このサイトでは、「エロイカより愛をこめて(From Eroica with Love)」を題材とした、英語での厖大な二次創作群を翻訳しています。サイト管理者には原作者の著作権を侵害する意図は全く無く、またこのサイトにより金銭的な利益を享受するものでもありません。私が享受するのは、Guilty Pleasure - 疚しい楽しみ-だけです。「エ ロイカより愛をこめて」は青池保子氏による漫画作品であり、著作権は青池氏に帰属します。私たちファンはおのおのが、登場人物たちが自分のものだったらいいなと夢想 していますが、残念ながらそうではありません。ただ美しい夢をお借りしているのみです。
2013/07/29
The Better Offer - by Anne-Li
The Better Offer
by Anne-Li
概要: ドリアンの姉の一人であるヴィクトリア・レッドは、とあるパーティで一人の男が弟に平手打ちを食らわせたのを目にした。彼女はその男、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐に興味を持った。
作者から:Heathersparrowsに捧げます。舞台設定は80年代前半かそのあたり。
The Better Offer (さらに魅力的な申し出)
レイディ・レッドと呼ばれるこの女性の名はヴィクトリア・レッド。先代のグローリア伯爵の娘で、ということは当然、当代のグローリア伯爵の姉妹ということになる。彼女がこういったパーティ出席することは滅多になかったのだが、今回のディシトリア家の記念パーティへの参加は、同級生だったレイディ・ディシトリアから懇願されたのだった。ヘレナ・ディシトリアとその悪友たち五十名ほどが力を合わせて、「可哀想なクジラを救おう」だかニューヨークだかどこだかの「飢えた子供に食べ物を」だか、お上品なチャリティーのための寄付金集めをしようというのだった。招待状の値段は4,000ポンドで、それはヴィクトリアのひと月の予算には痛い金額だったが、彼女はまばたき一つせずにそれを支払った。当然ながら、友人に気取られるわけにはいかなかったからだ。祖父が彼女に残してくれた遺産基金から毎年彼女に支払われる額面は限られており、父親の遺産からはさらになお少なかった。こういった華やかな社交上の付き合いをほとんど断っているのは、つまりはそういう事情からだった。
とはいえ、一旦彼女が招待に応えたときには、広間の目を集める一番の美女は彼女に決まっていた。他の誰がその地位にとって替われるだろう?なにしろ彼女は”グローリア家”の一員なのだ。一族の特徴である髪、目、非の打ち所のない容貌、生まれついての気品と、英国式に自制のきいた立ち居振る舞いからすら、隠しきれずにこぼれる豊かな官能と。有象無象の女達がどう頑張っても全く太刀打ち出来ない魅力を、ヴィクトリアは食事の節制と、ごく簡単な化粧だけで身に着けていた。その姿は凡百の栽培チューリップの中に立ち交じった、野生の薔薇にも似ていた。彼女は常に同じ宝石を身につけて現れた。パーティごとに違ったアクセサリーを用意できる余裕が彼女にはなかったからなのだが、ブレスレットのひとつひとつ、薔薇をかたどったイヤリング、ずっしりしたネックレスに残る歴史に裏打ちされた逸話を語るだけで、代わり映えしない宝石すら彼女独特の魅力となるのだった。服はさすがに同じ物を毎回は着られず、財政圧迫のもうひとつの原因となったが、数えきれないほど群がる求婚者たちからは彼女の関心をひくための貢物が続々と届くため、ヴィクトリアはそれをかたっぱしから売り払って、それなしでは過ごせない数々の贅沢品の費用に充てていた。
ディシトリア家のパーティのためにヴィクトリアが選んだのは、体の線を際だたせるような滑らかな布で、青地に真紅のハイライトのはいったドレスだった。彼女は常に赤がはいった服を着た。赤がテーマのの服もあれば、差し色が赤のこともあった。言うまでもなく、それはレッド・グローリア家の一員にとってお約束とも言えるコーディネートだった。今夜の服はワルドフライドという新鋭のクチュリエによるもので、駆け出しとしては高すぎる値段設定のせいでまだそれほど知られていなかったが、時流に乗るのは時間の問題だった。ヴィクトリアはその種の才能を見ぬくのに長けていて、ごく初期のうちに上客となり贔屓にしてやることで、その後もしばしば大幅な割引を受けることができた。そういった目利きの能力のせいで、彼女はこういう場でも見劣りしない体裁をこれまで整えてこられたのである。
