このサイトでは、「エロイカより愛をこめて(From Eroica with Love)」を題材とした、英語での厖大な二次創作群を翻訳しています。サイト管理者には原作者の著作権を侵害する意図は全く無く、またこのサイトにより金銭的な利益を享受するものでもありません。私が享受するのは、Guilty Pleasure - 疚しい楽しみ-だけです。「エ ロイカより愛をこめて」は青池保子氏による漫画作品であり、著作権は青池氏に帰属します。私たちファンはおのおのが、登場人物たちが自分のものだったらいいなと夢想 していますが、残念ながらそうではありません。ただ美しい夢をお借りしているのみです。

2011/07/31

Closet Case, Stuck Door - by The Reverand



訳者メモ: Closet Case - a homosexual who pretends to be heterosexual

注: Closet Case, Stuck Door by Margaret Priceの続編です。
   


by The Reverand
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「彼女のあのすごい爪、見たかい?よかった!逃げおおせた!」

あの女は確かに恐竜だ、少佐も認めた。「あの女が修羅場を始めるつもりがなかったのは幸運だったな。そうなったら俺が相手せにゃならんとこだった。」彼はドアを開けようとした。「さあ、俺はここを出るぞ。おまえは…」

ほとんど真っ暗な闇の中で、伯爵はドアノブがガチャガチャ鳴るのを聞いた。「少佐…?」少佐はいまや本気交じりでドアノブを力任せにひねっていた。「うっ…」

少佐は呪い始めた。彼の情況のすべてを。「鍵がかかっとる!この間抜け野郎め!くそったれ!おまえもそのファスナーもあの恐竜女も、貴様らはみんなくそったれだ!あの女、鍵を掛けやがった!」

「ああ、少佐。」伯爵は言ったが、少佐には伯爵がその口元に自己満足の笑みを浮かべているのが見えなかった。「きみが体をくっつけているのがいったい何者かを忘れているようだね。クロゼットのドアなんて、まさに私の出番じゃないか。」

「下がれ、変態。後ろに隙間があるだろ!ドアを開け!今すぐだ!」

「いいけどね。きみは私を助けてくれたし。いつもだったらこんな有利な情況を無駄にしたりしないんだけど…。きみ、ほんとにそれでいいのかい?」

返答の変わりに、何かが擦れる怪しげな音と、44マグナムの安全装置をはずすカチリという音が答えだった。「いいよ、わかったよ。ちょっと待ってくれ。」

少佐には、伯爵が髪の中から何かを取り出そうとしているところしか見えなかった。やつの商売道具の何か。あの巻き毛は小物を隠すにはおあつらえむきだ。やつは小さめの火器ぐらいだったらあの癪にさわるたてがみの中に隠せそうだ。誰もそれに気づかないだろう。

伯 爵はドアノブを回すのに少し苦労しているようだった。なにしろ着込んでいるドレスが厄介なしろもので、たっぷりとしたひだと、どっしりした布とレースが幾 重にも重なっていた。 少佐は小突かれ、押され、少なくとも六回は伯爵と体がこすれあい、かなりイライラし始めた。彼は不承不承マグナムをしまい込んだ。

「少佐、あのね、」伯爵は嘆願した。「ほんとにすごく言いにくいんだけど…、えーと、できればあんまり動かないでいてくれないかな。そして私が近づいても撃たないって約束してくれ。えっと、あの、」伯爵は無理をしてつらそうに小さく笑った。「その…きみの、大砲。」

少佐は不審そうに眉をひそめた。それからやっと伯爵の言った意味に気が付いて怒りを爆発させた。「貴様ー-!」彼は怒鳴りつけたが、クロゼットの外のパー ティを考えて、怒声をささやき声に落とさざるを得なかった。「この変態が!くっつきたくないのはおまえだけだと思っとるのか!おまえの顔だって俺 の・・・、それにおまえと俺は・・・、このくそったれの(伏字)!だいたいなんでこんなとこにいると思ってるんだ!?」

伯爵にはくすっと笑わないだけの分別があった。伯爵は少佐がちょうど・・・にいることを意識するだろうことを知っていた。どちらにしろ、伯爵は狭いところにいる有利さを存分に利用しようとしていた。

「いいか。俺に触ろうとしたら撃つからな。それとさっさとドアを開けなかったらだ。」少佐は考えて付け足した。「それから俺の体の一部分を、もう一度そう表現したら、だ。」

伯爵の声に笑みが含まれていた。「わかったよ。」

泥棒はもう一度仕事に戻った。少佐は体が許す限りなるべく壁際に寄るように心がけた。金属と金属が擦れあう音が聞こえた。その音だけがいつまでも響いた。大泥棒エロイカの腕が鈍ったに違いなかった。

「ああ、少佐。」

「立ってから言え!」

「これって、鍵がかかってるんじゃない。鍵が壊れて、詰まってるんだ。」

少佐はこの気障ったらっしいやつが大嘘をついていないか、それとも間違っていないか確かめようと、本能的に前に出た。少佐はこの自分の大失態に気づかなかっ た-伯爵とぶつかり、ひざ立ちになっていた伯爵がバランスを崩すまで。伯爵は後ろに倒れそうになり、何かすがるものを求めて少佐の襟を摑んだ。彼らは倒れこんだ。一人は仰向けに、もう一人はうつ伏せで、ドレスの生地の豪勢なひだの上に。

伯爵が気を取り直す方が早かった。「やあ、少佐。これって素敵な体勢だよね。」

伯爵の広げた足の間に横たわり、 少佐は体が熱くなるのを感じた。その熱さは怒りのためというだけではなく…、だが、言葉だけは怒りの言葉だった。

"You and your fucking dress and your fucking locked door and your goddamned hair, and your zipper and fucking cannons and--" 

… 伯爵の手が少佐の髪に伸び、唇が唇に当てられた。両脚がゆっくりときつく閉じられつつあった。少佐は伯爵に引き寄せられるのを感じた。異議を申し立て、阻 止しようとした瞬間、少佐は伯爵には機が熟したと判断できる明確な理由があるのが分かった。つまり自分のこの下腹部の疼きが、やつにははっきり知られてい る。




くそっ。




いつのまにか自分がキスを返しているのに気が付いた少佐は、口を開くために唇を離した。「全く、気に入らん奴だ。」  ・・・だが、口調には何の毒もこもっていなかった。 ドアの下からかすかに差し込む光の中で、少佐は笑みを浮かべてそう言ったのだった。

「少佐…、それってきみがいままで私に言った中でいちばん素敵な一言だよ。」彼は少佐を引き寄せてもう一度口づけた。

「ドアを破らにゃならん。」しばらくして、少佐は言った。「だがまあ、人がいるうちはいかんな。」

「もちろんだめだよ。」

伯爵は悪戯っぽく笑ったが、それはじらすようにうごめく下半身や、ゆっくりと少佐の脇をなで上げる太ももの半分もたちが悪くなかった。「まだ早いよ。」

少佐はうなり声を上げたが、その声は警告よりも敗北を意味していた。・・・なんとも幸せな敗北を。

「暇つぶしの方法を探さなきゃね…」… 伯爵は続けた。「だって、何時間も待たなきゃいけないし。」

「何時間か・・」それが、少佐が答えた最後の返答だった。彼の口がほかの事に忙しかったために。





ほ ぼ三時間半後に、二人はとうとう立ち上がった。双方の服をお互いにもうちょっとましに見えるように整えあいながら。伯爵は少佐のネクタイをまっすぐにして やり、それから暗闇の中で下の服を探してやった。少佐は伯爵が太ももにナイフを隠すのを手伝い、それからその他の泥棒道具を他の場所につけるのを手助けし た。それから、密かに笑みを漏らしつつ、ドレスのファスナーを上げてやった。恐竜女はもういないだろう。

「もう誰もいないようだよ。」伯爵はさも何事もなかったかのように気取って言った。

「よかろう。ドアを離れろ。」

「ちょっとまってくれ、少佐。もう一度やってみるよ。」

伯爵は少し緊張した笑いを漏らし、彼の泥棒道具をもう一度使った。二秒後には、ドアは静かな音を立てて開いた。「ああ、もしかすると、そんなにひどく詰まってなかったのかも。」

少佐は恐ろしい顔をして口を開け、伯爵を怒鳴りつけようとしたが、途中でやめた。伯爵が気遣わしげな顔でこちらを見ていた。つまり何もかもが、やつのやり方そのものだった。 結局、こう言うしかなかった。



「うまくやったな、エロイカ。」


Illustration by SA

訳者メモ:イラストを描いた良(You)さん旭(Shan)さんは中華圏で今のところ唯一のエロイカファンサイト「鋼鐵玫瑰園 - Iron Garden of Roses」を主催。素敵なイラストがたくさんおいてあります!フィク(英文)も! Closet Caseの中文版もこちらで読めます。転載許可ありがとうございました!

2011/07/30

Closet case, Stuck Zipper - by Margaret Price

 
訳者メモ: Closet Case - a homosexual who pretends to be heterosexual    

Closet Case, Stuck Zipper
by Margaret Price
Fried Potatoes com - Closet Case 

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「くそっ。 ファスナーが噛んどる。」俺はなんでこんなところでこんなことをしとるんだと自分自身を呪いながら、少佐はうなった。さっきまで退屈なパーティにうんざり していたはずなのに、気が付くと伯爵にクロゼットの中に引きずり込まれていた。伯爵はイブニングドレスを着こんで、上から下まできっちりと女装していた。

「少佐、急いでくれ!」肩越しに振り返りつつ、伯爵は息を潜めて言った。「破かないでくれよ!」少佐はもう一度うなった。「これを下ろせと言ったのはおまえだろうが!」彼は布のかたまりと格闘していた。「なんでこんなことを俺にやらせるんだ!」

「だってきみ、困ってるご婦人を無視できないほうだろ?」伯爵は小癪に笑ったか、返答は少佐のさらなる憤激だけだった。「これを脱がせてくれるだけでいいんだ。あの恐竜が私を見つける前に。」

少佐は布の塊から顔を上げて伯爵を見た。「恐竜?なんだそれは?」

伯爵はもう一度振り返った。「外にいる、あの女だよ。」彼はクロゼットのドアの方へ手を振った。「一晩中付きまとわれたんだ。」

少佐は目を丸くした。「女?」それから口の両端が持ち上がった。「女に追いかけられとるのか?」

「笑うなよ、もう!」

もう遅かった。伯爵は冷たく言った。「全然面白くないよ。」

「そうだな。」

「そうだよ。で、ファスナーはどうだい?頼むよ。」

布のかたまりとファスナーとの格闘に戻る前に、少佐は自分自身に言い聞かせなければならなかった。こいつを下ろしちまえば、無事クロゼットのドアが開けて外へ出られるぞ。やがてファスナーがすっかり下まで降りる音が響き、少佐は勝利の声を上げた。「やったぞ!」

そ の時ドアが開いた。伯爵を一晩中追い回していた女がクロゼットの外に立っていた。 彼女はぽかんと口をあけて、目の前の光景を見つめた。「なんてこと!」彼女は喘いだ。そして怒りに任せて言い放った。「この…この…淫乱!」そしてドアを ぴしゃりと閉めて、泣きながら立ち去った。 伯爵と少佐はたっぷり一分ほど立ち尽くした。一体どうしていいやらわからなかった。

伯爵がとうとう口を開いた。「どうやったらこの埋め合わせができるんだろう。」「なんだと?」「女性を失恋させたなんて、どう考えたらいいんだ?」

少佐は目を逸らした。「ばかもの。」




Closet Case, Stuck Closetへ続く…

2011/07/28

7月のある日

   
   

ロ イヤルメールの郵便配達車はクラシックな赤である。 田舎の館の管理人にはしばらく来ないようにと連絡してあった。ここへの訪問者はないはずだがと思った伯爵は、近づく車の音を聞きつけて、二階の書斎の窓か ら門のあたりを見下ろしていた。赤い車から降りた配達人は館の門の外の郵便受けに封筒を放り込み、門鈴を一押しすると去った。伯爵は読みさしの本を伏せ、 下へ降りた。イングランドの爽やかな夏を読書で過ごすとは、なんと人生の楽しみ方を知らない愚か者だろう、私は。ましてや今日は自分の誕生日だというの に。

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いい歳をした大人が誕生日を祝うなどというのは馬鹿げたこと だ。少佐は常々そう思っていたし、今もその考えに変わりはない。しかし、夕食時に執事がうっかり「今年は伯爵様からお花が届きませんね。」と口をすべらせ たのを聞いて、なにやら思い当たらざるを得なかった。ほう、そうかね。今までは花が届いていたのか。少佐はそもそも自分の誕生日に毎年花が届いていたこと すら覚えていなかった。必要のない事項はすぐに忘れることにしていた。脳内の容量は決まっとる。俺は記憶に優先順位をつけねばならん。

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伯 爵が門扉に備え付けの錆付いた郵便受けをこじ開けると、エアメイルが一通入っていた。差出人の名はなかった。彼は書斎に戻った。家紋の刻印のある銀のレ ターナイフは、普段なら華麗にひらめくだけで私信たちの衣を剥ぎ取るはずだったが、今日はそうはいかなかった。伯爵は慌しく、拙い手つきでナイフを使っ た。

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花の代わりのものはすでに受け取っていた。あの野郎、こっ恥ずかしくも職場宛にカードなんぞ送りやがって。差出人不明の封筒から微かにのぼる薔薇の香りを嗅ぎ取った瞬間、少佐は体の奥でうずく鈍い欲望を抑えた。薔薇は官能のサインだった。

生成りのエンボスの封筒には、ブルーグレイのインクで手書きの宛名があった。あいつの字はこういう字か。少佐は封を切らず、そのまま自宅へ持ち帰った。バースデーカードの入った優雅な封筒を無粋に折り曲げ、上着の胸ポケットにしまい込んで。


 夕 食後に書斎で、少佐は折り曲げた封筒を取り出した。封筒は、伯爵家の薔薇の紋章を押した深緑の蜜蝋で封印されていた。古風なこった。少佐は鼻を鳴らした。 気取り屋のあいつらしい。乱暴に封を切り、カードを取り出すと、それは少佐の知らない何らかの古典絵画のカードだった。何の謎掛けだ。いずれにせよ、少佐 には調べてやる気はなかった。カードにはラテン語でなにかの文句が書いてあったが、それを読む気もなかった。幾通りものヨーロッパ語に通暁しながら、中学 時代にラテン語の教師につきまとわれた経験から少佐はラテン語を毛嫌いしていた。現実に使われていない言語を学ぶのは無駄だとしか思えない。

