By the Pen - Peripeteia
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注意:ティリアン、ドリアン、クラウス、クラウスの父、エーベルバッハ家の執事、その他のエロイカ関連の登場人物はすべて青池保子氏の財産です。私が彼らに加えた加工は、彼女の責によるものではありません。その他の人物は存在しません。また、エーベルバッハ市は実在しますが、私は独自にそれを脚色しており、歴史等にも改変を加えています。
前書:発表前に校正を引き受けてくれた読者たちに感謝します。Theresa, Ruth S., Masae そして Lisaは私を激励し、エロイカ世界に関する詳細を確認する手助けをしてくれました。この物語は彼らによって、より素晴らしい物語になったのです。
Peripeteiaとは、事態の激変をあらわす用語。ドラマの流れが悲劇へと舵を切り、カタストロフへと向かうその瞬間を指す。
Peripeteia
by Sylvia
厚い雲に遮られた日没の中、エーベルバッハ一族の居城が暗い影を従えて聳え立っていた。城は比較的近世の建築だった。11世紀に建造された本来の城郭は、エーベルバッハの血統に割り込んだ悪名高いティリアン・パーシモンによって16世紀には完全に取り壊されていた。新しい城郭の建設が始まる前にそのティリアンが爆破された自艦と運命をともにしたという一報を受けても、新しく縁戚となったエーベルバッハ一族には嘆くものは一人もいなかったと伝えられる。
ティリアンは悪辣にも、財宝を部下や船と一緒に沈めることを選んだ。エーベルバッハ一族はかつての権勢と栄光を取り戻すために、あらゆる手段を頼らざるを得なかった。彼らは収奪し、没収し、差し押さえることで、一族の財産を再び築き上げようとした。それには二世紀以上にわたる期間が必要だった。そしてついに現れた当主が気取り屋ウォルター・フォン・デム・エーベルバッハである。彼は同時代の親族たちからは不当なまでに鼻つまみ者の扱いを受けていたが、口舌滑らかな廷臣の常として財富の蓄積に長け、虚飾の城の再建に成功した。彼は体裁を重んじる男であったが、目的のためなら裕福な商人の娘を娶ることすら是とした。妻を人目につかぬ場所に押し込めておけばよいのだった。こうして、エーベルバッハの栄誉ある家系は引き継がれた。誇るべき壮麗さで。
エーベルバッハの血統はそれ以後も以前も、収奪者であり略奪者である子々孫々を輩出し続けた。末裔たちには無慈悲な犯罪者、残忍な専制者、とめどなく無節操な快楽主義者、もしくは野放図な豪傑たち・・・、ありとあらゆる者たちがいた。そして今日、数世紀にわたる栄枯を経て、一族はさらに成長し、繁栄していた。
その子孫たちのうち、本家の血筋の最も若いひとりが車を駆り、華麗に照らし出された城の主館の窓を凝視していた。城郭は、無節操な享楽主義者であるウォルターが、妻のリゼル、エリザベータ・フォン・デム・エーベルバッハの父である成金の香辛料商人、ユップ・ミュラーの援助下に再建したものとしては、趣味のわるくない造りだった。ウォルターは犯罪者ではなかったが、虚言に長け、裏切りと収奪と殺人についてもなんの躊躇もなしにやすやすと実行することができた。節操を持ち合わせていないわけでもなかったが、冷酷さと残酷さととを見る限りは良心とやらをを放棄したものとしか思えなかった。
その歳若い末裔は、血筋の過去は差し置いて彼自身の義務と正義の感覚に奉仕していた。だが時折、自分の意思は祖先たちに枷をはめられ、束縛されているのだと感じることがあった。その思いが静脈の中を駆け巡るとき、血液の中で抑えようも無く荒れ狂うときなどには、彼は常に血脈の過去を想い起こした。
どのくらいそこに座っていたのだろう。彼自身の家系に関するさまざまな歴史の断片が、その若い男のの胸中を漠然と浮遊していた。太陽はすでに城の東塔の背後に沈んでいた。城の敷地内に入ったときには、すでに黄昏だったのだだろうとクラウスは思った。
割れるような頭痛を覚えた。
数日前、二重、もしかすると三重スパイかもしれない所属不明のエージェントとの小競り合いの際に、クラウスは固いレンガの壁に側頭部を叩きつけられていた。だがこの頭痛がそのせいだとは彼は思わなかった。