ヴィクトリアは参加するパーティを注意深くより好みしていた。ヘレナに懇願されたとはいえ、このパーティはヴィクトリアのお眼鏡にかなうものだった。提供されている食事の質はもちろん、パーティの目的が上品であること、そしてなにより肝心なのは、将来の夫にめぐり逢えるかもしれない合理的な可能性。そして実は上記のすべての条件に増して重要な点は、弟とばったり顔を合わせる機会を避けること、だった。パーティに参加する前、彼女はヘレナに弟が来るかどうかを確認してた。幸いなことに、ヘレナはその意味を十分よくわかってくれていた。よくわかっていない連中は『伯爵』の称号に目が眩んでその他の不都合に目をつぶってしまうが、ヘレナはこれまでドリアンが引き起こしてきた数々のトラブルを見聞きしていただけに、率直に腹を割ってどうやってああいう不愉快を避けようかという話をすることができた。
問題というのはつまりこういうことだった。グローリア家の人間というのは、全くなんでもかんでも自分の思い通りに事を運ぼうとする。
というわけでそれが目に入った瞬間、彼女はその場で地団駄を踏みそうになった。もちろんそんなみっともないことはできなかったが。そうするかわりに、彼女は優雅に微笑みを浮かべて弟のそばから離れ、念には念を入れたにもかかわらず弟に出くわしてしまった狼狽から立ち直った。人目につかない物陰でシャンパンを啜りながら、彼女は弟をじっくりと観察した。老化や美貌の衰えなどを期待しつつ。残念ながらその気配は全くなかった。何しろ弟と自分は同じ血筋なのだ。グローリア家の優れた遺伝子。事故か極端な事態でもおこらない限り、彼と彼女はこの先どんどん似てくるはずだった。
彼もまた青と紅に身を包んでいた。ほんとうに忌々しい。青の地は彼女のミディアムブルーとは色合いが違っていたけれど。それでも青は青だった。
非の打ち所のない仕立ての濃紺の夜会服は、彼のほっそりした腰つきと長い足、鍛えられた骨格を言うまでもなくよく引き立てていた。美しく整った顔立ちを後光のように取り囲む、ふわふわした金の巻毛もまた言うに及ばなかった。物憂げな美貌の男の周りを取り巻く小さなハーレムの全員が、彼の口元に注目していた。彼が優雅なしぐさで片手を上げると、金のブレスレットが輝いた。
あとで形だけの挨拶を済まさなければ。愛想良く会釈を交わす。ほほえみを自然に見せるだけの経験は積んできた。お互いに軽く頭を下げる。もしかすると簡単なハグを交わさなければならないかもしれないが、双方とも出来ればそれは避けたいと考えているだろう。夜はまだ早かったが、ディシトリア家の屋敷は広大で、双方が顔を合わさずにいられるだけの余裕は十分にあった。ヴィクトリアはクリスタルのフルートグラスをもうひとすすりし、自分の美しい腰つきがこれ見よがしではないぎりぎりのところで最も魅力的に見える歩き方で物陰を離れた。歩き方に最新の注意を払うと、かき乱された心をかなり落ち着かせることが出来たため、その男に気づいた時には、弟を目にした衝撃で早鐘のようだった鼓動は、ほとんど元通りにおさまっていた。
その男は虎のように歩んだ。無駄のない、しかし力強い優美さにあふれた身のこなしに、ヴィクトリアは目が釘付けになった。その男は長い四肢を、緑の縁取りのついた純白の夜会服と黒のボトムに包んでいた。品があり、だが飾り気の無い意思の毅さを思わせた。肩を覆う長さの髪が、他人の評判などは気にも掛けない性格を示していた。くっきりした鼻梁が、整った顔立ちのなかにあった。しかし何より印象的だったのは、その男からは何らかの危険な気配がすることだった。説明できない女の勘が、素晴らしく上質の遺伝子を持つ男性の存在を感知した。
この男は素晴らしい子供を成すにちがいない。そしてその子どもたちは。私のような母から生まれるべきだわ。
その男が、まっすぐに弟の方に歩いて行くとは!
