせるということは、ひょっとすると行きずりの他人ではなく面識のある誰かなのかもしれない。坊やの火遊びに付き合ってやるべきかどうか、少し迷った。私が黙って息を殺していると、サバーハは苛立ったように立ち上がって自分のものをつかみだし、しごきはじめた。それは何の準備も要らないほど怒張しきっていた。

「声を出す気がないのなら、後ろを向いて前に手を付け。尻を上げろ。」

黒い目が、嫌な光り方をしていた。多くの男たちにおいて、性欲と攻撃欲はずいぶん近い位置にある。だが私はそういう趣向は好みではなかった。

「ゆうべも言ったと思うけど、私は無理強いは好きじゃないんだ。するのも、されるのもね。」

体を離し、前を閉じようとする私を力任せに壁に押し付けながら、サバーハは背後から膝で私の脚を開かせようとした。おもしろい。腕力で何かができると思うなら、やってみるがいい。

「おまえは誰の言うことならおとなしく言うことを聞くのだ?あのドイツ人か?」

「ドイツ人?」

「クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハだ。おまえの大事な男だ。」

私は口をつぐんだ。その名を聞くだけで、自分が今もてあそんでいるような児戯がまったく味気なく感じられた。抵抗をやめた私の両手首を片手で壁に押さえつけ、サバーハはもう一方の手で私の腰を抱いた。抱き寄せて着衣を引きずりおろし、後ろから照準を合わせようとした。

「君は何かを誤解しているようだが、私と少佐はそういう関係じゃない。」

「嘘をつくな!」

「きみ、そういうのが好みなのかい?私が誰かのもので、その誰かから盗み食いをしているっていう趣向なのかな?きみの好みを正直に言ってごらん。きみの感じる設定に合わせて言葉を紡いであげよう。ただ・・・、彼の名を出すことだけはやめてくれないかな。でないと私は続けられなくなってしまう。」

「やはりあのドイツ人はおまえにとって特別なのだな?」

「・・・悪いね。きみのファンタジーがそこにあるなら、私は付き合ってはあげられない。放してくれたまえ。」

「放せと言うのか?ここまで来て?こんなになっているのに?」

サバーハは無理やり私に押し入ろうとした。初心者はこれだから、たまったものではない。私はブーツの踵で相手のつま先を思いっきり踏み付け、相手がたじろいだ隙に体をひねって、男の腕からするりと抜け出した。

「やれやれ、きみはまだ駆け出しなんだ。こういうことは謙虚じゃなきゃ上達しないよ。言っとくけど、初めての相手がわたしだなんて、きみってすごくラッキーだったんだから。今夜だって楽しい思いはいくらでもできたのに。」

「悪魔め!やつの前で同じことがほざけるかどうか、試してみるがいい!」

サバーハはせわしない仕草で着衣を引き上げ、乱暴にドアを開けた。やつ?誰のことだ?まさか・・・?




<少佐>
ため息を付いて、ドアを開けることにした。用を足したら勘定を済ませて、さっさと店を出るはずだったのだが。なんだってこんなところで変態どもの痴話喧嘩に遠慮せねばならんのだ。しかもその痴話喧嘩に、ほかならぬおれ自身の名前まで登場しているという体たらくだ。

ブースを出ると、成金野郎が乱れた着衣のまま、なにやら得意げな顔で立っていた。無視して、丹念に手を洗った。洗いながら、この野郎をぶん殴るかどうかを冷静に考慮した。ぶん殴る以外にも、完膚なきまでに叩きのめし、踏みつけにし、二度と余計なことをさせないようにする方法を一ダースほども比較検討しつつ手を洗い終わり、水気をハンドペーパーで拭い取りながら、結局のところその中でもっとも単純で効果的な方法を採用することに決めた。黙ったまま成金野郎の目の前を通り過ぎ、一番手前のブースの前で足を止め、のぞき込んだ。変態の巻き毛の金髪のパープーの風船野郎がひどい格好で壁にもたれ、上気した顔で傲然とおれを睨み付けた。おれは平静な声で言った。

「伯爵、身支度が済んだらおれの席へ来い。カウンターだ。手をよく洗えよ。」

言い捨てて、そのまま手洗いを後にした。




<サバーハ>

私は伯爵が手を洗い、丹念に口をすすぎ、髪を手ぐしで漉きなおして、私に一瞥もくれずに立ち去るのを見送った。つまり私は、一度は掌上に摑んだ英国の薔薇を、いらぬ小細工を労して失ったということだろうか?それとも、薔薇がそもそも私の手の中にあった瞬間などなかったというのか?

呆けたように立ちすくんだ私が気を取り直し、店内へ戻ったときには、二人の姿はもうなかった。私は往生際悪く、昨夜を過ごした伯爵の宿へ行ってみた。伯爵はすでにそこを引き払っていた。一族の所有するホテルのすべてと、その他手を尽くせる限りの宿の宿泊者リストを当たったが、伯爵の名も、かつて私が調べた限りで彼がよく使う偽名も見つけることができなかった。NATOの諜報将校がどこで夜を過ごしているかは、もちろん調べられるものではなかった。

つまり、かつてと同じく、私は再び完敗したのだった。それが間違いのない事実だった。

だが今でもわからないことがある。あのふたりはどういう関係なのだ?伯爵は否定した。少佐ももちろん否定するだろう。だが本当にそうなのか?あのふたりには、何もないのか?そしてあの夜、伯爵はどこで夜を過ごしたのか?

答えを得る機会は永遠に失われた。そして悔やんでも悔やみきれない後悔と、薔薇の香りの記憶だけが、私に残った。


<終>


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後書:

※サバーハ萌え友人からのお題:『いてこまされサバーハ』
※サバーハに次の一言を言わせること。「きみは病気だ・・・私に・・・こんなことを・・・」

※原題は「当て馬にも五分の魂 ~あるいは「いてこまされサバーハ」のささやかな報復・大失敗の巻~」(ごめん、ぜんぜん愛がなくて・・・)

※もしくは、「サバーハの筆下ろし」
※または、「サバーハくん社会人デビュー」

サバーハ派の人ごめんなさい・・・