あ いつのお遊びには付き合いきれん。くだらん。カードと封筒を握りつぶそうとしたとき、少佐は封印を解かれた蜜蝋の中に微かに光るものを認め、手を止めた。 親指の腹でそこを撫でた瞬間、微かだがはっきりとした感触にそれが何であるかがわかった。巻き毛だ。あいつの、黄金の巻き毛だ。

送り手は、明確な意図を持って封印の蜜蝋の中に自身の一部を封じ込めたに違いなかった。

蜜蝋の深緑。誰かの瞳と同じ色の。黄金の巻き毛が深緑の蜜蝋に捕らえられ、組み敷かれ、息も絶え絶えに振り返り、誘うように緑の瞳を見上げている。私はきみに捕らえられ、封印されている。来てくれ、少佐。早く私を解放してくれ。

心臓をつかまれたような気がした。声が出そうになり、緑の瞳の男は、かろうじてそれを抑えた。

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「解放してくれ、少佐。お願いだ。今すぐ、ああ。」

「…それは命令か。それとも哀願か。」

「両方だよ、少佐。私はきみに服従し、同時に君を支配している。きみも同様だ。私を支配し、私に服従しているのさ。」

「どの相手ともそんな風だったのか、おまえは。」

「い いや、それはちがう。私を支配しようとした男は星の数ほどいた。もちろん私はそうさせなかった。私に服従した男たちはその倍ほどもいた。だが私には彼らは 不要だった。きみだけだ、少佐。私は君を支配したい、そして同時に服従したい。私は君に支配されたい、そして同時にきみの服従を望む。」

ならばそのかつてのことを語れ。

それは無理だよ、愛しいきみ。語りつくす前に夜が明けてしまう。

言え。

強いられて伯爵は語った。さながらシェヘラザードのように、かつて夜の闇の中で、あるいは明るい昼ひなかに繰り広げられた、秘めやかな、あるいはあけっぴろげではしたない物語を語った。いくつかを聞き終えると、傲慢で傷つきやすい王は命じた。さらに傷つくために。

続けろ。

ならば、と伯爵は語った。ひとつの物語が、次の物語と繋がっていることもあり、そうではないこともあった。悲しみで終わる物語もあり、まれにそうではない物語もあった。恥知らずな物語があり、高貴な物語があった。王はさらに傷ついた。

それから。

語りつくせるものではなかった。それでも王は自らの傷を求め続け、伯爵はさらに語った。それはまるで千夜一夜を一夜に凝縮したような夜になった。しかも、すべての物語の主人公は、語り手シェヘラザードそのひとなのだった。

次は。

そこで伯爵は語った。短い巻き毛の少年だった日々の出来事を。少なからぬ数の物語だった。 遠い日々の物語すらも王の心をかきむしるのに気付き、シェヘラザードは甘く残酷に微笑んだ。

すべて吐け。

そ れゆえに、ただ王を傷つけるために伯爵は語った。ついにめぐり合ったその人が如何につれなかったか。恋焦がれ付き纏い、その報酬として得たものは幾度かの 殴打のみ。その痛みすらも甘く、なお慕い、さらに拒絶され、その欠落を埋めるため、夜毎に別の唇を吸い、別の腕に抱かれ、別の首をかき抱く夜がどのように 続いたか。日々は永遠とも思われ、その間の無聊を埋める火遊びだけが数え切れなかったこと。だが火遊びは所詮火遊び以上のものとはならず、ただ欠落の青白 い炎だけが猛り狂ってその身をしらじらと焼き焦がす、冷たい飢餓の煉獄の日々を過ごしたことを。その身のうちの煉獄を知らないまま、幾人もの男がその軀の 上なり下なりを行過ぎていったことを。王はやや青ざめて聞いていた。

それだけか。

まさか。語り尽くせないよ。奔放なシェヘラザードは笑った。そして付け足した。どの過去をとっても、きみの前では無価値だ、と。

いっ たい誰と比べた。傷つきやすい王は比較されたことにやはり傷つき、怒りに任せて シェヘラザードに手を伸ばした。二頭のしなやかな獣がお互いを組み伏せようともつれ合った。猛り狂った一頭が吠えた。それはいったい誰のことだ。誰でもな い、君の知らない誰か。忘れろ。いますぐ忘れろ。愛撫とも殴打ともつかない打擲の応酬があった。獣たちは息を弾ませ、猛りあい、睦みあい、やがて金色の獣がやはり嫣然と笑った。それは無理だな。私の過去が今の私を作り上げている。忘れることはできないよ。

決して服従しないシェヘラザードが勝利の笑顔を浮かべてそこにいて、傷だらけの王はついにゆっくりと敗北を認めた。いい答えだ。おまえがそのようでなければ、俺はおまえの支配など受け入れはしなかっただろうから。

伯爵は冴え冴えと笑った。「私は君を支配する。そして同時に服従する。さあ、私を解放してくれ、少佐。今すぐ。いますぐいきたいんだ。」

「いいだろう。」

王はシェヘラザードに跪いた。その双腿の間に。


その実、お互いがお互いを支配などできず、またもちろんのこと服従もなかった。にもかかわらず、双方がお互いにそのふたつを双方に求め合い、しかも与え合った。彼らはまさに一対だった。わかりきったことだったのに、ここまでくるのにどれほどの逡巡を経ただろう・・・


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少佐はカードを握りつぶし、蜜蝋の封印に口付けた。それが、五月のある日のことだった。

七月の半ばのころ、部長秘書は次の任務への出発準備に忙しいエーベルバッハ少佐からの内線電話を受けた。切手を少し分けてもらえないだろうかという用件だった。


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ドイツの消印が押されたごく普通のエアメイルの封筒を開封すると、微かに煙草の匂いを嗅いだような気がした。気のせいかもしれなかった。中にはカードなどはなく、ただ手帳をちぎり取ったような紙に、そっけないドイツ語の走り書きがあった。


”来年の今日は時間を作る。どこか人目につかない場所を探しておけ。暑い国はよせ。おまえの薄着は目に毒だ。”


おやおや。と伯爵は思った。なんとつれない恋人だ。紙切れ一枚で来年までおあずけかい? それに、どうやら南国に小さな別荘を買う必要があるようだ。ジェイムズ君をどうまるめこもうか。

そ れから頬杖をついて、指先で巻き毛をもてあそびながら、恋人の任務と責任と状況と、彼ら二人の間に横たわる諸事情とを考えてみた。これでもたいした進歩だ な。思いがけなかったよ、きみからの便りがあるなんて。封印のいたずらに気付いたのかな?(まさかね。あのトーヘンボクが!) どうやら、これからも私が追いかけるというスタンスには変わりがないようだね。では今夜だけ、密かな侵犯を許してくれるかな?部屋の主がここにいない今夜 だけ。

伯爵の隠れ家には、一方的な不可侵条約を誓った少佐の寝室が準備されていた。一人用の硬いベッドと、机と本棚 だけの広々として簡素な部屋は、伯爵が自分用には決して選ばない質実で落ち着いた趣味で統一されていた。ここは聖域だった。伯爵は少佐の寝室に足を踏み入 れると、書き物机の上に緑の瓶を置き、椅子を引いて腰掛けた。それからボトルの栓を抜き、薄緑の馥郁たる液体をグラスにたっぷりと解放した。寝室に差し込 む鮮やかな午後の光の中に芳香が立ちのぼり、舌先に広がるよく冷えたワインに刺激されて、伯爵の感覚は清冽に冴えわたった。

き みの瞳の色のボトルのこのワインは昔は甘口ばかりだったのに、最近はずいぶん辛口になってきているようだね。きみとはまったく反対だ。次に逢う時のきみ は、どれほど甘く私を蕩かしてくれるんだろう?言ってくれたまえ、そのくちびるで。さもなくばその眼差しで。もしくはその指で。たったいま私を見事にたら しこんだ、その筆先の言葉のように。

現実の少佐の不在が、伯爵のなかの少佐の実在を引き換えに確固たるものにしているようだった。伯爵はグラスを置いた。自分自身の栓を抜き、その官能をたっぷりと解放するために…。  



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同じ日の夜、部下のミスにより間一髪で標的を取り逃がした少佐は、ほぼ予想していたとおり延長となった任務に舌打ちをした。熱いシャワーを浴びてベッドに 寝転がったが、どうも眠れる気がしなかった。久しぶりに寝酒でもひっかけるか。宿泊先に持ち込んだ瓶は涼やかな水色だった。ボンベイ・サファイア。瞳の色 -彼の秘密の恋人の。さもなくば、こんな気障ったらしい瓶の酒を手に取ってみる気はしなかっただろう。だがその酒は浮ついた外観にもかかわらず、上出来の 酒だった。グラスにそそぐたびに、痛烈だが奇妙に品のある香りが少佐の鼻腔をくすぐった。馬鹿野郎、ちゃらちゃら気取った外観の中身が実は痛烈で、しかも 気品がある?それはいったい誰のことだ?



問い詰めて問い詰めて、何もかも吐かせなお敗北した夜の記憶が、不意にまた蘇った。

就寝前にもう一度、今度は冷たいシャワーが必要なようだった。少佐の姿はバスルームに消えたが、水音はいつまでも途切れなかった。ときおり混じる微かにくぐもった声が、ついに高まりを迎えるまで。


END






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お誕生日おめでとうございます、伯爵。
From BasilLeaves with Love

2011/07/26

My Love - by Anne-Li


My Love
by Anne-Li
Anne-Li's Slash Page - My Love


俺、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐は淫売だ。おまえにだけは。自分でもどうしようもない。お前が欲しい。お前が必要だ。愛している…

俺は自分を止められない。おまえを連れてホテルに帰り、ベッドに横たわり、ゆっくりとお前を口の中いっぱいにくわえ込むまで。それはすごくいい。おまえは清潔できれいで力強い。そして、今日いったい何をしてきたかをほのめかす香りがする。お前はそんな匂いのときが一番いい。俺は舌を這わせる。上へ、下へ、おまえの側面に沿って。それからまたくわえ込む。できる限り奥まで。細心の注意をこめて。おまえはそれほど太くないが、十分に長く、そして堅い。俺は下手だ。だが最良を尽くすさ。

ああ、あの好き者の伯爵が俺たちを見たらどう思うだろう?あいつは興奮して、いっしょにやりたがるか?いや、だめだ。おまえは俺のものだ。そして俺もおまえのものだ。おまえのものというだけじゃない、多分ひょっとすると、おまえは俺だけのものだ。おまえのすべてが俺のものだ。言っただろう、俺は自分でどうしようもない。おまえを手放せない。たくさんの、どれも違うおまえ。俺はおまえを自由にする。おまえのすべてが俺のものだ。そして俺はおまえのものだ。

おまえは俺のもの、おまえを信頼している。おまえは常に俺の望みどおりだ。常にそばに置きたいのはおまえだけだ。そうさ、おまえが欲しい。おまえが必要だ。ああ、こんなふうに。考えるだけでもひどく苦しい、だがおまえを俺の中に感じたい。俺の、一番傷つきやすい場所に。俺の中に入り、俺をおまえのものにしてくれ。俺がおまえをそうしているのと同じように。おまえが俺を犯す瞬間が待ち遠しい。俺はそれが欲しい、ひどく、欲しい。俺の全身がそれを欲しがってひくひくしている・・・今もだ。たった今、俺の舌がおまえの一番敏感な部分をじらすように愛撫している、この時でさえ。ここを、この部分をもうほんの少し強く刺激しさえすれば、それですべては終わる。だが俺にはまだその準備がない。まだだめだ。

おまえが俺を犯す瞬間が待ち遠しい。俺は横たわり、脚を広げて、楽に入れられる場所を探している。俺を指を滑らせ、ああ、この指がおまえだったらと願いながら、挿入する。いっぱいに入れる。俺は傷つき、痛みを覚える。それが痛みを伴うことを俺は知っている。それは多分、とてもひどく痛む。そうに違いない。女ならもしかすると、それほど傷つかすにお前を受け入れるかもしれない、だが俺はだめだ。どんな準備をしても、俺は裂け、破れ、傷つくだろう。俺はそれを知っている。だがその痛みは、ひどく「いい」はずだ。だから俺はそれを切望している。その痛みを。

だが多分今日じゃない。エロイカがそばにいる任務の時に、そんなことで俺が見苦しく歩いているところ見られるわけにはいけない。だれもがエロイカが俺を犯したと思うだろう。誰もおまえを疑わない。エロイカですら。だがやつは、非難を受けるべきは自分ではないことをもちろん知っている。は!やつに言ってやりたいぐらいだ。「よう、伯爵。おれに後ろの楽しみを教えたかったって?遅すぎだぜ。」

誰がやったか言えるのは俺だけだ。それは秘密にしておかねばならない。ただ俺とおまえだけの、おれとほかの誰かとの。そのときたった一人だけ、そして誰も見ていない場所で、だれもが息遣いと同じぐらい簡単に壁をよじ登ったりできない場所で。俺のこの性癖を知れば、あいつらは俺の命令など二度と聞かなくなる。だがお前はこれが好きだ。そして、 おまえにはこれができる。できないわけ無いだろう?おまえはいつも傍らで俺のためにいて、常ににおれの愛撫を待っている。

それから俺は口で味わうだけでは我慢できなくなる。たぶん、家に帰ってから、もう一度だ。おれはついにお前に俺を支配させる。屋敷に戻ろう。俺の部屋の、俺のベッドに。こんな味気ないホテルではなく。一晩中かけて、ゆっくりと、たっぷりと。そうすればおまえは引き裂かれた俺を残して去ったりはしない。

ああっ、もうすぐ・・・だ。俺は俺自身を絶望的に握り締め、おまえをできる限り激しくしゃぶる。そして考える。おまえが俺に入ってきたらどんなにいいだろう。そしてとうとう俺は絶頂を迎える。歯を立てないように気をつけながら。最後のスパートをかけるとき、俺は可能な限りすべての注意をおまえに向ける。俺がもはや我慢できなかった瞬間に、おまえを俺の傷ついた口からそっと抜くことができるように。