ヴィクトリアは悲鳴が漏れそうになる喉を必死で抑えながら人だかりを掻き分け、彼女の目の間で起こりうる最悪のシナリオを阻止しようとした。他のどの男でもいい、この男だけは…! もう少しで二人を引き離すのに間に合うところだった。もし彼女の弟が近づく男に気づき、両手を広げてその男を迎えつつ、そちらに足を向けて長い脚で歩み始めていなかったならば。彼女はほとんど絶叫しそうになった。成り行きがどうなろうともいい。眼の前で起ころうとしているこの恐ろしい事態を止めなければ。だが男は弟の頬を音高くひと打ちし、踵を返してさっさとその場を立ち去ったのだった。
この人ったら、弟に平手打ちを食らわせたわ!
ビクトリアはそのまま真っ逆さまに恋に落ちた。
「誰なの、あの方?」パーティがひと段落して、二人で落ち着いて話せる場所に移動してから、彼女はヘレナにそう尋ねた。その夜は当然、さっきの出来事の話で持ちきりだった。
「私もいろいろ聞きまわってみたの。」ヘレナは答えた。その日のパーティの主催者として、彼女にはいくらでもおせっかいになれる権利があった。「その話だと、あなたの弟ぎみったらずいぶん長いことあの男性の…、気を惹こうとやっきになってるらしいわよ。でも脈なしみたいね。」
「素敵なお話だこと。なんて名なの、彼?」
「クラウス・フォン・デム・エーベルバッハ氏よ。貴族の血を引くドイツ人らしいわ。ただ誰も彼の職業を知らないの。」
ドイツ人。ヴィクトリアはちらりと考えた。それはマイナス一点ね。もちろん彼女とてある程度のドイツ語は話せたが、異国に住みたいと考えたことはなかった。習慣も違えば言葉も違う、違う人々の中で暮らすなんて。うーん。でもそうよね、そのフォン・デム・エーベルバッハ、クラウスって人が仕事でイギリスに住んでるなら、英語には問題ないはずだわ。ヴィクトリアはロンドンにまあまあの広さの家を持っていた。もちろんグローリア伯爵のロンドン邸には遥かに及ばないし、あれほどいい地区にあるわけでもなかったが、とにかく、ちゃんとした身分の者が住むには恥ずかしくない程度の物件だった。そうは言っても、あの男の生業はちゃんと調べなくては、と彼女は考えた。念には念を入れるに越したことはないし、それが当然成功への道である。とはいえ、弟が価値の無い男に時間や手間を割くわけはないとも確信していた。
自己紹介だけしておくのもいいだろう。それと、もしかしてダンスでも。その男を探すと、すでに姿を消していた。この場に留まる理由はなにもなく、弟とぶつかる危険も避けたくて、ビクトリアもすぐのその場を去った。
彼女は人付き合いの悪い女性ではなかったので、パーティに出席していたあらゆる知り合いに声をかけて、フォン・デム・エーベルバッハ某に関する情報をかき集めようとした。その名は全く知られておらず、パーティ上での事件を引き合いに出すと、ああ、あの人が、というだけで話は終わるのだった。だがとうとうひとり、友人の従兄弟だという男ががフォン・デム・エーベルバッハ家と取引があると言い、いろいろと情報を提供してくれた。さっきのフォン・デム・エーベルバッハは当代の跡取りでありほとんど知らないが、フォン・デム・エーベルバッハ家自体は古くに商人から貴族となった歴史があり、裕福で知られる一族であったという。戦後は事業も縮小したが、もうあと何世代かが飢えずに食べていくだけの資産はたっぷりあるだろうということだった。実権はまだ父親の手にあり、跡継ぎが家業にどれほど関わっているかは定かではない。どうやら軍かドイツ政府に籍があるらしい。
念の為にもう少し情報を仕入れようと思ったヴィクトリアは、その男が後日ポルフォールド男爵のパーティに出席する予定だという話を聞きつけた。彼女はすぐさま電話をかけ、そのパーティの招待状を確保した。