婚礼。クラウスは婚礼を忌み嫌っていた。
車はすでに屋敷の車寄せに到着していた。さっき敷地の正門が開く音を聞いたような気がしたが、気に留めていなかった。自分が周囲の状況へのしかるべき注意を怠っていたということに気づき、クラウスはややたじろいだ。無益な物思いを振り捨て、すばやく煙草をもみ消して車の外に出た。スーツケースを手にして屋敷の入り口に向かったとき、次の車が到着が背後に聞こえた。
クラウスは振り返らなかった。誰であろうがかまわなかったし、誰とも顔をあわせたくなかった。くだくだしい挨拶が面倒だった。
正面玄関への階段を上がりきったところで、執事がドアを開けた。いつもと同様に落ち着いて冷静な出迎えだった。(窓からおれの到着を確認しとったな、執事め。)クラウスは執事の顔を見てそう考えた。
「ご主人様。」執事は微かに高揚した声を出した。「ご主人様と男爵さまを同時にお迎えできるとは、なんと光栄なのでしょう。さあ、お父上もお喜びです。」
クラウスは明らかな嘘に反応してやるのはやめにして、恒例の苦行の場にそのまま赴くことにした。「フン。」返答の代わりに、無愛想に鼻を鳴らすだけにとどめた。
見覚えのない若い娘が執事の脇から現われ、鄭重に礼をしてクラウスからスーツケースを受け取った。ブリーフケースに手を伸ばした瞬間のクラウスの反応に、彼女は怯えて後ずさった。クラウスはその娘が17歳前後で身長が167センチ、やや小太りだが目立つほどでもなく、髪を暗い臙脂に染めているが本来はくすんだ茶色であろうことを一瞥で観察した。瞳はグレーで、コンタクトレンズは色つきのものではなかった。鼻は小さめで尖っており、変装でこう作るのは不可能に近いだろう。
素性の知れない娘、おそらくは今日のために一時的に雇い入れた学生だろうが、彼女は執事から叱責するような視線を浴び、自分がどういう失敗をしでかしたのか分からずにまごついておいた。あきらかにに、預かるべき荷物とそれ以外の貴重品の区別をつけられないでいるだけだった。
クラウスはやや気の毒な気分になり、彼女にブリーフケースを渡してやった。娘はそのせいでスーツケースを倒し、狼狽のあまり半泣きになった。クラウスは娘と唖然とする執事を押しのけ、歩きながらコートを脱ぐとそれを執事に手渡して屋敷に入った。
ブリーフケースには白紙と鉛筆と煙草以外には何も入れていなかった。鉛筆の先はよく尖らせてあり、最悪の場合には自衛の武器として使える。親族と使用人とその他の野次馬どもが右往左往する屋敷に、機密書類を持ち帰る気はそもそもなかった。それに、屋敷には屋敷の面倒がいくらでもある。
例えば屋敷で彼を待つこの人物など。
「おまえはまだ髪をそんなみっともなく伸ばしておるのか。」テオドア・ウォルター・フォン・デム・エーベルバッハ男爵の声が大広間の向こうから届いた。男爵の口調は低かったが、ドアから階段の下までくっきり通る声だった。親しい友人以外の相手には、男爵は常にその口調を使った。紛れもない命令口調であり厳密この上なくまた冷酷な、我が指示への返答は服従でしかありえないという鋼鉄の確信に満ちた声だった。
クラウスは鼻に苛立たしいむずがゆさを覚え、上唇がゆがむのを感じた。これほどまでにはっきりとした本能的な反射に、クラウス本人ですら驚いた。彼はとっさに頬の内側をかみ締めて、自分でも説明できないほどに不合理な激怒を抑えた。血の味がした。「この男は俺を支配する権限を持っている。」彼は自分に言い聞かせた。「これはおれの父親だ。この屋敷の主人だ。反抗してはならない。それがどうしても必要という場合以外は。」
「今のままで特に差支えを感じません。」感情を押さえつけることに成功し、クラウスはそう応えた。
男爵であり、エーベルバッハ家の当主でもある男が、寄木細工の床にはめ込まれた紋章を横切ってクラウスに近づいた。挙措の隅々にまで、誇り高い家系の血筋と尊厳が顕れていた。銀髪が朝の光を受けた霜のように混じり気なく白かった。いくつも誂えた上品で趣味のいいデザイナー・タキシードのうちの一着を、今日もやすやすと着こなしていた。クラウスはもう長い間、そういった姿の父親しか見たことがなかった。そのため、父親にとっては軍服以外ではそれがもっとも自然な服装のように思えた。