俺はよろめきなからベッドを出て 小さなバスルームへと向かい、俺自身の後始末をする。それからベッドへ戻る。一晩中お前を舐めながら。お前はいい味がする。たまらない。だがお前にはそう言わない。なぜ言わないかって?おまえが聞いていないからだ。俺はおまえにお休みのキスをする。それから、おまえを拳銃入れに戻し、横たわって自分が眠るための歌を歌う。




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作者からの提示。少佐の秘密の愛人は、文庫版16巻の表紙に出ています。

2011/07/22

Cinnamon Toast - by Filigree

   

Cinnamon Toast
by Filigree
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伯爵は狭いシェルターの棚を漁りながら尋ねた。「足はどうだい、少佐?」

少佐は暖炉の横で体を伸ばしながら、ひどい捻挫のために仮の添え木を当てた左足を動かしていた。痛みに顔をしかめるといった余計なことにはエネルギーを使わなかった。「アスピリンがすぐに効いてくるさ。」そう言って用心深くもう一口水筒の水を飲んだとき、腹が鳴った。空腹にアスピリン。少佐は伯爵に声をかけた。「何か腹に入れるものをよこせ。薬が胃を荒らす前に。」

「きみは好き嫌いが多すぎるよ。」伯爵は優しく言った。「あれは食えん、これもだめ。胃薬をポンド単位で食べればどうだい?―私はきみを南の島での休暇に連れ出すべきだな。そう、六週間ぐらい。任務は無し。きちんとした食べ物と休息だけ。君に必要なのはそれだ。」

「六週間も食い物と休息だけかね。」少佐は静かに尋ねた。暖炉の薄明かりを受けて、目がきらりと光った。「他には何も?」

「そうだね、私とのことも、まあ少し。」伯爵は許可し、美しい形の唇に微笑を浮かべた。少佐は壁にもたれかかった。これは彼がくつろいでいるときのポーズだった。「もう俺に飽きたのかと思ったぜ。」

「そんな日は永遠に来ないよ。あれ、パンがある!」

「このシェルターに先客がいたのか?」

「新しいね、これ。かびもついてないし、いい匂いがする。」

「何か仕掛けは無いのか?」

「チクタク鳴ってるとか?冗談!」

「まじめに聞け。」

「仕掛けなんかないよ。」

「なにか怪しいものがついていないか調べろ。それは軍の標準食じゃない。」

「考えると愉快だよ、少佐。焼きたてのパンの塊を後に残してシェルターから回収されたNATOの諜報部員って、どんなやつなんだろう?」

「・・・中央アジア内戦のミッションのときに飢えた経験があって、食い物にこだわりがある、とかだな。」

「そうそう、きっと携帯品の優先順位を変更したんだ。これは悪くない品だよ。」

「俺にも残しとけ、くそっ。」

「もちろんそうするよ、愛しいきみ。うーん、パンとスパイスか。かわいらしい小瓶たちだ。」


少佐は座りなおして首を伸ばし、スパイスを棚から下ろした伯爵の方を見ようとした。「シナモンはあるか?」

「ここ、暗いんだよ。それに全部キリル文字だから、ちょっと待って欲しいな。ああ、もっといいものがある。砂糖入りのシナモンだ。」少佐の笑い声がした。伯爵が、世界中の安全な逃げ場所と引き換えにしてもいいと思ったぐらい、暖かい笑い声だった。

「清潔なナイフはあるか?パンを切ってここへ来い。シナモンの瓶を忘れるなよ。それから長いフォークがいる。」

伯爵はため息をついた。「きみって、ほんとにいつでも奇跡を要求するよね。」それからフォークの代わりになりそうなものを探し、情けないぐらい小さい火のともる暖炉のそばの、恋人のところへ戻った。

昨日交戦地帯であり明日もまたそうであろう地区で、雪は静かに降り積もっていた。シェルターの窓は塗料で厚く塗りつぶされていて、彼らが窓を割って入ったところだけが板で塞がれていた。積雪で当面の追っ手を心配する必要はなさそうだったが、どちらにしろシェルターの周囲に普段から人跡はなかった。

少佐の捻挫は、壊滅したロシアの前哨基地から持ち出した重すぎる両機能ラジオをのせいだった。ラジオはすでに何時間も前から黙り込んだままだったが、バッテリーを使い果たす前に目的を達成したはずだった。NATOの捜索部隊は、明日の朝彼らを回収にくるだろう。伯爵がロシアの司令官のポケットから盗み取った書類を回収するために。政府高官を取り巻く油田ビジネスとの関係を示唆する不快な何か。伯爵は最初の行よりあとは読まなかった。ロシア人たちは、司令官が書類を持っていると信じ込んでいることだろう。

だがもし彼らが、少佐がそれを持っていると知ったら―、伯爵は注意深くそのことを考えないようにした。今夜はシェルターで、パンとスパイスの他には二人しかいない。それだけでいい。

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「本当かい?」「ああ。屋敷の料理人とよくこれを作ったんだ。寒い冬の朝に、寄宿舎から帰ってきているときにはな。このやりかたさ。うちの料理人はちゃちいトースターなんぞ使わなかった。」

炎の上でパンに塗ったものをカリカリに焦がすと、クラウスは間に合わせのフォークを器用にゆるめた。パンにも褐色の焦げ目がついた。砂糖は炎にとらえられて暗い金のカラメルとなり、立ち昇るシナモンの香りが二人にしみこんでいた硝煙のきな臭い匂いを和らげた。

伯爵は薄闇に座りこみ、うすぼんやりした白昼夢とはっきり存在する恋人の間でしばし揺蕩った。

顔を上げて何か言おうとした伯爵を、少佐の空いている方の手がぐいと引き寄せた。力強い腕だった。座ったまま片腕で、負傷した足をかばった状態でなお、エーベルバッハ少佐はやすやすと伯爵を組み敷くことが出来た。長身の頑丈な体は伯爵の引き締まった肉体の上に熱く覆いかぶさり、、伯爵にとってはそれはどんな高機能のコートよりもさらに完璧に心地よかった。少佐もまた、そうあることを楽しんでいるようだった。やがて少佐は穏やかに息を吐きながら伯爵を抱き寄せ、彼の肩の上に頭を預けた。ほどなく、少佐は体を起こした。伯爵はこのままで…と呟いた。

「さあ、おまえの番だ。」少佐はくぐもった声で言い、トーストを火から引き上げた。「え…?」伯爵は眠りに落ちそうになりながら聞き返した。「これで遊ぶぞ。上に乗れ。食わせてやるから目を閉じろ。」

なんてことだ。伯爵はいっぺんに目を覚ました。この瞬間がすでに完璧じゃないとしたら、まだ何が必要なんだ?マーチングバンド?旗?天井から降る紙吹雪?なんてこと!少佐がこんな気になるなんて!私たちはもっとしょっちゅう交戦地帯で捕まるべきだぞ!伯爵はあまりの幸せに目を閉じた。

「口を空けろ。」

今や寒さと不安の代わりにくすくす笑いで震えながら、彼は言われたとおりにした。 少佐の指が伯爵のの下唇を撫で上げた。かすかなひと撫でが、ざらざらした甘い砂糖を唇に残した。それからトーストが一口分、砂糖側を下にして彼の口に押し込まれた。

(甘みと、シナモンの香りと、ナッツの香りのト-ストが、舌の上で炸裂する―――)

伯爵はそれを咀嚼さえしなかった。ただそれを口の中で溶かし、そして飲み込んだ。心地よい沈黙のなか、少佐が次の一口を伯爵に与えた。伯爵は目を閉じたまま、少佐の緑の目が自分の動きと反応とを余さず凝視しているのを感じていた。

伯爵はこの瞬間を大げさに演じ過剰反応したいという衝動を押さえ込んだ。いや、この瞬間は本物だ。そしてこれは誠実な尊厳に値する。

「クリスマスの味がするか?」少佐は訊ねた。

伯爵は目を開けなかった。「むしろ冬休みを思い出すね。クリスマスには、私の家族はいつも張りつめた雰囲気だったから。ガバナス(住み込みの女性家庭教師)が私を寝かしつけた後、こっそり階段を降りて、厨房で使用人と遊んだもんだよ。」

「俺も厨房が好きだったな。」と少佐はうなずき、自分もトーストを一口かじった。「おやじが家に連れてくる客人は、年寄りばかりだった。寄宿舎に入れられるまで、同じような歳の子供とまともに付き合ったことがなかったな。そういう友人が欲しかったな。話をして、遊んで・・・」 彼は口ごもった。伯爵は少佐の声にかすかな照れを感じた。

「さぞおもしろかっただろうね。」と、伯爵は急いで口に出した。「だってきみの屋敷には、子供にはたまらないような隅っこや隠れ場所がたくさんあるだろ。」

「その通りだ。」そして伯爵は居心地よい体勢で少佐とゆるく抱き合い、少佐が伯爵の口にトーストを押し込み、また自分でも食べながら語る、古い城とそこで育った孤独な子供の一人遊びの思い出話を聞いた。

「大広間に通ずる秘密の階段があって…」

「俺が裏庭の楡の木にぶらんこを吊るしたとき…」 

「ある日料理人がソーセージを取り出してちょっとよそ見をした隙に、でっかいネズミがソーセージを盗んで逃げたんだ。大騒ぎだったぞ!エーベルバッハ邸にネズミなんてみっともない。料理人は俺をけしかけてネズミを追いかけさせたさ。」

「ある年、遠い親戚が休暇をうちの屋敷ですごすことになった。俺は16だったかな?それとも17?あったことのない親戚だったが、寄宿舎から屋敷までの列車の中で、そいつはサッカーが好きか、数学ができるか、どんな遊び道具を持ってきたか、いろいろ考えてワクワクしていた。だが屋敷に着いたとき、料理人が『あちらのお坊ちゃまは百日咳をお召しになられまして』と言ったんだ。」

孤独だったと、深い、強い声が言った。伯爵は、のっぽのいたずら坊主だったであろう、幼少期から少年期にかけての少佐を想像してみた。よく手入れされた人間戦車になるはるか以前の、背の高い少年の彼。

「私が行けたらよかったのに。」と伯爵はつぶやいた。

「ん?何だ?」

「私がきみのところに行けたらよかったのに。」と伯爵は繰り返した。 「たとえば私たちの両親が知人同士とか何かでさ。それとか、仕事上で付き合いがあるとかでもいい。母が姉たちを連れて祖母のところへ入ったりすると、父と僕には二週間の休暇になるんだ。それで、父がドイツの友人の屋敷に僕を連れて行く。そこで父も私も友人に会えるんだ・・・」

少佐は鼻を鳴らした。「年の差があるだろ。おまえはそのころはまだまだちびの小僧だ。」

「心配しなくても、すごくチャーミングな小僧だったよ。 きみは私の神さまで、ヒーローになっただろうね。そこで僕たちは次々に面倒を引き起こしては、言い逃れるのに苦労するんだよ。きっと。」

少佐は伯爵を抱きしめる腕に力をこめた。「ああ、そのとおりだろうよ、かわいいやつ。」それからかれは黙り込み、思いついたように言った。「俺たちが同い年だったらどうだっただろう?同い年のお前が屋敷に遊びに来ていたら?」

「そうだね、」伯爵はゆっくりと話し始めた。「それでもやはりきみは私のヒーローだっただろうね。そして私は一目で恋に落ちるのさ。きっと、自分でもばかばかしいぐらい、きみの後を追いかけて、きみを不埒に挑発するんだ。」

「それで俺はまたおまえをぶん殴るってわけか。」

「ふふふ。それから私はシャツのボタンをはずすのさ。鏡の前でね。だってきみが私に触れることを確信しているから・・・」

「そうだな。、もしかするとある日、俺はお前に触れるかもしれん。お前を殴る代わりに。そう、誰も見ていないところで。」

優しい手が伯爵の巻き毛を梳いた。「そのころも髪を伸ばしていたのか?」

「今よりは短くしていたね。学校にいる間は、短くするように言われてたんだ。髪の短い私はエドワード朝の絵本に出てくる気まぐれな少年のようだったよ。」

「おまえはもうそのころから、自分のことが・・・わかっていたのか?」

「ああ、少佐。私は11歳のときにはもう知っていた。それは別にショックを受けるようなことでも、突然わかったことでもなかった。私は、そもそもそういう私だったんだ。」

「うらやましい話だな。」

伯爵は少佐に寄り添って目を開けたいという衝動を抑えた。 「きみはいつ知ったんだい?」

「17だな。」少佐は伯爵のほほに息を吹きかけながら言った。「俺は・・・で充分だったから―」「ん・・・それって、そうか。あれを覚えたんだね?」

少佐は静かで物悲しげな笑いで体を震わせた。  「そうだ。だが俺はとてもびくびくしていた。やみつきになるのが怖かったし、やりすぎて感じなくなるのも心配だった。, だがその年、俺はサッカーのチームメイトが気になって仕方がなくなった。」

「おや、きみの初めての人に妬くべきかな?」

「おまえが俺の一人目だ。あいつはそんなこと思いもよらなかっただろうよ。俺たちには何も無かった。俺はキャプテンで、その名誉だけが俺を慎重にした。俺はあいつをなるべく見ないようにすらしていたな。 」

「その彼はハンサムだったのかい?」

少佐は記憶を探った。「いや、だが素晴らしいプレーヤーだったな。あいつの笑顔を見るとぞくぞくして、もっともっと見たくなったんだ。俺たちの学校にはもったいないプレーヤーだった。それで、やつの両親はシーズンの途中でやつをスイスの学校に転校させることを決めたんだ。俺は密かにかにほっとした。もう気をとられずにすむ。」

「時々・・・」少佐は伯爵の頬骨に唇を寄せながらつぶやいた。この率直さが伯爵をむしろ傷つけないかどうかと疑いながら。だが自分は自分だ。ほかにどうありえる?「時々、おまえを何より大事だと感じることがある。NATOよりドイツより、たぶん俺自身よりも。」

伯爵は息を吐き、目を閉じたまま体をひねった。そして少佐の唇をかすかにかすめるだけの口付けをして言った。「きみは私にとってそのすべて、そしてそれ以上だよ・・・。」

暖く、暗い黄金色の沈黙が彼らを取り巻いた。やがて少佐が蒸し返した。「あのころおまえがいたら、本当によかっただろうな。」

「どんなふうに?」

「俺たちが法(*)を犯すには充分なぐらいよかったんじゃないかね。(*当時のドイツの同性愛禁止法や未成年の性行為禁止法を指す?)」 少佐はにやりと笑った。伯爵は少佐のそういう言い方も好きだった。少佐はトーストを刺したフォークを置き、伯爵の抱擁の中に滑り込んだ。マグナムをたやすく扱い、敵の背骨を一撃で折るそのエレガントな手が、ほとんど敬虔深いほどの優しさで伯爵のコートのファスナーを下ろし、中へ滑り込んだ。