その夜、彼女の獲物は人の群れから少し離れたところで、あからさまに興味深げに見つめる淑女たちの視線を真正面から受けつつ、それをことごとく跳ね返しながら立っていた。片手にグラスを持ち、ときどきそれを口に運んでいた。矢のようにまっすぐ伸ばした背、純白の上着。その男の外観は充分にヴィクトリアを満足させた。明らかに、ヴィクトリアが求めるだけの毅さを持つ男であるにもかかわらず、無駄な筋肉自慢の見掛け倒しの男ではなかった。
十分な広さを持った方としっかりした背中、だがすっきりとした長身。水泳選手のように、持久力のために鍛え上げられた体つき。すばらしい。まったく彼女の好みにぴったりだった。
ビクトリアは、相手の顔に浮かんだ拒絶めいた表情を無視して近づいた。近づくと、相手は彼女の様子を上から下まで素早く眺め回した。ビクトリアは内心得意だった。今日の服には自信がある。彼女の髪と同じ金の縁取りのある豊かな真紅のドレスは、彼女のゴージャスな美貌をよく引き立てていた。それにこの男ったら、私の胸に視線が釘付けだわ。
「こんにちは。少しお話してもよろしいかしら?私はレイディ・レッドと申しますの。」
鋭い緑の目が、やや細くなった。「グローリア伯爵のお身内ですかな?あのドリアン・レッドの?あなたはあの男に似ている。」
「ええ…、ええ、まあ。伯爵は弟ですわ。」忌々しいことに。「でも…」
「何か?弟ぎみのために、何かとりなしでもとお考えですか?」
「まさか!そんなはずありませんわ、フォン・デム・エーベルバッハ伯爵さま。」
「少佐で結構だ。フォン・デム・エーベルバッハ少佐とお呼びいただければ。」
「あら、フォン・デム・エーベルバッハ少佐。素敵ですわ、軍の方でいらっしゃるのね。弟のために何かをお話に来たわけではないんですの。今わたくし、そんなはずないと申し上げましたでしょう? わたくし個人からのお話をさしあげたく思って。あの、二人だけでお話できる場所を探していただけませんこと?」…例えば寝室とか。だができれば婚約までは許したくなかった。できれば。
彼は何か考えがあるかのような顔つきで彼女を見た。その視線の力強さに彼女は震えた。この男と親密な関係になり、この視線を正面から向けられたら、腰が抜けてしまうかもしれない。鳥肌が立った。だが彼女は自分のたじろぎを遮った。なぜなら男が意味深な微笑をよこしたからだ。いいわね、ヴィクトリア。あなたをこの男に見せつけてやるの。この男の前に差し出してやるの。この男があなたの美の前にひれ伏し、求めるように仕向けてやるのよ…。
「よかろう。煙草が欲しくなったところだ。バルコニーへ出ましょう。こちらだ。」
彼は体をひるがえし、人混みを抜けて大股に歩きだした。ヴィクトリアも後に続いた。男が腕を差し出さなかったこと、女性を待ちもせずにすたすた歩いて行ってしまったことに少なからず面食らったのだが、そういえばこの男はドイツ人だったのだと思い出した。洗練されていない、鈍感な民族。これは彼個人の無作法ではないはずだ。
ヴィクトリアがバルコニーのドアをくぐる間、彼は彼女のためにドアを押さえていた。それは申し分なく騎士道的な礼儀にかなった挙措だったが、この男が果たしてそれを礼儀として実行したのかどうか、ヴィクトリアはやや不審に感じた。なぜなら彼は十分すぎるほど念入りにドアを閉めたからだ。
「さて、レイディ・レッド。お話とは何でしょうな。」そう尋ねながら男は煙草を一本取り出し、手慣れた手つきで火をつけた。
「まず最初に、弟の失礼についてお詫び申し上げますわ。我が一族の恥ですの。」
男は鼻を鳴らし、煙の輪を吐いた。ヴィクトリアが弟の弁解に来たわけではないと知れば、この態度はもう少しマシになるはずだ。彼女はそう考え、続けた。「三週間前に、レイディ・ディシトリアのパーティで、あたなのことを拝見しましたわ。弟があなたにご迷惑をかけて、それであなたは彼の頬をお打ちになった。」想い出すだけで、せいせいした気分になった。