男爵は彼の目の前で足を止め、しばらく間をおいた。クラウスは父親が手を差し出すか、自分の肩をたたくかするのだろうかと考えた。だがそのようなことは起こるはずもなく、クラウスは手を後ろで握り締めて軍隊式の「休め」の姿勢のまま、まっすぐに立っていた。
父親は、クラウスの頭のてっぺんからつま先までをじろじろと眺めた。唇は不満げに引き結ばれていた。今日は何が父親の不興をかっているのかクラウスには見当もつかなかったが、確定できない事実に心を悩ませるのは愚かなことだという結論を、彼はとうの昔に導き出していた。この父なら、息子に対する不満をいくらでも数え上げそうだった。ほとんど数限りなく。取るに足りない些細な点や、なにか不適当な行為、ごくまれにクラウスの何かが父親の要求する水準を満たしていなかった場合、クラウスから身体的な攻撃を受けたという同級生やその保護者からの抗議、割れた窓ガラス。それから一度などは、とうとう隠し切れずに見つかってしまった拾い猫の件・・・。そう、父親は不満の理由には事欠かなかった。
父親の習慣的な非難になんらかの返答をしようとする努力はもうとうにやめており、老エーベルバッハの冷たい凝視に萎縮していた頃に自分が何を感じていたのかは、今となってはほとんど思い出せなかった。そもそもクラウスは萎縮などする性質ではなく、本当の意味で卑屈さなどを感じたことは金輪際無かった。それは彼の父親が彼に認める、数少ない美点のひとつだったかもしれない。
「ほとんどの客人は昨夜か今朝のうちに到着しておる。」クラウスの父はとうとう口を開いた。「エーベルバッハ家の息子はどこだと嫌になるほど尋ねられたぞ。」
「国際情勢が一族の私的な会合に優先されるべきことは、お分かりいただけるかと思いますが。」クラウスは平静な声で答えた。
「わかっとるだろうが、アントンはお前より若い。」
命令口調はいまやはっきりと非難の口調になっていた。クラウスはまっすぐに立ち、あごを引くように努力した。必要がない限り、反抗的な態度を見せてはならない。
「存じております。」クラウスは冷ややかな返答を返した。ひょっとすると黙っていたほうがよかったのかもしれない。沈黙のほうがまだ、同じ意味の返答をましに伝えられたのかもしれなかった。
「ヴォン・ターニス伯爵夫人に返事をしておいたぞ。おまえは明日、夫人の娘たちを連れてエーベルバッハの街を案内してくるがよい。」
クラウスは無表情を保つよう努力した。以前にも同様のことを命じられた折に、彼はそのその知性に欠けた娘たちをひどく怖がらせたことがあった。だが彼女たちは夫候補者よりもさらに自分の母親を恐れており、クラウスとの結婚をお膳立てしようとする無慈悲な試みに逆らう勇気がないようだった。クラウスは母親を威嚇しようと試み、無様に失敗した。彼女のその仕立ての良いドレスには防弾処理が施してあり。その中には秘密兵器でも隠してあるかのようだった。共産主義者ですら脅しに屈して結婚するか、季節がめぐる前にシベリアへ逃げ出しすかもしれない。
「了解したしました、父上。」クラウスは歯を食いしばった。
「さっさと部屋へ行ってもう少しまともなものに着替えて来い。こんなに遅れおって。」
クラウスは賢明にも頭を下げるだけにとどめ、その場を去る父を見送った。それから緩やかに曲がる階段を一直線に駆け上り、速度を落とさないままに廊下を通り抜けて自室へ入った。クラウスはいつもこの速度で邸内を歩いた。走行よりはやや遅い速度が必須なのは、廊下を走ることは許されていないためだった。そして通常の歩行よりは素早いのは、敏捷さに欠ける動きもまた叱責の対象であるゆえに。
どこかで今すぐ自分を必要とするような国際紛争が勃発しないものか・・・、クラウスは絶望的に祈った。
「勇気を持て。」聞きなれた声が彼自身の内部から響いた。氷と鉄の壁とめぐらせろ。抵抗することに逆説的な歓喜を見い出せ。戦うと決めたならば最後まで戦い、決して敗北を認めるな。
<続く>
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