ゆっくりと探られるのを感じて、伯爵は身を震わせた。「それできみは、なにを・・・するんだい?」彼は囁いた。「そのとき私がいて、きみが私に触れても大丈夫だと考えたとしたら・・・」

「俺はまず困惑する。だがそれから・・・いくらキスをしてもしてもし足りないと知るんだ。」少佐は言った。「俺に触れるお前の手、おまえが身じろぎする音、俺が触れておまえが身をよじる、その動き。どれもが・・・」

少佐はほぼ沈黙の恋人だったが、伯爵は自分のあえぎとうめき声が少佐を欲情させていることを知っていた。それは今まさに起こりつつあった。伯爵はすすり泣きがのどの奥を鳴らすのを恥じなかった。少佐は伯爵をさらに震わせ、唇を伯爵ののどに押し付けて、その震えを吸った。

「なぜ、だい。」伯爵はほとんど平静を保てないまま尋ねた。

「何がだ?」

「きみは、これが好きだ――私にこうするのが。私がきみにするよりも。」

「自分がコントロールを失うのは好きじゃないからだろうな。だが快楽の中のお前は美しい。そのたびに、どんなふうにすればいいのか教えてくれる。」

「若い日の私たちは、どういうふうに始まったと思う?私はほんとうに、君のためにそこにいたかったと思うよ。」伯爵は囁いた。

「なら、『ごっこ遊び』をしてみるか。」 すでに開いている伯爵のボトムを覆うコートを剥ぎ取り、少佐ははっきりと答えた。「俺たちがその年齢で、同じような年で、おまえは休暇中に俺を訪ねてきたんだ。」

熱く力強い指が、伯爵の下着の中を探った。荒い手のひらが、彼の硬くなり始めたものを軽く弄った。伯爵は息を止めた。「ああ、少佐。」

「俺たちはしょっちゅう喧嘩するだろうな。」少佐は請け負った。

「…そうだろうね。」

「おまえは俺に美術品のうんちくをたれるんだ。」

「ふふふ。」

『遊び』を中断しない程度に優しく、指が動き出した。少佐は続けた。「俺たちは悪たれ坊主だ。料理人は怒り狂って俺たちをつまみ出すさ。俺は庭を案内してやるよ。雪の積もった庭を。」

伯爵は言い返した。 「私は雪だるまの作り方を教えてあげるさ。」

少佐は鼻を鳴らした。「雪で堡塁を作るほうが面白いな。そこで俺たちの武器で遊べるだろ。最終的な決着をつけるための武器で・・・」

「私は喜んできみに勝ちを譲るよ。私は見た目よりかはすごいんだけどね。」

「嘘つきめ!」

「はは、技術の問題さ、ダーリン。私の投げ輪はすごいよ!」

「うん、それで、俺に勝たせてくれるんだな?ん?」

「そうさ、私を追いかけさせてやるんだ、もし捕まえられたら欲しいものは何でもあげると約束して。でもきみが僕を捕まえても、ズボンの中に雪玉を入れることぐらいしかできないのを知っているんだ。」

「おまえがなにか企んどるだと考えるだろうな、俺は。ズボンを言えば、そう、足を上げろ。」命じると同時に少佐は、伯爵の太腿に沿って緩んだ衣服をずらせた。「庭の中にちょっとした建物がある。屋敷のどの窓からも見えない位置だ。下の村からも見えない。英語で言うとfollyって呼ぶんじゃないのか?ローマの遺跡のような形の建物だ。ワイン用の葡萄に覆われている。」

「なんてロマンチックなんだろう。」

「その中で、俺ははおまえをむりやり床に押さえつけるのさ、このイングランドのしなやかなキツネめ――。」


それがとても素晴らしかったので、伯爵とうとうそうすることにした。優しい手を導いてもう一度体を浮かし、彼の背骨にそった優しいキスに応えるためにコートをさらりと脱ぎ捨てて、目を閉じたまま少佐の声だけを聞き、空想をほしいままにしている少佐と、それを分け合った。少佐の片手が伯爵の敏感な部分でで自由に何かを詮索していた。それは音楽家が、何か精巧で美しい楽器に出合って不思議な喜びを奏でているようだった。

「君は私を捕まえるよ。」伯爵は言った。「そして僕を雪の中に放り投げるさ。その遺跡のなかで。」

 「それから俺がお前の上に覆いかぶさるように仕向けるんだろう?」少佐は囁いた。「さもなくば、俺がそうしなきゃならないような何か口実を俺に与えるんだ。」

「それから?二人の若者は雪の中でレスリングかい?」 

「もしかすると、俺はただ見ているだけかもしれない。金髪の天使が現実になって、俺の腕の中で怒り狂ってるのをな。そして俺は、」 少佐は息を継いだ。「・・・もうおまえにキスするしかないんだ、気が狂ったようにな。」

「それって全然『ごっこ遊び』じゃないよ。」伯爵は答えた。「今だって・・・」

力強い腕が彼を捉えて引きずり上げ、少佐の腿の上に座らせた。少佐の隆起したものが伯爵の尻を突き、衣服の布が伯爵の肌をこすりあげた。

「きみの足が・・・!」伯爵は息をのんだ。

「アスピリンが効いてるさ。」少佐は低く答え、両手を伯爵の尻へめりこませた。

「私にさせてくれ。」伯爵は腰を浮かせ、敏捷な手を背後で動かして、少佐のベルトを緩めた。

少佐は身動きしてそれを助け、双方の準備が整うと大きく息を吐いた。彼の陰茎はなめらかな筋肉の太股の間に横たわり、亀頭が伯爵の陰嚢を押し上げていた。伯爵の肩の上から、この英国人が長い脚を自分の上でゆるやかに広げているのが見えた。つま先に、脱ぎ捨てたボトムと下着が引っかかっていた。それは優雅ではなかったが、安っぽいピンナップカレンダーのように扇情的なポーズで、少佐の負傷した足をさらに確実に痛めつけてくれそうだった。少佐は気にしなかった。

「動け。」 少佐は伯爵の汗のにじむ首筋に向かってささやいた。

インドでの任務のときに、少佐は寺院で彫像を見たことがあった。なまめかしく踊る女の彫像はその他の彫刻にとっては無礼なまでに見事に造型されていて、少佐は彼女のねじれた身悶えを仔細に見てとることができた。伯爵は少佐の腿の上で、まさにそのように踊った。彼は腕をあげ、その見事に巻いた金髪を指に絡ませて、華奢な肩甲骨を露わにした。

彼は尻を少佐を押し付けながら、円を描くように、そして上下に、また前後に揺らし始めた。覚醒した彼らの体臭は暖かい暖かみを帯びた空気の流れに沿って拡散し、シナモンの香りと彼らが身につけたフレグランスと自由に交じり合った。どんな硝煙の残り香も、危険と脆うさのトップノートに微かな痕を残しただけで消えていった。

「いまここに潤滑剤があればいいのに。」伯爵はうめいた。

「おまえ・・・」少佐は動きを止めた。少佐はまだそれを試す気になったことがなく、伯爵もそれに不平は言わなかった。キスと愛撫、それがすべてだった。もうひとつの行為、挿入については、少佐はまだためらいがあった。だが今、昼間の戦闘とさっきまで共有していた甘い空想の余韻のなかでは、それは可能なことのように思われた。「どこか安全な場所にたどり着いたら。」と、少佐ははっきりと囁いた。「俺に教えてくれ、どうすればいいのかを。」

「少佐!」 その約束のせいで押し寄せた熱い欲情の波が伯爵を震わせた。伯爵の最後の理性がかき消え、乱れた息と不規則な臀部の動きが彼の欲望を物語った。彼は髪を掴んだままの手で口元を押さえ、抑えられないうめき声を押さえ込もうとした。

少佐自身のものと、手がその快楽を補ってやった。やがて伯爵が激しい絶頂を迎えたときには、伯爵をきつく握りしめた少佐の手は、その精液をたっぷりと受けた。少佐はそれをお互いの間にたらし込んだ。少佐は呻いた。乾いた摩擦は絹のように滑らかなものに変わり、快感に満ちたこすれ合いをもたらした。摩擦が心地よく、また動きがさらに速くなったため、敏感になり過ぎている伯爵はさらに喘ぎを強め、それは必然的にさらなる速度をもたらした。

その行為が狂乱じみていたとすれば、解放はむしろ苦痛なほど緩やかだった。その最後の数秒は何時間にも感じられ、ついにそれが最高潮に達したとき、少佐は伯爵の肩に顔を押し付けて最後のうめきをこらえた。

その後の静けをかき乱すものといえば、彼らの肉体の間で交わされる静かな'痙攣だけだった。少佐は伯爵の巻き毛をぼんやりとなぶった。輝く金髪は彼と伯爵の指の中でくるくると丸まり、たったいましがたの悦びのときと同じように、彼ら二人を結びつけた。

伯爵は少佐にもたれかかりながら、体をゆるめた。「少佐。」伯爵はささやいた。「ごめんよ。」

「かまわんさ。長い一日だったな。」

「・・・それに、きみは私を完全にへとへとにさせたよ。脚はどうだい?」

一瞬の沈黙の後に、柔らかい笑いがあがった。「忘れとったぞ、そんなもん。」
   
伯爵は激しい後悔を覚え、少佐から身を離した。

少佐はにやっと笑った。「俺は気にしとらん。だが・・・礼を言おう。」


少佐がまだ何もしたくなさそうだったので、伯爵が二人の後始末をした。だがそれは興奮から落ち着くには効果的で、その後伯爵は少佐の肩を借りて眠ってしまった。その後、火が消えそうになったとき、少佐は伯爵をつついて起こした。

「うん?」

「起きていられるか?俺は少し眠りたい。」

「休んでくれよ、愛しいきみ。そのセミオート銃をよこしてくれ。」

「おまえが銃を?だから眠るわけにはいかんのだ。」

「銃の使い方は君が教えてくれたよ。それで、きみが目を覚ましてマグナムを構えるまでの時間稼ぎができるさ。私たちは交戦地帯にいるんじゃないのかい?」

少佐はため息をつき、寝返りを打って馴染み深い肩に寄りかかった。「そうだな。」


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その音で伯爵が起きる前に、少佐は目覚めた。遠方での軽い地響きのときには、少佐はすっかり覚醒していた。彼は脚にひどい痛みを覚えたが、なんとかやりすごせそうだった。まぶたさえ開かないうちから、マグナムはすでに拳銃入れから手の中に移っていた。

伯爵も頭を挙げ、外からの明かりが室内に射していないかどうか確認した。

夜明けだ。少佐の体内感覚が告げた。彼はヘリコプターの音に注意深く聞き入った。「俺たちのヘリだな。」 伯爵は緊張を解いた。「悪くないね。」

「あれはハイジャックされていて、罠かもしれん。」

「きみは猜疑心が強すぎだよ。」

「だから俺はまだ生きとるんだ、そうだろ?」

「そうだね。さあ、準備を始めたほうがよさそうだよ。」

「またおまえの名を呼んでこっぴどく怒鳴りつけなきゃならん。」少佐は謝った。

「きみが心の中で私をどう呼んでいるか知っているから、いいのさ」伯爵は請け合った。

ヘリの音が激しくなった。おそらくは、すぐ上まで来ているのだろう。そして着陸。音はやや低くなったが、そのまま止まらず回っている。この鳥はいつでも飛び上がれるように、身構えているのだ。

「少佐?」 Zの気遣わしげな声がした。「エロイカ?」

伯爵はは立ち上がって彼を迎えた。


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「この馬鹿野郎をつまみ出してどこかへ連れて行け!」少佐は操縦席の横に座りながらZを怒鳴りつけた。「シェルターは狭すぎて、こいつの香水の匂いがあちこちに移っちまったぞ!」

「これで少なくとも、きみと一夜を過ごせたってわけだね!」伯爵は甘い声で言い返し、小さなガラスの小瓶を取り上げた。茶色のしみのついたティースプーンと白い結晶が、小瓶の中で朝の光にきらめいた。

「何だそれは?」「記念品だよ。」伯爵は咽喉の奥で笑った。  「戦利品ってとこかな。少佐、今思い出したんだけど。」「何だ?」  少佐はまっすぐに背を伸ばし、伯爵を振り返った。

「ボンには、素晴らしいパンを焼くベーカリーがいるんだよね。」


* 終 *

2011/07/21

彼のJealousy、僕のJealousy



僕 と同じ金色の髪の男が、僕の想い人に組み敷かれていた。金の巻き毛がふわふわと邪魔をして、男の表情が見えなかった。けれど、口もとが笑っていた。僕の想 い人は笑ってなんかいなかった。怒り狂っていた。怒り狂って、光り輝く金髪の男を責めていた。あんな見事な巻き毛と比べられたらかなわない。そう思って僕 は伸ばしかけていた自分の淡い金髪を短くしたのに。金の髪の男はベッドに縛り付けられていた。 縛りつけられてなお、勝ち誇って笑っていた。

僕の想い人の前であんなふうに笑っていられる人を、僕はほかに知らない。

僕 の想い人は、金髪の男の頬を手のひらで打ち、また手の甲を返して打った。ひとつ、ふたつ。またひとつ。両腕を縛られて逃げようが無く、金髪は打たれるまま だった。きれいな形の唇が赤く染まり、やがてたらりと鮮血が染み出るのが見えた。金髪は薄笑いを浮かべたまま、何かを言った。僕の想い人はさらに激昂した ようだった。僕はどんな尋問の時でも、僕のあの人があんなに取り乱しているのを見たことがない。あの人をあんなにさせてしまうことってなんだろう?
 