「いい気味だ。あの変態。」
「ええ、おっしゃる通りですわ。伺った話では、弟ときたらあなたにまとわりついて随分いろいろ仕出かしているそうですのね。それがあなたにとってどれほどご迷惑か、考えるだけでも申し訳ない気分になりますわ。実は、私どもの方でも同じですの。私とリヴィアとソフィは姉妹なんですけど、弟のことでは顔を上げて道を歩けないような恥ずかしい思いばかり、もう次から次へと。リヴィアは最近こういう場へは全く姿を見せなくなったんですけど、それもどうやら弟とばったり出くわして以来のようですの。リヴィアったら、何があったのか私にも言おうとしませんわ。弟のことで、よほどいたたまれない目にあったとしか思えません。」
男はもう一度煙の輪を吐いた。「あんたの弟には恥なんぞという感覚はなさそうだな。欲しいものはなんでも我が物になると思っとる。」
ドイツ人は警戒心を解いたらしく、ヴィクトリアの弟に対する嫌悪感を隠そうともしなかった。いい傾向だわ。「仰るとおりですわ。何が腹立たしいかって、弟ときたら何でも手に入れて持って行ってしまうことですの。お話したかったことというのは、そのことなんですの、はくしゃ…、いえフォン・エーベルバッハ少佐。」ドイツ語のGraf、英国の伯爵に相当する敬称は、少佐などという無骨な呼称よりずっと聞こえがよかったが、どうせすぐにファーストネームで呼び合う仲になるのだ。Grafの配偶者の敬称は何になるのだろう?Grafness? なんだかドイツ語っぽく聞こえないわね。あとで調べておかなきゃ。「もしあなたがあの弟をひとつ懲らしめてやりたいとお考えなら、私にいい考えがありますの。欲しいものがなんでも手に入るわけではないと思い知らせてやりたいとお思いなら…」
ぞくぞくするほど冷たい、だが面白がるようにヴィクトリアを見ていた目が、明らかに興味を浮かべた。「どうやって?」
「不躾をお許しくださいませね。先程から申し上げております通り、弟はあなたに…、まとわりついているという話ですわね、それもずいぶん長いこと。」
「間違いない。おれを色気たっぷりの尻軽女とでも見間違えとるようだな。」
「恐ろしいこと。でもよくわかりますわ。それで、お話というのは、弟にそれをやめさせる方法についてですの。」
「おれの上司は民間人を撃つとことを許可してくれんのだ。任務以外ではな。」
彼女は声を上げて笑った。ドイツ人にユーモアの感覚がないというのは、どうやら噂だけの話らしい。「弟は、一旦目をつけたものを諦めるということが殆どありませんわ。でも、ただひとつだけ方法がありますの。そのお話に参りましたの。
「どういう方法かな?」
「簡単なことですわ。わたくしに求婚してくださればよろしいのです。そして、次に弟に会ったときに、『おまえの姉と結婚することになった』と告げてごらんなさいませ。それとも二人でパーティに出席して、弟に見せつけてやってもいいかもしれませんわ。手に手をとって、見間違えようのない格好でいるところを。弟はきっと致命的なショックを受けて、こっそりと身を隠すにちがいありませんわ。その後、あなたが彼に悩まされることは二度と無いというわけです。」
彼女はその様子を脳裏にありありと思い描くことが出来た。ドリアンがどれほどショックを受け、戦慄するかを。そしそのまま順調にことが進めば、ヴィクトリアは婚礼の式への招待状をドリアンへ送りつけるだろう。その栄光の日に欠席することは。一族の誇りからしてもドリアンに許されないことだ。そこで弟は存分に見せつけられることになる。この栄冠を勝ち取ったのは自分ではなく、姉なのだと。そういえば彼は、家族のうちたった一人の男性なのだ。ヴァージンロードを一緒に歩く役割を、亡くなった父の代わりに果たしてもらうのもいいかもしれない。そして新婦を、新郎へ引き渡すのだ。
