このサイトでは、「エロイカより愛をこめて(From Eroica with Love)」を題材とした、英語での厖大な二次創作群を翻訳しています。サイト管理者には原作者の著作権を侵害する意図は全く無く、またこのサイトにより金銭的な利益を享受するものでもありません。私が享受するのは、Guilty Pleasure - 疚しい楽しみ-だけです。「エ ロイカより愛をこめて」は青池保子氏による漫画作品であり、著作権は青池氏に帰属します。私たちファンはおのおのが、登場人物たちが自分のものだったらいいなと夢想 していますが、残念ながらそうではありません。ただ美しい夢をお借りしているのみです。

2011/07/28

7月のある日

   
   

ロ イヤルメールの郵便配達車はクラシックな赤である。 田舎の館の管理人にはしばらく来ないようにと連絡してあった。ここへの訪問者はないはずだがと思った伯爵は、近づく車の音を聞きつけて、二階の書斎の窓か ら門のあたりを見下ろしていた。赤い車から降りた配達人は館の門の外の郵便受けに封筒を放り込み、門鈴を一押しすると去った。伯爵は読みさしの本を伏せ、 下へ降りた。イングランドの爽やかな夏を読書で過ごすとは、なんと人生の楽しみ方を知らない愚か者だろう、私は。ましてや今日は自分の誕生日だというの に。

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いい歳をした大人が誕生日を祝うなどというのは馬鹿げたこと だ。少佐は常々そう思っていたし、今もその考えに変わりはない。しかし、夕食時に執事がうっかり「今年は伯爵様からお花が届きませんね。」と口をすべらせ たのを聞いて、なにやら思い当たらざるを得なかった。ほう、そうかね。今までは花が届いていたのか。少佐はそもそも自分の誕生日に毎年花が届いていたこと すら覚えていなかった。必要のない事項はすぐに忘れることにしていた。脳内の容量は決まっとる。俺は記憶に優先順位をつけねばならん。

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伯 爵が門扉に備え付けの錆付いた郵便受けをこじ開けると、エアメイルが一通入っていた。差出人の名はなかった。彼は書斎に戻った。家紋の刻印のある銀のレ ターナイフは、普段なら華麗にひらめくだけで私信たちの衣を剥ぎ取るはずだったが、今日はそうはいかなかった。伯爵は慌しく、拙い手つきでナイフを使っ た。

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花の代わりのものはすでに受け取っていた。あの野郎、こっ恥ずかしくも職場宛にカードなんぞ送りやがって。差出人不明の封筒から微かにのぼる薔薇の香りを嗅ぎ取った瞬間、少佐は体の奥でうずく鈍い欲望を抑えた。薔薇は官能のサインだった。

生成りのエンボスの封筒には、ブルーグレイのインクで手書きの宛名があった。あいつの字はこういう字か。少佐は封を切らず、そのまま自宅へ持ち帰った。バースデーカードの入った優雅な封筒を無粋に折り曲げ、上着の胸ポケットにしまい込んで。


 夕 食後に書斎で、少佐は折り曲げた封筒を取り出した。封筒は、伯爵家の薔薇の紋章を押した深緑の蜜蝋で封印されていた。古風なこった。少佐は鼻を鳴らした。 気取り屋のあいつらしい。乱暴に封を切り、カードを取り出すと、それは少佐の知らない何らかの古典絵画のカードだった。何の謎掛けだ。いずれにせよ、少佐 には調べてやる気はなかった。カードにはラテン語でなにかの文句が書いてあったが、それを読む気もなかった。幾通りものヨーロッパ語に通暁しながら、中学 時代にラテン語の教師につきまとわれた経験から少佐はラテン語を毛嫌いしていた。現実に使われていない言語を学ぶのは無駄だとしか思えない。

あ いつのお遊びには付き合いきれん。くだらん。カードと封筒を握りつぶそうとしたとき、少佐は封印を解かれた蜜蝋の中に微かに光るものを認め、手を止めた。 親指の腹でそこを撫でた瞬間、微かだがはっきりとした感触にそれが何であるかがわかった。巻き毛だ。あいつの、黄金の巻き毛だ。

送り手は、明確な意図を持って封印の蜜蝋の中に自身の一部を封じ込めたに違いなかった。

蜜蝋の深緑。誰かの瞳と同じ色の。黄金の巻き毛が深緑の蜜蝋に捕らえられ、組み敷かれ、息も絶え絶えに振り返り、誘うように緑の瞳を見上げている。私はきみに捕らえられ、封印されている。来てくれ、少佐。早く私を解放してくれ。