そんなことがあるはずがない。だからきっとこれは夢だ。

そ れから僕の黒髪のあの人は、傍らの灰皿から煙草を取り上げて、金髪の男へ向けた。金髪はそれでも笑っているようだった。僕の想い人は、緑色の目をさらに深 い緑にして、鋭く何事かを問うた。金髪は頭を振り、きれいな、透明な、絶望的に魅力的な声で、笑った。その透明な笑い声は、火のついた煙草をねじりこむよ うに鎖骨に押し付けられても止まなかった。押し付けている僕の想い人のほうが、痛みに引きゆがんだ顔をしているのに。

そんなはずはない。これは夢なのだから。僕のあの人がどこへ行って誰と会っていたかなんて、僕にわかるはずがない。少佐、少佐、どこへ行っていたのですか?誰と会っていたのですか? 伯爵と、会っていたのですか?

夢の中の少佐が伯爵の胸に煙草を押し付けた。その妬け付く痛みを自分にも感じて目を覚ますと、僕は自分が吐精していたことを知った。そのとき突然、夢の中で耳いっぱいにずっと鳴り響いていた曲がこれだと気がついた。Where've you been? Who've you seen? 胸がもう一度、搾られるように痛んだ。 




At dead of night, when strangers roam
The streets in search of anyone who'll take them home
I lie alone, the clock strikes three
And anyone who wanted to could contact me
At dead of night, 'til break of day
Endless thoughts and questions keep me awake
It's much too late

Where've you been?
Who've you seen?
You didn't phone when you said you would!
Do you lie?
Do you try
To keep in touch? You know you could
I've tried to see your point of view
But could not hear or see
For jealousy

I never knew time passed so slow
I wish I'd never met you, or that I could bear to let you go
At dead of night, 'til break of day
Endless thoughts and questions keep me awake
It's much too late

Where've you been?
Who've you seen?
You didn't phone when you said you would!
Do you lie?
Do you try
To keep in touch? You know you could
<a href="http://www.lovecms.com/music-pet-shop-boys/music-jealousy.html">Jealousy 歌詞<a>
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I've tried to see your point of view
But could not hear or see
For jealousy

Where've you been?
Who've you seen?
You didn't phone when you said you would!
Do you lie?
Do you try
To keep in touch? You know you could
I've tried to see your point of view


2011/07/19

The Clothes Make The Man - by Anne-Li

    
The Clothes Make The Man
by Anne-Li

テロリストとの交渉は神経すりへらす任務だ。かれらの狂信的献身はしばしば現実との妥協を許さない。ただ、彼らとの交渉においてひとつ言えるのは、彼らがこちらに「脱げ」と要求することはおそらくない、という点だ。 



「Nein! 絶対にだ!いかなる状況下でもだ!俺は断る!」

「じゃあ少佐、きみが自分で侵入すればいいんだよ。その、なんて言ったっけ、変な形の建物、ペンドラゴン?きみが自分でさ。私はそこにはなんの美も感じないし、美しいものののないところには侵入の価値もないからね。」

「おれはペンタゴンのなかでおまえのためにストリップをする気はないぞ!」

この手のつけられない痴れ者ときたら、そこで甘ったるいやりかたで無作法に肩をすくめ、期待で一杯の笑顔で眉を上げた!「私は言ったよ。美のないところにエロイカは現れないのさ。」

「グローリア卿…」少 佐は、この気障ったらしいやつがそう呼ばれるのが大好きだと知っていた。ということはつまり、少佐にとってはこいつをそう呼んでやるぐらいならコーヒーに 砂糖を入れたほうがまだマシだという意味だった。だが今は重要な交渉の最中で、しかもそれは伯爵が文字通り決定権を持つ交渉だ。こいつに主導権を取られてはいかん。少佐は自分に言い聞かせた。彼は深呼吸した。 

「それは問題外だ。おれが同意できそうな代替案を出せ。」べつの案があれば試してみる価値が十分ある、と彼は考えた。伯爵もじっくり考えているようだった。それから少佐は、数ヶ月前に伯爵と一緒に燃える飛行機からスカイダイビングしたときの会話を思い出し、さっき怒鳴りつけたことによって伯爵がすこしでもまともなことを考えてくれるようになったかどうかかなり怪しく思った。。彼は優しくこちらを見ている青い目を見つめつつ、厳しく、しかし誠実な声で言ってみた。「グローリア卿、おれはNATOとその任務のためならたいていのことはやる。だが売春婦にはならんぞ。」

「ええと、そうだね。」伯爵もまた同じように誠実に反応してみせた。再びまばたきをして、唇をすぼめ、指を伸ばしたり曲げたりした。そして興味を覚えたとみえ、彼はさらなる検討のためにその場を離れてゆっくり歩き回ったた。

「そう…少佐。そう、ええと、私が...」少佐のところに戻って最終的にうなずく前に、ひとかたまりの金髪はふわふわ揺れながら部屋を歩き回った。「すごくいいね。それは。少佐、これならどうかな?わたしはきみがそこへ侵入するのを助ける。ええと、なんて言ったっけそこ?Pet-a-groin(股間)? もしきみが丸一日、わたしが選ぶとおりの格好をしてくれるなら。」

(ペンタゴンだ!我慢ならない馬鹿野郎め!知ってて言っとるんだろうが!おまえがおれの鼻面を引きずり回して喜んどるだけなのはわかっとる!けつを蹴っ飛ばすぞ!ほんとに蹴るぞ!だが蹴ったら蹴ったで喜ぶんだろうが!くそったれの英国人め!) 「俺は素っ裸にだけはならんぞ!」

青い目がドラマチックに輝いた。「ああっ、その手があった!すばらしいよ、きみ。ほんとに!で、契約書はどこだい?」

「Nein!」 しかし、いくらうなり声を上げたとしても、何の効果もないことが自分でわかっていた。彼はすでに交渉を始めていて、どんな方法を使ってもこの嫌味なやつを何とかすることはできないだろうということがわかっていた。「おれは気に入らんぞ!」少佐はそれでも一応抵抗しようとした。「任務中にはやらんからな!部下の前でそんなことをするわけにはいかん!その案は却下だ!」

伯爵は、いつもと同じように優雅に再び肩をすくめた。そしてこれがすばらしく大きな譲歩であるかのように言った。「後払いでもいいさ。」そして続けた。「もしきみが私を騙そうとしたなら、私は次回からの請求額を引き上げるだけだもの。そしてきみを落ち着かせる必要があるときには、『服を脱げ』って言うだけでいいのさ。」軽い脅しだったが、少なくともこのような状況下では、双方が少佐は約束を守ることを知っていた。「こういうのはどうだい?任務の後の最初の週末に、私がボンを訪れる。私たちはすばらしく居心地のいい土曜日を過ごせるよ。」

「おれのアパートメントを香水まみれにして、二度と思い出したくない記憶を残すつもりか!断る!」

伯爵はちぇっと舌打ちし、それからかすかに笑みを浮かべた。そして少佐は、自分を着せ替え人形にして遊ぼうなどと考えている男を敵に回すのが、果たして賢明なことかどうか疑わしく思った。「女の服は無しだ!それと、下品なやつもだ!」

この時点で、伯爵のはいっぱいの笑みを浮かべた。「勝者はね、少佐。勇敢で慈悲深いものなんだよ。全裸はなしにしよう。女装もだ。それから誓って言うけど、いま君が着ている服と同じ程度にはきみの素敵な肉体を隠す服を選ぶよ。きみのフラットじゃだめ?オーケー、じゃあ、私の部屋にしよう。

少佐はそれでもこのアイデアがまったく気に入らなかったが、伯爵が言ったこと以上のことが本当に起こらなければ、さほどの侮辱を受けずにすみそうだった。NATOはどうしてもヤンキーどもに知られることなくペンタゴンに侵入する必要があり、そのためには彼の側に、世界で最高の泥棒を必要としていた。「おれはおまえの部下の前で馬鹿にされるために、わざわざロンドンまでは飛ばんからな!」

「いや、私のフラットだよ。ボンの。Argelanderstraßeストリートにあるんだ。きみと私だけだよ、愛するきみ。まるでロマンチックな休暇のようだよね、それでいいかい?」

少佐は、伯爵がボンに部屋を持っていたなどとは知らなかった。彼はあきらめてため息をついた。「なんでもいい。契約成立だ。」

ペンタゴンでの任務は驚くべき順調さだった。エロイカがと少佐のの袖を引いて、「誰か来る音が聞こえた! 早く、この場をごまかすために抱き合うんだ!」の小技を使おうとしたにもかかわらず。少佐が裏をかいて部下Bを身代わりに差し出すと、伯爵は即座に声を改めて、「いや、いい。私の聞き間違いだ。」と言い直した。

土曜日の朝、成功裏に終わった窃盗の後、少佐はArgelanderstraßeストリートをジョギングしていた。4月4日はジョギングにはちょうどよい気温で、少佐は早春の緑を美しいものだと思った。

おれは緑しか着ないと主張するべきだな。彼はかなりのサイズのバックパックを背負い、自分自身を叱咤した。少 佐は効果的な訓練のためにしばしばウェイトを背負って走ることにしていたが、今回の荷物の中身はこうだった。衣類の余分なセット(伯爵が用意した服がどう 考えても我慢できるものではなかった場合用)、少佐が現在読んでいる本は(タキトゥスの『同時代史(ヒストリエ)』)、書類がいくらか(仕事用 - 伯爵に、少佐が一日中のんびりできる身分だと悲しい誤解をされた場合、なんとかごまかして見せるため)。それか青か。または黒。多分白、しかし全体が白なのはだめだ。おお神よ、やつが全身ピンクやら紫やらの何かを持っている場合には...自分の考えに少佐は震え、ほとんど立ち止まりそうになった。しかし何とか持ちこたえ、ロス・リューム氏名義の家まで最後のブロックを無理やり走りこんだ。剣と薔薇の交じり合ったデザインの灰色の鉄のフェンスの向こうに、ペンキ屋が爆発したように明るく華やかな庭が見えた。

少佐は深呼吸して自分自身を叱咤し、薔薇で縁取りされたドアまで足を進め、ベルを鳴らした。内側から、さわやかで透明な声が返るのを聞いた。ドアなど無いも同然だった。彼の到着を見守っていたかのように瞬時にドアが開いた。とうか、実際待っていたのだろう。しかも空けたのは伯爵だった。時刻が朝の7時45分であることを考えて、伯爵の約束にもかかわらず少佐が予期していたような手下の誰かではなく、本人だった。少佐は、彼らが実際に二人だけであることを願っていた。彼は、誰かにそういう服を着たところを見られたくないと真剣に嫌がっていた...キラキラとかと...フリルとか。

伯爵はいっぱいの笑顔で少佐を見た。それは素晴らしく暖かみのある微笑みで、そのため少佐はいつもなるべく長い間その笑顔をみつめないようにしているのだった。暖かみで解けてしまいそうな気分になるからだ。「おれ私はシャワーを浴びるぞ」と少佐は宣言した。「着替えはそれからだ。おまえ、覗くなよ。」

少佐の素っ気ない態度は、伯爵の小癪な笑顔をさらに明るくするだけのようだった。「もちろんさ。二階に部屋があるんだ。荷物もそこに置いて来るといい。こっちだよ。」

伯爵は、階段への途中でキッチンとリビングルームの位置を教え、それから少佐に言わせればまったくそんな必要は無いのに、二階の伯爵のベッドルームの場所まで教えながら、階段を上がった。少佐のための部屋はそのすぐ隣にあった。少佐は、ベッドの上に彼のバックパックを放り投げる前にざっと周りを眺めた。"おれがシャワーを浴びている間に、着せたい服をベッドの上に出しておけ。」彼は命じた。

「準備はもうできてるよ。服を着たら、居間に降りてきてくれ。私と……したいっていうんなら別だけど。」

「ノー!けっこうだ。さっさと出て行け。」

少佐の最初の行動は、伯爵が出ていくなり、不本意にも少佐がいる部屋と伯爵の寝室との間の壁を徹底的に調べることだった。覗き見されるような可能性はなさそうだった。それから彼は部屋の残りを検査した。二度目の検査でも何も見つからず、念には念を入れた三度目の検査で、彼はなすべき検査はすべて実施し、かつなにも見つからなかったことを認めざるを得なかった。それから彼はバスルームに退避した。もちろん、その場も検査し、それからじっくりとシャワーを浴びた。伯爵の睡眠を邪魔してやれるかもという目的で早朝からやってきたのはまあいいとして、今はとにかくどうやって変態野郎の視線を避けようかと躍起になって考えていた。

とうとう馬鹿馬鹿しくなって、十分すぎるほどの風呂の時間を切り上げた。それからタオルを三枚使った。タオルは肌触りよく大きかったが、けしからんピンクの色合いがこれから起こることを予感させた。が、とりあえずサイズは充分にあり、ぐるぐるまきにして肌の露出を最小限に抑えることはできた。少佐は息を吸い込んで、ベッドの上に待っているはずの次の運命に備えた。俺はスパンコールは着んぞ。それからシースルーメッシュもだ。そんなものを着るぐらいなら自分の着替えを着る!そしてとうとう、これ以上ぐずぐずできんと考えて、少佐はバスルームを出た。

あの変態は、なんの服も用意していなかった。

あの野郎、俺が何時間もシャワーを浴びてめかし込むとでも考えてやがるのか?

この考えに少佐は気分を害した。彼はすでに、考え付く限り最悪の事態についても覚悟していた。彼はすぐにドアをロックして、彼の服装が少しでも乱れている状態で伯爵が「ついうっかり」部屋に入ってくるという可能性を防いだ。もちろんあの恥知らずの泥棒なら、数秒以内になんらかの方法でドアを開けられるのだろうが、それでもとりあえず足音を聞きつけた少佐は速やかに決定的になんらかの対処を講じられるはずだ。そ れから彼は持ってきた着替えを着込んで、上からしっかりと拳銃用のホルスターを身につけた。これであの変態がけしからん振る舞いに及んだときに、少しでも 時間を稼ぐことが出来る。ミーシャがこのたくらみを聞きつけて、部下と一緒に待ち伏せしているかもしれん…カメラ持参で…。それからかれは刑務所の服を受 け取るために、看守の元に向かうべく行進を始めた。

伯 爵は約束どおりリビングルームにいた。窓から差し込む光の中で、寝そべって新聞を-イギリスのゴシップ紙などではなくドイツ紙のBonner Generalanzeigerを-読んでいるところだった。少佐はわずかに認めざるを得なかった。ということは、今脇の下に挟んで持って降りてきた本の ほかにも、まともな読み物があるということか。

「さあ、どこにあるんだ?」少佐はうなった。「シャワーの後で着るから準備しておけと言ったぞ!」

その暖かい、ほとんど触れられたような感覚を覚えるほどの笑顔がもう一度彼を撫でた。「だからね、いとしいきみ、準備はもうできてるんだよ。」

「何がだ!王様は裸だごっこでもしようってのか?馬鹿者!おれは素っ裸にはならんと言っただろうが!」

「そうだよね、たしかにきみは脱いでくれないし、少佐。」笑顔が非常に腹立たしかった。まったくなにもかもが気に入らなかった。。

「やめんか!さあ、お前の用意したくそったれな服はどこだ?」

あまりにもゆったりした、余裕のある笑顔だった。「もう着てるじゃないか。愛するきみ。」

「なんだと」 - 少佐は自分を見下ろして言った。いや、彼は自分で用意した着替えを身に着けていた - ダークブラウンのボトムと、きっちりアイロンの当たったぱりぱりの白いシャツと、それによく合った緑と黄色のネクタイ。彼は伯爵を見た。

チェシャ猫だってそんなににっこり笑えないだろうという微笑を浮かべ、伯爵は言った。「ダーリン、私だってきみが17世紀後半のフランス貴族みたいな格好をしてくれたら、そりゃ楽しいとは思うよ。それとか冗談にしてもメイド服とか。でもね、私の愛するきみ。きみが今着ている服が、それが本当に私が一番気に入ってる格好なのさ。」

なんだって?