想像は尽きなかった。なにより重要なことは、ドリアンに思い知らせることだ。おまえが追いかけていた男は、おまえではなく、姉の私を選んだんだよと。
「やつを寄せ付けないように女を連れ歩いてみたこともあるんだが、何の役にも立たなかったぞ。少し前の話だがな。」
『女』という言い方が癇に障ったが、ヴィクトリアはぐっと呑み込んだ。この男は『女』という単語をごく一般的な意味で使ったに違いない。そこには私は含まれていないのよ。
「あら、でもそのときのお相手はあの弟の姉妹ではなかったわけでしょう?ねえ、ご覧になってくださいな、Graf…、フォン・デム・エーベルバッハ少佐。」彼女は自分の体つきを十分に見せつけるために一歩下がり、両腕を誘惑的にくねらせて体の曲線に沿わせた。ドレスの布がぴんと張りつめ、豊かな胸が突き出した。「ドリアンがあなたに与えられるもので、私が与えられないものは何もないと思いますわ。そう、あなたが…、あなたもまた弟の同族であるとでも言うのではない限り。わたしをお選びいただければ、弟は完全にあきらめますわ。」
どうやらドイツ人はいろいろと考慮を始めたようだった。視線が、彼女の肉体に釘付けになっていた。彼は次の煙草をくわえ、煙草には全く注意を払わないまま、手慣れた手つきで火を付けた。あきらかに、ひどいチェインスモーカーだった。喫煙癖だけはいただけないわね、と彼女は思った。やめるように仕向けなければ。どの程度吸うのか、調べる方法はないかしら。
「あんたの弟がおれに提供できることは、あんたにだってできると言うわけだな。」男は繰り返した。
彼女は自信たっぷりにうなずき、腕を自然な位置に戻した。
緑の瞳が、さらに注意深く彼女を眺め回した。彼女はその視線を物理的に感じたような気さえした。脚を、腕を、胸とその他すべての彼女の肉体を撫で回す視線。なんて素敵。
「あんた、ものの数秒でドアの鍵を外せるか?」
ドアの鍵?外す?何の話なの?「私のインテリア・デザイナーなら…」
「五分以内で金庫を破れるか?監禁室から半時間以内に脱出できるか?」
「…何をそんなにお急ぎなんですの…?」
「では柔道か空手の心得はお持ちかな。小競り合いのたびごとにあの男の加勢に回らねばならんのが面倒でな。そっちはそっちでやってもらえると助かる。」
「そんな野蛮なこと、したこともありませんわ!」
「男をたらしこむのはお得意かな?」
そしてドイツ人は瞬きをし、感に堪えんとでも言いたげな声を漏らした。「まともな男がだぞ・・・、あれはなんというか…、あんたは知らんだろうが…、とにかく完璧な女に化けやがるんだ。だがやつはもちろん男にも化ける。必要さえあればな。あの野郎ときたら、一度なんぞこのおれを完全にコケにしやがった。ただの道路工事人夫だとおもったら…。で、それがあんたにできるか?」彼はヴィクトリアの豊満な胸に目を落とし、眉をしかめた。
「たらしこむって何の話!あなたやっぱり同性愛者なの!?」
彼は瞬きをした。「それとこの話になんの関係がある。あんたが弟ができることならなんでもできると豪語するから、ひとつずつ確認しとるだけだぞ。まあいい、もう少し具体的な状況で考えてみよう。アラスカの僻地の山小屋でにっちもさっちも行かなくなったとする。周りを狼とロシア人に取り囲まれた。そこで物音が聞こえた…、」
「なんですって?ロシア人と狼?アラスカ?」彼女は一歩引き下がった。「あなた一体、何を…?」
「せめて銃ぐらいは使えるだろうな?あの男、こればかりはさっぱりだめだ。獲物に銃口をぴったりくっつけてでもなければ、引き金を引いてもかすりもしない。」
「銃!触ったこともありませんわ!」ドイツ人ときたら銃マニアばかりだ。戦争のたびごとにそうだったはず。それにしてもこの妙ちくりんな質問ときたらなに?頭でもおかしいの?