心臓をつかまれたような気がした。声が出そうになり、緑の瞳の男は、かろうじてそれを抑えた。

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「解放してくれ、少佐。お願いだ。今すぐ、ああ。」

「…それは命令か。それとも哀願か。」

「両方だよ、少佐。私はきみに服従し、同時に君を支配している。きみも同様だ。私を支配し、私に服従しているのさ。」

「どの相手ともそんな風だったのか、おまえは。」

「い いや、それはちがう。私を支配しようとした男は星の数ほどいた。もちろん私はそうさせなかった。私に服従した男たちはその倍ほどもいた。だが私には彼らは 不要だった。きみだけだ、少佐。私は君を支配したい、そして同時に服従したい。私は君に支配されたい、そして同時にきみの服従を望む。」

ならばそのかつてのことを語れ。

それは無理だよ、愛しいきみ。語りつくす前に夜が明けてしまう。

言え。

強いられて伯爵は語った。さながらシェヘラザードのように、かつて夜の闇の中で、あるいは明るい昼ひなかに繰り広げられた、秘めやかな、あるいはあけっぴろげではしたない物語を語った。いくつかを聞き終えると、傲慢で傷つきやすい王は命じた。さらに傷つくために。

続けろ。

ならば、と伯爵は語った。ひとつの物語が、次の物語と繋がっていることもあり、そうではないこともあった。悲しみで終わる物語もあり、まれにそうではない物語もあった。恥知らずな物語があり、高貴な物語があった。王はさらに傷ついた。

それから。

語りつくせるものではなかった。それでも王は自らの傷を求め続け、伯爵はさらに語った。それはまるで千夜一夜を一夜に凝縮したような夜になった。しかも、すべての物語の主人公は、語り手シェヘラザードそのひとなのだった。

次は。

そこで伯爵は語った。短い巻き毛の少年だった日々の出来事を。少なからぬ数の物語だった。 遠い日々の物語すらも王の心をかきむしるのに気付き、シェヘラザードは甘く残酷に微笑んだ。

すべて吐け。

そ れゆえに、ただ王を傷つけるために伯爵は語った。ついにめぐり合ったその人が如何につれなかったか。恋焦がれ付き纏い、その報酬として得たものは幾度かの 殴打のみ。その痛みすらも甘く、なお慕い、さらに拒絶され、その欠落を埋めるため、夜毎に別の唇を吸い、別の腕に抱かれ、別の首をかき抱く夜がどのように 続いたか。日々は永遠とも思われ、その間の無聊を埋める火遊びだけが数え切れなかったこと。だが火遊びは所詮火遊び以上のものとはならず、ただ欠落の青白 い炎だけが猛り狂ってその身をしらじらと焼き焦がす、冷たい飢餓の煉獄の日々を過ごしたことを。その身のうちの煉獄を知らないまま、幾人もの男がその軀の 上なり下なりを行過ぎていったことを。王はやや青ざめて聞いていた。

それだけか。

まさか。語り尽くせないよ。奔放なシェヘラザードは笑った。そして付け足した。どの過去をとっても、きみの前では無価値だ、と。

いっ たい誰と比べた。傷つきやすい王は比較されたことにやはり傷つき、怒りに任せて シェヘラザードに手を伸ばした。二頭のしなやかな獣がお互いを組み伏せようともつれ合った。猛り狂った一頭が吠えた。それはいったい誰のことだ。誰でもな い、君の知らない誰か。忘れろ。いますぐ忘れろ。愛撫とも殴打ともつかない打擲の応酬があった。獣たちは息を弾ませ、猛りあい、睦みあい、やがて金色の獣がやはり嫣然と笑った。それは無理だな。私の過去が今の私を作り上げている。忘れることはできないよ。

決して服従しないシェヘラザードが勝利の笑顔を浮かべてそこにいて、傷だらけの王はついにゆっくりと敗北を認めた。いい答えだ。おまえがそのようでなければ、俺はおまえの支配など受け入れはしなかっただろうから。

伯爵は冴え冴えと笑った。「私は君を支配する。そして同時に服従する。さあ、私を解放してくれ、少佐。今すぐ。いますぐいきたいんだ。」

「いいだろう。」

王はシェヘラザードに跪いた。その双腿の間に。


その実、お互いがお互いを支配などできず、またもちろんのこと服従もなかった。にもかかわらず、双方がお互いにそのふたつを双方に求め合い、しかも与え合った。彼らはまさに一対だった。わかりきったことだったのに、ここまでくるのにどれほどの逡巡を経ただろう・・・