「私からしてみればね、きみが一日中ここにいて、私は一日中好きなだけきみに色目を使えるんだ。すばらしいじゃないか!だから信じてほしい。きみがどんな服を着ようと、そんなこともう完全にどうだっていいんだよ!まったくもう!」



おしまい
  

2011/07/15

Good Old-Fashioned - by Heather Sparrows

    

Good Old-Fashioned
by Heather Sparrows


   
  
ク ラウス・フォン・デム・エーベルバッハは、ケルン・ボン空港第一ターミナルのデジタルディスプレイと自分の腕時計とを比べた。スケジュールどおりであれば あと5分。しかし多分遅れるだろう。ロンドンのヒースロー空港はセキュリティ強化中だ。タバコ一本分の時間はある。彼は外に出て、先ほど買った新聞を読み なから一服した。

一面の記事はこうだった。「喫煙者には500ユーロの罰金」

(全 く、スモーカー叩きが最近の流行か。世界のあちこちで紛争がやまん。旅客機が摩天楼に突っ込む。テロとその後の戦争で数千人が死ぬ。それから大気汚染だ。 原因は車と飛行機と化学工場と原子力発電所と、その他の有象無象・・・。こんなご時世で、煙草呑みだけが悪魔の手先みたいに扱われとる。それとも俺たちは どっかでやり直さなきゃならんのかね。もちろんだとも。俺に言わせりゃ、自分らの偽善のはてめえのケツにでも突っ込んどけ、だ。)

彼は新聞をばさばさと折りたたんだ。それからもう一度腕時計を確かめて、到着ホールに戻った。到着はもちろん遅れていた。そして、やはり、クラウスは待つのが苦手だった。彼は檻の中のレオパードのように、せわしなく到着ホールを動き回った。

(やつはどんなふうに変わっとるんだ?見ればすぐわかるのか・・・?)

    * * *

「伯爵、本当にそうするつもりなんですか?」

ドリアンは心の中でため息をついた。

「ジェー ムズ君、きみはどれについて言いたいのかな?」と、すこし苛立ちをにじませながら、彼は問い返した。「ターナーを手放すこと?マチスを買うこと?グロリア 城をナショナル・トラストに売却すること?それともボンへ飛ぶこと?全部きみが書類を用意してくれたんじゃないか。それを『本当にそうするんですか?』だ なんて。きみに答えておくよ。答えはイエスだ。私は君がいま言ったすべての項目を、実行するつもりなんだよ。」

むくれたジェームズは、それでも可愛らしくみえるな、と伯爵は思った。彼はある意味まだ、この小柄な経理士に弱いところがあった。とはいえ、ジェームズとボーナムはもう15年もお互いをパートナーにしているのだが。いや、もっと以前からだっただろうか?

「伯 爵はぼくの言う意味をよく分かっていらっしゃるはずです。」「勘弁してくれたまえ。ドイツは地の果てじゃないんだよ。!」大きな青い片目が、伯爵をなにか 言いたげに見ていた。それから、ジェームズは大きく息を吐いた。「もう長い間、そう、僕の記憶に誤りがなければ、もう20 年になりますよね。伯爵、あなたはドイツを伝染病かなにかのように注意深く避けていらっしゃった。そして今また突然、また物好きにも、そんな方法でボンに 飛ぼうとしている。それもあの恐ろしい少佐に会うために!」

ド リアンは机の上のファイルを開き、ペンをとって経理士が用意してくれた書類を読み始めた。(もちろん、彼はもう少佐じゃないだろう。だが今でも恐ろしいか どうかは?それはもうすぐ分かる・・・) 「そう。全くその通りだよ。」と彼は答えた。「ではジェームズ君。ジョージを呼んで、10分以内に車を準備させてくれるかね?」「もちろん仰せのままに、 伯爵。」ジェームズは短く答え、壁に埋め込まれたインターコムへ向かった。

「ジョージ、いるかい?半時間後にロールスロイスだ。いいね?」

    * * *

(ブ リティッシュ・エアウェイズ655便、ロンドン・ヒースロー発。本来の到着時刻16:30が、最新の状況では16:45到着予定、17:00にレーンに着 く。やっとだ。なんだっていったいヤツは、今になって、今・・・20年?・・・もたった今になって、俺の顔を見にくるんだ?部長よ、天にて安らぎあれ。あ んたは正しかった。俺が結婚を正式に公開して以来、あの目障りな気障は俺の人生から消えた。俺はそれですっかり楽になれると・・・。馬鹿野郎が。遅すぎる んだ。俺は結局、あの野郎を忘れることができなかった。)

ド リアンは上着と荷物を受け取り、飛行機を降りる乗客の列に混じってフライトアテンダントたちに会釈を返した。空港の通路を歩いていると、何人かの乗客が彼 を追い越した。多分、彼らの心はすでに駐車場の車かシャトルバスか、もしかすると出迎えに来てくれている誰か愛する人のもとに向かっているのだろう。その とき突然、彼は少佐が、もちろんすでに少佐ではないはずのクラウスが、自分に会うことなどないのではないかという気がした。ジェームズが口にした疑いが彼 を捉えた。これは結局のところ、馬鹿馬鹿しい思いつきに過ぎなかったのだろうか?

『彼はあなたにに会うことを承知した。彼はあなたの知らせに返事をよこして、会うと言った。あの人はは約束を守る人間でしょう。でも万が一、あなたが彼の銃口を覗き込む羽目になって、インターポールに引き渡されそうになったとしたら?』

(な んて皮肉な宿命だろう。そう、もし彼に銃を向けられたら、それはまるで昔のままだ。彼は今でも私の心を蕩かす魅惑的な野獣のままだろうか?ああ、トビーが 眉を上げて、メロドラマはやめろというのが聞こえるようだ。昨夜はトビーの夢を見た。トビーはこの馬鹿げた思い付きを実行すべきだといった。そうすべき だ、むしろそうしなければならないと。但し、思うとおりの結果が出なくても、文句は別のところへ持っていきたまえ、だとさ。思うとおりの結果ってなんだろ う? 自分でも分からないよ。)

(も しトビーがいたら、私は少佐には連絡を取らなかっただろう…。少佐はまだあの女性と結婚しているんだろうか?彼女に私の話をしたはずがない。私はしたさ。 私の少佐への情熱については、トビーもいずれは私の部下たちから聞くことになっただろうから。それにトビーは私の信用に値する人間だった。無遠慮にも私に こう言ったことがあるもの。『君が僕と暮らしているのは、僕の見てくれやこの魅力的な性格のためじゃないのはわかっている。だが君自身が僕を選んだんだ。 そしてね、僕は誰かと比べられるのは我慢ならない。もし君が僕のいないところで誰かと逢うというなら、僕は今すぐに席を立つよ。僕は誰にも盲目的に夢中に はならない。たとえそれがお綺麗なグロリア卿だとしても。』トビーはそういう男だった。…そして少佐は?老いぼれて太った退屈な男になっているのだろう か?まさかクラウスが。ばかな。) ドリアンは自分の杞憂を少し笑った。

機 内持ち込みの手荷物しか持っていなかったため、彼はバゲージクレームを素通りして税関へ向かった。そしてパスポートを、彼の本物のパスポートを提示しなが ら、自分がなんと「まとも」になったのだろうと思わざるを得なかった。素晴らしい。それから思い出にふけった。それとも48歳で懐旧とは、この種の楽しみ には早すぎる年齢だろうか?

(洞察が少し遅いよ、ドリアン。)

彼は税関を抜けて、到着ホールへと足を踏み出した。

    * * *

クラウスは、乗客が曇りガラスのドアを抜けて税関から出てくるのを近くでじっと見つめながら、背の高い、恐らくはほっそりした、壮年の貴族的な風貌の紳士を探していた。二日後にボンで会おうという短い手紙に、当たり前のように応えた自分を思い出しながら。

(おれはあんな手紙は無視すべきだった。くず籠にぶち込むんだった。あのくそったれの大馬鹿野郎ときたら、せめて最近撮った写真を入れておくぐらいのことはできんのか。でないと分からんじゃないか!二日前にそう言っとくべきだったぞエーベルバッハ・・・)

自 分自身に毒づいたその瞬間、写真は不要だったことがすぐ分かった。「気障ったらしいやつ」が自動ドアから出てきた瞬間、クラウスは見まごうことなく彼をと らえた。その瞬間はまるでミーシャに一発食らったような衝撃だった。もっとも、ミーシャはすでにこの世にいないはずなのだが・・・

グ ロリア伯爵はそのままだった。背の高い、かすかに日焼けしたその男は、若々しくスレンダーで、同時に筋肉質でもあったし、周囲の賞賛のまなざしを集めてい ることも変わらなかった。彼は髪を若いころより短くしていたが、それでも輝くオーラが首筋を取り巻いているのは変わらなかった。カジュアルな格好で、ジー ンズは若いときのようなぴったりしたものではなく、足元は青いローファーだった。薄い上質の麻のシャツを着て、オフホワイトのコートを羽織っていた。

ド リアンは出口を見た。右の大きな窓の近くに立っている、長身で足の長い、肩幅のがっしりとした体型の男が彼の目を捉えた。その男は窓から離れて、まっすぐ ドリアンの方に向かってきた。伯爵は息をとめた。クラウスは今でも髪を長くしていて、それを後ろでひとつにまとめていた。20年前に漆黒だったその髪はほ とんど灰色に変わっていたが、その色はクラウスの鋭い、日焼けした風貌をさらに際立たせていた。偉大なる将軍の風貌 - 高貴で、大胆で、そしてどうしようもなく魅力的だった。

(エメラルドグリーンの瞳。覚えている通りの。でもあんなに悲しそうなのは見たことがない。でも彼にはいまでもうっとりさせられる何かがある。)

「伯爵?」(素敵な声。トビーの声ほど優雅じゃない。でも似ている・・・ ) 
「少佐?」 ドリアンはためらいがちに呼んだ。

「正 式な肩書きは『元少将』だ。」 クラウスはかすかな皮肉を声ににじませて答えた。「だが『少佐』でいい。」 (じゃあ、退役したんだ。変な感じだ、鉄のクラウスが引退だなんて・・・) 彼らは握手を交わした。鋭い緑の目がドリアンを釘付けにした。(銀髪と、目の周りの皺のせいで、ますます味のある顔になってるみたいだ・・・)

ドリアンは大きく息を吸った。「会ってくれて、ありがとう。」「俺は約束は守る。」クラウスはぶっきらぼうに答えた。「こっちだ。」彼は身を翻して出口へ向かった。、ドリアンは荷物を持ち、微笑をこらえたような顔で彼に続いた。

(昔の少佐のままだ・・・)


* * *


10 分後、彼らはクラウスの車で高速道路を走っていた。少佐は握手と挨拶以来、黙り込んだままだった。ドリアンは少し不安になった。(もうこれ以上話すことが ないってことだろうか?) 彼は考えた。(言いたいことはたくさんあるのに。聞きたい事だってたくさん-きっと彼は『お前には関係ない』って言うんだろうけど。)

“Hast du keinen Blinker, du Armleuchter?!” 少佐は突然怒鳴った。 “Dukannst gleich waserleben!” ドリアンはぱっと微笑んだ。少佐が他の車のドライバーをドイツ語で罵るのを聞いて、気が楽になった。少佐は、変わっていない。

「まっ たくひどいもんだ。」クラウスは文句を言った. 俺の前でウィンカーもなく車線変更なんぞしやがって!馬鹿どもめが!」「いまでもやっぱりメルセデスなんだね。」ドリアンは言ってみた。少佐は鼻を鳴らし た。「最近は何でも電子部品ときたもんだ。それがしょっちゅうトラブルを起こしやがる。何週間か前に、助手席のエアバッグの表示に故障を知らせる赤いラン プが付くようになった。今の車は乗り手では修理できない部分が多すぎる。修理に出したら、エアバッグには当然何の問題もなくて、赤ランプを制御するくそっ たれのコンピューターチップがいかれていやがった。それで500ユーロだぞ!300ポンドより高くついたんだ!」

「モ ダン・テクノロジーってやつだよ。」ドリアンはうなずいた。「もっと教えて欲しいよ。最近のセキュリティシステムってのは・・」少佐は彼をを遮った。「お まえ、まだ泥棒をやっとるのか?」 ドリアンは静かに頭を振った。「エロイカは引退したのさ、ダー・・・いや、少佐。48歳にもなって、壁を登ったり屋根を跳んだりするのは、二十代ののころ より大仕事なんだよ。. 私は素直に負けを認めたのさ。」 今でもNATOの依頼で小さな仕事を請け負うことがあるのは黙っていた。

エ メラルドの瞳が、ドリアンを横目でちらりと見た。「それで、何で食ってるんだ?」「美術商さ、ダーリン。いや失敬、少佐。」「ふん」クラウスは伯爵が口を 滑らせたのを見逃してやった。 (妙なやつだ。) 彼は思った。(20年なんぞとても経ってないような様子で澄ましてやがる。恐ろしいほどだ。)