「フン。で、有能な計理士はお持ちかね?寝ぼけながらでもおれの税金を正確に算出したうえで、それを半分に節税できるような方法をひねりだせるような計理士は?SISの役立たず職員に知り合いは?世界中の裏の世界にコネはあるんだろうな?おれのせいでさんざん痛い目にあう覚悟はどうだ?細身の剣一本でアラブの王族との決闘を受けて立つ準備は?ナイフ投げで人を殺せるか?」
彼女は答えるすべもなく、口を半開きにしたまま立ち尽くした。
フォン・デム・エーベルバッハは鼻を鳴らし、煙草の灰を落とした。「ということはつまり、あんたにあってあの男に無いものといったら、これだけということだな。」彼は正確にヴィクトリアの胸の谷間を指さした。「それからこっちか?」言いながら、指先が降りて彼女の足の間を指した。
「な…、な…?」
彼はさらに上半身を倒した。「子供を欲しいと思ったこともないのでな。だからそれも何のメリットにもならん。おれにはすでに跡継ぎがいる。親戚の坊主だ。おれにはそれで十分だ。あんたの見てくれは悪くない。美しいといわれることも多かろう。なにしろあの男にそっくりだ。あの男も…、いや、いい。それにあんたは随分立派なもんを持っとる。」
少佐は彼女の胸の谷間をたっぷり鑑賞する目つきで覗きこみ、視線を這いまわした。それから不意に声を落とした。まるで突然、立ち聞きされるのが心配になったように。「女の胸というのも悪くない。というより、むしろ好きだといってもいい。まあ大抵の場合、ふたつ揃っとるしな。男についとるあれはなあ…、おれは同性愛者ではない。うじうじ決めかねとるわけでもなければ、両刀どっちも同じようにいけるというわけでもない。言わば、そうだな…、野郎のあれと女のおっぱいとを比べてどうかといえば、好みで言えば四分六というところだ。おっぱいの勝ちだ。だだな、おまえさんの弟のあの『四割のあれ』が、たいていの女の六割のこれよりも、おれのこの旺盛な食欲をたっぷり満たしてくれるのさ。で、結論だが、」彼は肩をすくめた。「あんたの弟の勝ちだ。」
そして彼は体をそらし、声を元の大きさに戻した。「それから言っておくと、おれはおまえさんの弟に首ったけだ。はっきり言ってのぼせあがっとるんだ。」
ヴィクトリアは、悲鳴とも怒号とも付かない叫びを残して走り去った。
クラウスはその背を見送った。そしてその場を去った彼女の背後でドアをがっちりと閉め、室内の音楽と喧騒とを遮り、「顔を引っ掻かこうとせんだけ、前回よりマシだったな。」と、ひとりごちた。
暗闇の中から何かが姿を表した。石の手すりに腰掛けた人物が、長い足をドイツ人の前に伸ばしてきた。月光と室内からの灯りに、その男の豊かすぎる金髪の巻毛がくっきりと浮かび上がった。これほど目立つ存在がどうやってその身を暗闇に溶け込ませることが可能なのか、クラウスにはどうしても理解できなかった。
「リヴィアはいつだってヴィクトリアよりお転婆だったからねえ。」ドリアンが口を開いた。
彼は風のように自然な動きで立ち上がり、両腕を誘惑するするように広げた。クラウスは両開きのドアの向こうのパーティの喧騒をちらりと見遣り、ドアのガラスにべったりを顔をへばりつかせでもしない限りは、中からバルコニーの様子は見えないだろうと判断した。そこで彼はドリアンに近づき、ドリアンの力強い両腕の中に自らを埋めた。腕が、クラウスを愛撫した。片手は彼の方を、もう一方は背中をたどるように下へ降りて、尻を掴みあげた。そのひと押しで、双方の下半身がぴったりと合わさった。ドリアンのものはすでにそそり立っていて、下着の中の大きな塊がクラウスを突いた。クラウスがさっと体を引いたので、お互いの体のその部分の布越しの接触は終わった。
「任務に戻らねばならん。」クラウスはたしなめた。マイクロフィルムの受け渡しまでには、あと五分もない。これ以上部下どもに濡れ場を見られたら、おれは上司に申し開きができん。それにしてもクソ忌々しい。おまえの姉どもときたら、いちいちおれにちょっかいをかけんと気が済まんのか?」