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少佐はカードを握りつぶし、蜜蝋の封印に口付けた。それが、五月のある日のことだった。

七月の半ばのころ、部長秘書は次の任務への出発準備に忙しいエーベルバッハ少佐からの内線電話を受けた。切手を少し分けてもらえないだろうかという用件だった。


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ドイツの消印が押されたごく普通のエアメイルの封筒を開封すると、微かに煙草の匂いを嗅いだような気がした。気のせいかもしれなかった。中にはカードなどはなく、ただ手帳をちぎり取ったような紙に、そっけないドイツ語の走り書きがあった。


”来年の今日は時間を作る。どこか人目につかない場所を探しておけ。暑い国はよせ。おまえの薄着は目に毒だ。”


おやおや。と伯爵は思った。なんとつれない恋人だ。紙切れ一枚で来年までおあずけかい? それに、どうやら南国に小さな別荘を買う必要があるようだ。ジェイムズ君をどうまるめこもうか。

そ れから頬杖をついて、指先で巻き毛をもてあそびながら、恋人の任務と責任と状況と、彼ら二人の間に横たわる諸事情とを考えてみた。これでもたいした進歩だ な。思いがけなかったよ、きみからの便りがあるなんて。封印のいたずらに気付いたのかな?(まさかね。あのトーヘンボクが!) どうやら、これからも私が追いかけるというスタンスには変わりがないようだね。では今夜だけ、密かな侵犯を許してくれるかな?部屋の主がここにいない今夜 だけ。

伯爵の隠れ家には、一方的な不可侵条約を誓った少佐の寝室が準備されていた。一人用の硬いベッドと、机と本棚 だけの広々として簡素な部屋は、伯爵が自分用には決して選ばない質実で落ち着いた趣味で統一されていた。ここは聖域だった。伯爵は少佐の寝室に足を踏み入 れると、書き物机の上に緑の瓶を置き、椅子を引いて腰掛けた。それからボトルの栓を抜き、薄緑の馥郁たる液体をグラスにたっぷりと解放した。寝室に差し込 む鮮やかな午後の光の中に芳香が立ちのぼり、舌先に広がるよく冷えたワインに刺激されて、伯爵の感覚は清冽に冴えわたった。

き みの瞳の色のボトルのこのワインは昔は甘口ばかりだったのに、最近はずいぶん辛口になってきているようだね。きみとはまったく反対だ。次に逢う時のきみ は、どれほど甘く私を蕩かしてくれるんだろう?言ってくれたまえ、そのくちびるで。さもなくばその眼差しで。もしくはその指で。たったいま私を見事にたら しこんだ、その筆先の言葉のように。

現実の少佐の不在が、伯爵のなかの少佐の実在を引き換えに確固たるものにしているようだった。伯爵はグラスを置いた。自分自身の栓を抜き、その官能をたっぷりと解放するために…。  



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同じ日の夜、部下のミスにより間一髪で標的を取り逃がした少佐は、ほぼ予想していたとおり延長となった任務に舌打ちをした。熱いシャワーを浴びてベッドに 寝転がったが、どうも眠れる気がしなかった。久しぶりに寝酒でもひっかけるか。宿泊先に持ち込んだ瓶は涼やかな水色だった。ボンベイ・サファイア。瞳の色 -彼の秘密の恋人の。さもなくば、こんな気障ったらしい瓶の酒を手に取ってみる気はしなかっただろう。だがその酒は浮ついた外観にもかかわらず、上出来の 酒だった。グラスにそそぐたびに、痛烈だが奇妙に品のある香りが少佐の鼻腔をくすぐった。馬鹿野郎、ちゃらちゃら気取った外観の中身が実は痛烈で、しかも 気品がある?それはいったい誰のことだ?



問い詰めて問い詰めて、何もかも吐かせなお敗北した夜の記憶が、不意にまた蘇った。

就寝前にもう一度、今度は冷たいシャワーが必要なようだった。少佐の姿はバスルームに消えたが、水音はいつまでも途切れなかった。ときおり混じる微かにくぐもった声が、ついに高まりを迎えるまで。


END






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お誕生日おめでとうございます、伯爵。
From BasilLeaves with Love

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