ド リアンは息を吸い込んだ。「えーと、それで、どこへ行くんだい?」「郊外のトルコ系レストランだ。腹が減っとるだろう?」「少しね。」(ほんのところ、何 か食べる気になるとは思えないな・・・。20年なんか経ってないみたいだ。でもそれが事実だってことは分かっている。そしてそれをとやかくは言いたくな い。)

「トルコ系レストラン?きみ、アジア料理なんか食べるようになったのかい?」少佐はまたふん、と鼻を鳴らした。「タバコをやめて、揚げたイモをほどほどにしろと医者が言いやがる。」言いながら、次の一本に火をつけた。

「なるほどね。」と伯爵は言った。

* * *

オ リエンタルレストランは、こじんまりして落ち着いた、これ見よがしではない雰囲気の店で、ボンの気取らない側面をかいま見せてくれる場所だった。親しみや すいサービスとともに、、メニューにはクスクスや、ファラフェル(粉にした練った豆類の揚げ物)、さまざまな味付けの野菜、サラダ、パンがあり、子羊の骨 付き肉がすばらしかった。ドリアンは食欲が戻ってくるのを感じた。

「さあ、話してくれ。」食後のトルコ式コーヒーを前にして、クラウスは始めた。「なぜ20年もたった今になって、連絡をよこした?」ドリアンは、向かいに座っている男の見慣れた、そして見慣れない顔をまっすぐ見つめた。

「き みの結婚の話を聞いたとき、とても悲しくて、とても・・・傷ついた。」彼は答え、そして反抗的に付け加えた。「でももし君がエロイカが厚かましくも結婚を 邪魔だてすると考えていたとしたら、私にはそんな気は全くなかったよ。」 「おまえがあっさり諦めたのは、正直意外だったな。」クラウスは認めた。

「交通事故にあったんだ。起き上がれるようになるまで、たっぷり半年かかったよ。」「あんな見てくれだけのイタリア製のくず鉄に乗ってりゃ、遅かれ早かれそうなるぞって俺は言ってただろう!」  クラウスは文句を言ったが,が、ドリアンは彼の目に気遣いを読み取った。

「そ うだね。誰にも怪我させなかったのをありがたく思うよ。それに私も完全に回復できたんだし。」ドリアンは続けた。「体が全快した後でも、心はまだ傷ついて いて、悲くてたまらなかった。でも、だからといってこれ以上きみを追い掛け回すのは愚かだと自分でも分かっていた。それにどちらにしろ、もう遅すぎたん だ。きみが結婚して、そのときにはもう半年がたっていた。だから君を忘れることにしたんだ。」彼は肩をすくめた。「最初のうちはうまくいかなかったよ。で も、数年後にトビアスに出会えたのさ。」

「トビアス?」

ド リアンは二枚の写真を取り出した。一枚には、肩まで落ちる脂染みた黒髪に縁取られた、あまり健康的ではではない顔色の三十代後半の男性が写っていた。鷲鼻 で、暗い目がこちらを見ていた。口元は厳しく結ばれていた。「私は、背の高い黒髪に惹かれるんだ。」 ドリアンは付け加えた。

「頭の悪くなさそうなやつだな。」 クラウスは言った。

次 の写真では、その男はドリアンと一緒に写っていた。写真の男は背が高く、針金のように痩せていて、上から下まで黒ずくめの格好だった。髪がずっとよくなっ ていた。きれいに洗って、鎖骨の長さで切りそろえられていた。彼らは庭園のベンチに座って、お互いを見て微笑みあっていた。伯爵は髪を短くしていて、明る いグレーのスーツに身を包んだ姿はは、完璧な貴族的な英国のエレガンスを絵にしたようだった。

「トビアスは美男子じゃなかったよ。」と、ドリアンは言った。「ひどい毒舌家でだったし。角のある性格だったけど、勇敢で忠実で率直でもあった。それに、すばらしい声の持ち主だったんだよ。ケンブリッジで化学の講座を持っていて、学生たちは聞き惚れていたさ。」

(そ の男はどうやらこいつのわがまま放題の手綱を引いて、地上に引き止めておくのに成功したらしいな。) クラウスは鋭い嫉妬から、わざと粗野な口調で言い放った。「連れて来ればよかったのに。お前はもうっちょっと脳みそのあるやつを周りに置くべきだと、俺は ずっと思っとったぞ。」彼は、ドリアンの空色の瞳が、翳ったように暗くなるのに気がついた。彼が悲しいときにいつもそうだったように。

「残念ながらそれは無理なんだよ。彼は二年前に死んだんだ。交通事故で。」

(くそ!おまえは信じられないぐらい下手糞な間抜けだぞ、エーベルバッハ。こいつは恋人を語るのにずっと過去形を使ってたじゃないか。気が付いていただろう。)

「悪 いことを言った。すまん。」ドリアンは肩をすくめた。「でも、一緒にいられた間は幸せだった。美しい十五年間だったよ。」「それはなによりだ。」クラウス はワイングラスを一気に干して、舌に残るコーヒーの味を洗い流した。グラスの足をもてあそびながら、ドリアンはすこしためらった。「奥さんには、今日のこ とをどう言ったんだい?」

「妻には去年先立たれた。」(しまった!) 慰めをうまく言葉にできずに、ドリアンはクラウスの手を包んだ。少佐はそれを払いのけなかった。

「スザンナは善良な妻で、勇敢な女性だった。」

そ の簡潔な言葉が、ドリアンの胸を刺した。彼は愛するものを失った痛みをクラウスと共有しつつ、同時に嫉妬を感じていた。長い間、彼は子供じみた願望にとら われていた。少佐は意地悪で結婚したんだ。私への意地悪のために。後になって彼は思い直した。少佐が私のことを忘れたのは、彼の妻のせいではなく、エーベ ルバッハ家の当主としての責務を果たすためだ。だが今ドリアンは、スザンナという女性が、クラウスにとって大きな意味をもっていたことをはっきりと理解し た。彼女はクラウスにとって、自慢の息子が一人前の家庭持ちの男となったと老父を満足させるため以上の、大切な存在だった。

悲しみと嫉妬にもかかわらず、ドリアンは微笑んでみせた。「勇敢じゃなきゃやってけないよ。きみの妻なんだから。」

「俺 はほとんど家にいなかった。」クラウスは思い出しつつ言った。「家族と過ごす時間はほとんどなかった。」彼の言う「家族」という単語に、ドリアンはひっか かるものがあった。「それって、きみの家族のこと?きみ、子供がいるの?」(その可能性を考えるべきだった。伝統あるエーベルバッハ家がそれを望まないず がない・・・)

「息子だ。ベルンハルドというんだ。」少佐はうなずいた。「今19歳で、市民プールの監視員だ。庭園設計の道に進みたがっとる。」

少 佐が彼の息子について、単なる名前や年齢以上のことを紹介してくれたことは、ドリアンには嬉しかった。少佐は写真を取り出して伯爵に見せた。そこには少佐 と、背の高いブロンドの女性と、クラウスの若いころにそっくりな青年がいた。伯爵の胸が刺すように痛んだ。ベルンハルドは痩せぎすだったが、明らかに父親 のがっちりした体格と長い脚、そして鋭い容貌を引き継いでいた。ブロンドとダークブルーの瞳は母から受け継いだものだった。クラウスの妻、スザンナはかつ てはさぞかし美しいかっただろうと思える容姿で、かっちりとした、知性にあふれた顔立ちだった。

ドリアンは顔を上げた。クラウスは窓の外を見ていたが、外は真っ暗で何も見えず、ただ窓に映るクラウス自身の顔が浮かんでいるだけだった。

「癌 の進行が早すぎたんだ。医者ができることはほとんどなかった。」彼は息を継ぎ、少し黙り込んだ。「遅すぎる感謝と後悔でいっぱいになったよ。俺は良き夫で も良き父親でなかった。本来ならはそうあらねばならんはずだったのに。スザンナは、あらゆる問題にひとりで対処せにゃならんかった。ベルンハルドが小さい ころも、それからヤツが…ドラッグにはまったときも。だが息子については、俺は望んだより幸運な結果を得たぞ。」

「ド ラッグから立ち直ったんだね?」「それだけじゃない。俺は息子と、どういうわけだか友人のような関係を築くことができたんだ。」クラウスは笑みを浮かべ た。それは、ドリアンが知っていた男にしては妙に悲しげな、何故か痛ましい微笑だった。だがその微笑みはドリアンの心を素直に打った。

彼 は写真をじっと見つめた。ベルンハルド・フォン・デム・エーベルバッハの容貌は、父親よりも温和に見えたが、同時にいかついあごと意志の強そうな口元は、 この若者の恐れ気ない覇気を感じさせた。父親の言うことを素直に聞く顔ではない。頑固なエーベルバッハの血がそこにもあった。この息子を育てることは、 『鉄のクラウス』にとって手ごわいレッスンだったのは確実だった。なにしろ少佐は、彼の部下が争って上司の命令に従うのに慣れていたはずだったから。(少佐の部下たちは、いつも「アラスカ行きだ!」って一方的に怒鳴られながら仕事をしていたな・・・)

「なにと笑っとるんだ?」少佐の声がドリアンを回想から引き戻した。「いや、ただ、君の息子くんはきみの若いころとおんなじぐらい気かん坊なんだろうなと思ってさ。」クラウスは鼻を鳴らしたが、ドリアンの意見に論評は差し控えた。

「そ う、私には子供がいない。だからといってトビアスは喜んで私のきまぐれを我慢してくれる男でもなかったな。」ドリアンはトビアスとの付き合い始めの頃のエ ピソードを語りだした。待ち合わせに一時間遅れたら、すでにベッドで熟睡しているトビーを見つけたこと。決して待つ方ではなかったこと、欲しければ欲しい ときに、さっさと押さえつけてくるタイプだったこと・・・

「お おかたそんなとこだろうと思ったぞ。」クラウスは言った。「さあ、懐かしの連中の話もしないか?あのドケチ虫はどうした?ヒゲだるまはどうだ?ジョーンズ は?マフィアのボスはどうした?」「きみ、あだ名まで覚えてるんだね。」ドリアンは笑った。「そう、ジェームズはいまでも私の有能な計理士だよ。いまは ボーナムと付き合ってるんだ。」

「『はくしゃくぅぅぅ~~~~!』は無しか?」と、少佐は皮肉った。ドリアンは微笑んだ。「トビーがよくそう叫ばせていたね。ジェームズにきみより怖い存在があるとすれば、それはトビーだったさ。彼の前ではみんな、蛇ににらまれた蛙のようようなもんだったよ。」

(そ いつは全くたいした男だったようだな。) クラウスは思った。(一度会ってみたかったぜ。) 写真の陰気な男が、伯爵の取り巻きどもを猛然と蹴散らしているところを想像し、クラウスは一種の敬意すら覚えた。この気まぐれな蝶々野郎と15年も暮ら し、言うことをきかん浮かれ頭に見たとおり多少の分別を教え込んだようだ。それも、ずいぶんとまともな方法で。こいつは敬礼もんだぜ。彼は同時に、ドケチ 虫の忠誠心にも驚いていた。ボーナムはいい。しかしクラウスは、正直なところジェームズはいずれ伯爵を離れるのではないかと疑っていた。

「ジェー ムズくんは今でも当家の重要なメンバーだよ。ああ、イタリアのゴッドファーザー?あの古い友人は、なんと私の三番目の姉と結婚したのさ。信じられるか い?」少佐の目が点になった。ボロボロンテはゲイではなかったが、愛人には常に伯爵に似た女を選んでいた。金髪で、ブロンドの・・・。だとすれば、ドリア ンの姉のうちから一人を選ぶというのは非常に論理的な解決だった。

「一 番上の息子はジャンバッツアというんだ。今5歳だよ。下の姫君はドリアーネ。私が名付け親で、3歳さ。」「次に会うときは俺がよろしくと言っていたと伝え てくれ。」「そうするよ。それから、バクチアルの父親のほうはもう90歳を過ぎたが健在だ。息子には今三人の妻がいて、家族の切り盛りに忙しそうだ。」 「ふん。」 「私のほうはこんなところかな。で、そっちはどうだい?部下の諸君は、いまはどうしてるんだ?」

クラウスは新しいタバコに火をつけた。

「俺 のチームは去年の退役のときに解散した。ほとんどの部下どもはNATO情報部の別部門に移ったな。おまえが知っとるやつといえば―、AとGとZは自分の チームを率いとる。それからBは退役してアラスカに移住したぞ。」 ドリアンは大笑いした。いい声だ、とクラウスは思った。

「か らかってるんだろう?少佐!」「いやいや。Bはアンカレッジからきた女と一緒になったんだ。お互い一目ぼれだったらしいぞ。」「そりゃ素敵な話だ。」ドリ アンは、丸ぽちゃでカーリーヘアの男の幸せを祈った。「それで、Gくんが自分のチームを持ってるって?」彼は突然、クラウスの上司があの女装癖のある若い 諜報部員をごひいきにしていたことを思い出した。「それって、あの部長が…」

クラウスは肩をすくめた。「部長は三年前に亡くなったよ。俺がGを推薦したんだ。あいつはあいつなりのやり方で、極めて有能だからな。」「君が推薦したとはね。それを聞いて嬉しいよ。」 ドリアンは救われたような顔をした。

「ミー シャも死んだよ。」少佐は続けた。「あいつの死の少し前に、会いに行ったのさ。娘さんはボリショイ・バレーで活躍しているぞ。エカテリーナ・ミーシャイロ ワナ・アンドロポワという名だ。」「ちょっと待ってくれ、あの世界的なプリマがミーシャの娘だって?信じられないよ!」「俺だって信じられないさ。だが事 実だ。ほかには、そうだな。何ヶ月か前に、ロンドンでロレンスの野郎と出くわしたな。やつはイングランドの郊外で悠々の引退生活だ。半分の歳の若い娘と暮 らしてるとさ。それでだ、伯爵。俺の質問にはまだ答えとらん。なんで今になって俺に会いに来た?」

ロレンスを思い出して浮かべていた微笑は、すぐに消えた。(彼が尋問の名手だってことを、よく覚えておかなくちゃ。)

ドリアンは自分の指を見つめた。そして、不躾なほど正直に答えることにした。

「ちょっ と思い付いただけさ。たぶん私は、きみが老いぼれて太った禿げ頭―きみの部長みたいな―あんなのになってるところを確認したかったんだよ。そしたらきみを 手に入れられなかったことをよかったと思えるから。そう、私は思い出に幕を引きたかったのさ。それで、少佐?君はどうして僕に会う気になったんだい?」