放埒な、だが満足気な微笑がドリアンの顔いっぱいに広がった。「私の一族は趣味がいいってことじゃないかな。エーベルバッハ一族の特徴の何事かが、わたしたちを惹きつけてやまないのさ。何事も前向きに考えようよ。二人分はすでにすませんたんだから、残ってるのはたったの一人。今月中にソフィアの件も済ませちゃおうか。」
「おれという肉の塊を見せびらかしながら歩いとるつもりか、おまえは。」
ドリアンはクラウスに体を寄せ、もう一方のの手もクラウスの尻に這わせながら、素早く唇を奪った。「そうさ、最上級の…」キスをもう一度。「肉汁たっぷりの…」またもやキス。「世界で最も美味なる肉、それがきみの肉体さ、クラウス。ヴィクトリアもリヴィアも、ソフィーにはなんにも話さないだろうから、ソフィーとのことも見ものだねえ。けちけちしないで、たっぷり楽しませておくれよね。」
「わかった、わかった。なんでもしてやるさ。」
「それと7月の私の誕生日には、まだ私の母が残ってるからね。」
「なんだと?! おいドリアン、いくらなんでもそれは…」
クラウスの抗議はドリアンのキスにふさがれた。さっきのバタフライ・キスとは打って変わった、情熱的で粘っこいキス。クラウスは問題を先送りにし、自堕落な舌のもつれ合いを存分に楽しむことにした。室内に戻る時間が迫っていることを承知しているクラウスは、頭の一角で残り時間を計りながらドリアンの舌を味わっていたので、そのドリアンの方から唇を離したことに少なからず驚いた。とはいえ、ドリアンの両手はまだ未練気にクラウスの尻への愛撫をやめないままでおり、クラウス自身の前もそれ以上の成り行きを求めて、不穏気に鎌首をもたげ始めていたのだが。
「ところでクラウス、きみはヴィッキーをこっぴどく振ってみせたよ。余は満足である、とでも言っておこうか。よって、そなたには褒美を取らせよう。」
ということはつまり、ヴィクトリアのおっぱいを小声で褒めたあの部分は、ドリアンには聞こえていなかったわけだ。助かった。胸だけは自分にないものだと、ドリアンが拗ねたことがあったのだ。で、褒美ってのはなんだ?悪くない申し出だ。こういうときのこいつはやけに気前がいいし、思いもよらんことを言い出したりするからな。
「いったい何だ?」クラウスは尋ねた。
「こういうのはどうだい?さっさと任務を終えて、二人で家に戻るのさ。今夜はきみが上でいいよ。」
不意の興奮でいきなりあそこが勃った。ドリアンはめったに、めったにめったにめったにめったに、それをさせてくれないのだ。普段はまあそれでもいい。というのもクラウスはどちらかといえば、ええと、うむ、…まあいい。ドリアンの『四割のあれ』ときたら全く働き者で、また持ち主の方も使い方をよく心得た海千山千の技巧派の熟練の達人なものだから、クラウスとしては普段の夜の営みについては特に不満もないのだった。
だがほんのときおりドリアンが寛大にもそう申し出てくれることがあり、その『たまのごちそう』ときたらいや全くもう格別の味わいで…、双方ともちょっと手を付けかねるほど乱れた夜になってしまうのが常だった。と、ここまで考えた時、ドリアンの瞳が光を受けてきらりと輝いた。クラウスが何を考えているかなど、とっくにお見通しらしい。
「とっとと任務を終わらせるぞ。」その言葉を実行すべく、クラウスはドリアンのけしからん手つきから身を離し、広間へ戻る両開きのドアの方へ向かった。ドアをあける前に短く息を付き、パーティ好きの不埒な女達をこれ以上刺激しないよう、半勃ちの具合をなんとか目立たず調整すべく前をまさぐった。
やつの母親が言い寄ってきた時にこっぴどく振ってみせたら、もう一回上でやらせてくれるのか? クラウスはそう考えてみた。もしそうなら、おいしすぎてとても抵抗できん申し出だと言わざるを得んな、実際。
The End
作者から: 少佐はハンサムな男性です。だからほかのひとからも、クラウスへの賛辞を言わせてみたかったの。それでもやっぱり、クラウスはドリアンを選ぶのよね。説明しにくいけど、そういう話です。
訳者から:私はこの作者さんの書く、マチュアな男性たちであるこの二人が大好きなのです。
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