クラウスの目がじろりとドリアンを睨みつけた。虫の好かない上司と比較されて、明らかに気分を害していた。その憤慨はクラウスをとても人間くさく見せていて―、ドリアンは、自分がもういちど恋に落ちたのを感じた。

「俺も同じ理由だろうよ。」 クラウスは手を振って勘定を頼んだ。

* * *

ド リアンの抗議にもかかわらず、クラウスが支払った。そして彼らはレストランを後にした。「少し歩こう。」外に出て、クラウスは言った。「川べりへ出る近道 があるんだ。」外は暗く、冷たい霧雨が忍び寄っていた。 ドリアンは大またで歩く少佐と肩を並べた。しばらくの間、二人とも何も話さなかった。

ク ラウスは新しいタバコに火をつけ、隣を歩いている男を横目で見た。目障りでちゃらちゃらしたやつ。初めて会ったときから、大昔の画家だか作家だかのくだら んおしゃべりで俺をいらいらさせやがって。あの綺麗な手を汚すのが怖かった。手入れの行き届いた爪を折るのが。芸術品のように渦巻いた黄金の髪が、汗をか いてまるでモップみたいに広がるのが。目も当てられない銃音痴。にもかかわらず、事態が最悪のときですら機知に富んで手ごわいやつ。ナイフの達人。完璧な プロフェッショナル-やつの本職、泥棒において。そして魅力的な、くそったれなほどに魅力的な・・・。

そ う、あの頃。深く隠していた欲望が頭をもたげ。次第に押さえつけられなくなった。欲望は次第に強固なものとなり、もはやそれ以上耐えられそうになかった。 だから、無理やり終わらせざるを得なかったのだ―愚かにも女性の助けを借りて。いや、それでも彼は公平であろうとした。結婚前、彼はスザンナに、ドリアン への欲望を告白した。だから、彼女は婚約を破棄することも出来たはずだ。クラウスは彼女に、伯爵を忘れたいという願いを語った。スザンナはクラウスが考え ていたより、ずっと聡明な女性だった。彼女は最初から知っていたのだ、クラウスが彼を忘れることは決してないということを。そしてその上で、クラウスの秘 密を守り、彼を責めることなく結婚を受け入れた。まさにそれゆえに、クラウスは彼女を愛し始めたのだった。女性を愛する可能性の最大限において。

(さあ、エーベルバッハ、この老いぼれの大馬鹿野郎、おまえは今日、蛮勇を奮って自分に正直になれるかね?)

ド リアンは自分自身の物思いに沈んでいた。(最悪だ。ここへきたのは最悪の思い付きだった。私は少佐がすっかり変わってくれていることを願っていた。そした らあっさりこう言うんだ。『ああ、きみにまた会えて嬉しかったよ、元少将、だっけかな?ではまた。』でも…。もちろん彼はそのままじゃなかった。それは私 だって。彼が息子持ちだなんて、なんてこと!私が知っていた鉄のクラウスは、世界中の邪悪と戦っていた。私はエロイカで、この世界は私の遊び場のはずだっ た。そう、ゆっくりと着実に、そうじゃないってことはわかってきたさ。私は欲しいものをすべて手に入れたわけではなかった…。鉄のクラウスは私生活でも数 え切れない戦いを経て、鋼鉄になったんだ。今の彼は悲しげでシニカルにさえ見える。彼の努力をもってしても、この世界はよくはならなかった。この歳でそん なことを信じるのはおめでたすぎるもの。それでも私は、鉄のクラウスが敗北したとは思わない。私は彼がそうであることを願い、そうではないこを願い…。私 は幕を下ろしたかったのに、すべてがもう一度始まってしまったようにさえ思える…。)

「ひょっ として…」クラウスは突然思いついて声に出した。「おまえ、ひょっとしていきなり俺に会いたがったのは…」彼が何を言いたいのか、ドリアンにはすぐ分かっ た。少佐のように数え切れない死に直面した人間でも、歳をとればものごとを別の視点から見るようになる。彼は自分の恐れを口にしたのだ。

「も しかすると、それが私がきみに会いたくなった理由のひとつかもしれないね。私は思いついたのさ。きみが病気だったりしたらどうしよう?それが死に至るよう な病だったとしたら?」 「俺も今おなじことを考えたさ。」クラウスはぞんざいに認めた。「ミーシャが俺をモスクワに招いたことを考えるとな。このことを考えると、俺は行ってよ かったと思っている。それはさておき、俺は健康そのものだ。」

「それはよかった。私もさ。」 ドリアンは言った。「クラウス、私は耐えられないよ、もしきみが…」

クラウスは出し抜けに立ち止まり、彼に向き直った。

「ち がうと言っただろう!」彼は鋭くくり返した。「だがな、俺が愚かにもお前に会うと答えたのには、別の理由があるんだ。俺はな、家庭をもち、父親になって も、お前のことを考え続けていたんだ!くそっ、俺は忘れようとした。忘れようとして、どうしても忘れられなかったんだ!」そう言うなり、クラウスは彼らの 間の距離を縮めた。彼が荒々しく力強い抱擁に伯爵を引き入れて唇を奪ったとき、その指は痛々しいほどにドリアンの肩に食い込んでいた。

「少佐、クラウス…」 彼は圧倒され、恐れすら感じたが、やがて抵抗をやめて抱擁に降伏し、口づけに応えた。

(あの歳月を経て…こんな…)

それは一瞬のようにも永遠のようにも思えた。彼らはお互いを抱きしめあい、霧雨が本降りになるのにも気づかないまま立ち尽くした。やがてクラウスは唇を離した。ドリアンはクラウスの目に激しい決断が浮かぶ前に、彼の表情に怒りにも似た狼狽の色をかいま見た。

「雨だ。」

彼らは小走りに車に戻った。クラウスは濡れそぼった路地から車を出し、高速へ向かった。ドリアンはボン中心部のブリストルに部屋をとっていたが、クラウスは高速を下りて市の南部へ向かった。

「俺の家へ行くぞ。」

彼 らは静かな奥まった通りにある、小さな19世紀末風の建物で車を降りた。クラウスは、フラットの一階にドリアンを招きいれた。少佐の簡素な好みの通りの、 こじんまりした居心地のいい場所だと、ドリアンは思った。彼は革張りの椅子と、本棚いっぱいの書籍と、重厚なオークの机を見て取った。それから彼は別の部 屋に引きずり込まれた。クラウス―『彼の』少佐―しかいない部屋に。肩にかかる灰色の髪と、エメラルドの眼が彼をはっきりと求めていた。力強い手が、初め はためらいがちに、それから次第に明確な欲望を持ちはじめた。激しく無骨な、しかし真摯な口づけが幾度となく浴びせられた。二十年前には垣間見たことしか なかった、だが幾度となく夢に現れ、そして欲望の対象としたその肉体を、ドリアンはついに得た。それは若き戦士の肉体ではなかったかもしれないが、壮年期 の闘士としての理想であり...、かつて夢に見たとおり、すみずみまでが美しかった。そしてクラウスの目には驚きが浮かんだ―自分がドリアンに最後まで導 かれてしまったことに。驚きの色はやがて、悦ばしげな、ほとんど優しいといってよいほどの表情になった―お返しにドリアンの高まりをを満たしてやったとき に。それから彼らは寄り添いあって囁き合い、うたたねをし、再び目を覚まして双方を求め…、慎み深く再びお互いを絶頂へと導き合った。クラウスはくつろい でいて幸せそうに見えた。それは、ドリアンが今まで見たことのない姿だった。

「グローリア卿、おまえが欲しい。」彼は言った。「そのために必要なあらゆる時間をかけよう。」

ドリアンは異議をとなえなかった。

* * *

翌朝、クラウスは目覚めとともに誰かが隣に眠っていることに気が付いた。。それは珍しいことだった。結婚生活を通して、彼が妻とベッドを共にすることはほとんどなかった。ましてや他の誰と…

彼 はもちろんすぐに昨夜を思い出した。ああ。もはや三十代ではないというのは喜ばしい一面もある。ベッドから跳び上がる必要もなければ、大馬鹿者の変態野郎 と怒鳴る必要もなかった。さらにいえば、すぐに起きて何かする必要もなかった。彼は黄金の巻毛の塊と、ほっそりした体が彼の毛布を独占しているのを見つめ た。暑さ寒さは訓練の問題だが、それでもクラウスは背中に隙間風を感じた。ということは、これは原則の問題だ。クラウスは断固として毛布を引っ張った。ド リアンは抗議でうめいたが、毛布を取り上げられてもとうとう目覚めなかった。

「うー ん、早すぎるよ、ダーリン。」彼はくぐもった声で不平を漏らした。クラウスは毛布を脚にかけ、ドリアンにも被せてやった。しかし伯爵ときたら今度は毛布を 蹴っ飛ばしてしまった。「おまえは何が欲しいのか自分でわかっとらんな。」クラウスはそっと言った。ドリアンは寝返りをうって背中を向けた。クラウスは彼 のほっそりした下半身のカーブや、長い足、幅のある肩を見つめた。

(この老いぼれの馬鹿者め、この豪勢な裸の横で目覚めたときには、おまえは56歳になっちまってるという寸法だ。とはいえ、今のおまえにはこれを落ち着いて眺めていられるという利点がある。いますぐこいつをひいひい言わせようってな衝動ぬきでな・・・)

彼は体を折ってドリアンの顔を覗き込み、じっくり眺めた。気品のある横顔だった。目の周りに細かいしわがあり、くちもとの両脇には見慣れない折り目が刻まれていた。伯爵は腕を折り曲げて両手を胸の近くに寄せていた。眠っている彼は、まだなんとか邪気が無いように見えた…。

昨 夜のことに後悔はなかった。かつてすべきだったことを、とうとう実行することを選択したのだ。そして今は慎重にその行為の影響を考えている。冷酷なほどに 冷静でであること。それが彼が今でも生き残っている理由だった。NATOは今でも特別なミッションの相談役として、または若い諜報部員を訓練するために、 クラウスを召集することがある。ついに自分の抑制を解き放つことが出来たことを、彼は悦ばしく思った。昨日の夜のことを、彼ら自身の今後をどう決断するか にかかわらず、彼は大いなる自由を感じた…。


“Guten Morgen, meine Damen und Herren. Es ist fünf Uhr dreißig.
Hier ist Radio Bonn/Rhein-Sieg mit den Nachrichten. – Beirut ...”


(ん?ラジオがアラームになっとる。) クラウスはボリュームを絞った。

ド リアンは、咽喉の奥を不平そうに鳴らして再び毛布を引っ張った。クラウスは眉をしかめてニュースを聞いた。これは普段、彼が波長を合わせる局ではなかっ た。クラウスが一週間前にNATOの訓練で家を空けたとき、ベルンハルドがラジオをいじったに違いなかった。彼の息子はボーイフレンドのスヴェンと少し距 離を置くために、ときどき父親のアパートで夜を過ごすことがあった。

ニュースは終わった。クラウスはラジオを消そうと伸ばした手を途中で止めた。若い男の声が歌いだした。


I can dim the lights and sing you songs full of sad things,  
  灯りを落として、悲しみでいっぱいの歌を歌ってあげよう
We can do the Tango just for two. 
  僕ら二人のだけのタンゴを踊ろう
I can serenade and gently play on your heart strings, 
  セレナーデを奏でよう 君の心の琴線を優しく撫でてあげるさ
Be a  Valentino just for you.
  ぼくは君だけのバレンティノになるよ


クラウスは座りなおし、ドリアンは寝返りを打った。


Oh love – oh lover boy, 
  ああ 愛しい恋人
What’re you doin’ tonight, hey boy? 
  今夜の予定はどうする?
Set my alarm, turn on my charm. 
  ぼくのアラームをセットしてくれ 笑顔も
That’s because I’m a good old-fashioned lover boy. 
  なにしろぼくは昔ながらのやり方の恋人なんだからね


ほんの一瞬、クラウスは誰かが自分たちのことを歌っていると思った。 そしてすぐに、古いQUEENの歌を思い出した。


Oh, let me feel your heartbeat 
  ああ 君の胸の鼓動を聞かせておくれ
Go faster, faster 
  どんどん速くなっているね
Oh, can you feel my love heat? 
  ああ 僕の胸の高まりを感じるかい?
Come on and sit on my hot-seat of love 
  こっちへ来て 僕の熱い愛の座席に座ってくれ
And tell me how do you feel right after all. 
  そしてどんな気分か教えてくれ
I’d like for you and I to go romancing. 
  君とロマンチックな気分に浸りたいんだ
Say the word – your wish is my command.
  何か言ってくれ 僕は君のいいなりになるよ


ドリアンが起き上がって、優雅なあくびを漏らした。


Write my letter  
  手紙を書いてくれ 
Feel much better
  それで気分が晴れるから
Use my fancy patter on the telephone 
  電話で誘ってあげるよ
When I’m not with you, 
  君が側にいない時は
I think of you always ... 
  いつも君のことを考えてるのさ


「おはよう、ダーリン、少佐。これってクイーンだよね?」 クラウスはうなずいた。


I learned my passion in the good old-fashioned school of lover boys  
  この僕の情熱は昔ながらのやり方の学校で学んだのさ


ドリアンはクラウスの気むずかしい顔に微笑んでみせた。それからいっしょに歌い始めた。


Dining at the Ritz we meet at nine precisely ...  
  リッツで食事にしよう 9時ちょうどに待ち合わせだ
I will pay the bill, you taste the wine. 
  勘定はぼくが持つよ 君はワインを楽しめばいい
Driving back in style in my saloon will do quite nicely, 
  僕の車で送っていくよ ドライブはきっとすばらしいよ
Just take me back to yours, that will be fine ... 
  君の家まで送らせてくれ それから…


歌は、あつらえた手袋のように彼らの状況にぴったりだった。 ほとんど馬鹿げているほどに。クラウスは再び鼻を鳴らしたが、ドリアンが彼に飛びついたとき、猛然と彼を抱きしめて、恋人の抱擁に応えた。


Everything’s alright, 
  なにもかも上手くいくさ
Just hold on tight  
  ただしっかりつかまっていてくれれば
That’s because I’m a good old-fashioned lover boy. 
  なにしろぼくは昔ながらのやり方の恋人なんだからね


THE END