このサイトでは、「エロイカより愛をこめて(From Eroica with Love)」を題材とした、英語での厖大な二次創作群を翻訳しています。サイト管理者には原作者の著作権を侵害する意図は全く無く、またこのサイトにより金銭的な利益を享受するものでもありません。私が享受するのは、Guilty Pleasure - 疚しい楽しみ-だけです。「エ ロイカより愛をこめて」は青池保子氏による漫画作品であり、著作権は青池氏に帰属します。私たちファンはおのおのが、登場人物たちが自分のものだったらいいなと夢想 していますが、残念ながらそうではありません。ただ美しい夢をお借りしているのみです。

2012/10/25

長年の謎





「腹立たしいが西側の精密機器は全く高性能だな。」

「西側や東側などというのはもはや過去の話だよ、同志ミーシャ。」

上品なロシア紳士が恰幅のよいスキンヘッドの同僚を笑った。ミーシャと呼ばれた男は意に介さず、ヘッドホンを装着すると、太い無骨な指で慎重にチューニングを合わせ始めた。雑音がふっと消え、旧東側の技術では考えられないほどに高性能の集音機能を持つ盗聴器が拾う音が、仕掛けられたその部屋にいる何者かの挙措や息遣いの音までをもまざまざと伝え始めた。

「長年の謎に決着がつくときが来たようだな、同志白クマ。」

「そううまくゆくものかな、ミーシャ。」

「なまぬるい西側ではこういう類の薬品は開発できまい。KGBが繰り返した人体実験では効果は完璧だったぞ。」

「だが相手は鉄のクラウスだ。きみを長年苦しめ続けた手ごわい男だよ。」

サングラスの奥で旧友の目がぎらりと光るのを、白クマは見逃さなかった。わざと煽るような言い方をしたのだ。ミーシャは思った通り激昂し、拳を机にたたきつけた。受信機が揺れた。

「あの男のことなら調べつくした!家系から成育歴、学歴、軍歴、NATO異動後の経歴に関してもだ。個人的な嗜好や思想傾向についても調べ上げた。世界の誰よりもあの男のことを知っているのはこの私だ!それもこれも、あの忌々しいドイツ人に一泡吹かせるためだ!」

「だが世界は変わった。今やわれわれは協力関係にある。」白クマはぴしゃりと言った。「いまさら何をどう一泡吹かせようと言うのかね。」

ミーシャは聞いていなかった。「わからんのは『鉄のクラウス』と『エロイカ』との協力関係だけだ!あの二人はいったいどういう関係だ!」

「こういうやり方は、直情派のきみらしくもないな。」

からかうような響きだったが、そう言いながらも白クマは受信機のもう一つのヘッドセットを手に取り、旧友の隣の椅子に腰掛けた。

「それで、きみの仕込んだ薬入りのインスタントコーヒーを飲んだのかね、あの少佐が。」

「部下からは成功だったとの報告が上がっている。」

「ほう、それは…」

白クマは意外だと言いたげな目でミーシャを見つめ、初めて興味を覚えたようにヘッドホンを装着した。ミーシャは白クマを横目でちらりと見て、やや得意げに胸を逸らした。

「エロイカの方はあっさり引っかかって少佐の部屋へ向かった。所詮は民間人だ。」

「では、いい時間だな。ちょうど薬の効果が現れる時間だ。そもそも相手は誰でもいいのだろう?」

「そう聞いている。だがこれで何もかもがはっきりするだろう。」

そのとき盗聴器が、ドアが開く音をとらえた。ミーシャと白クマはちらりと顔を見合わせ、盗聴器が伝える音に耳を澄ませた…。





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「何をしに来たのかは知らんがちょうどいい。」

伯爵を部屋へ迎え入れてドアを閉じ、チェーンをかけて振り向くと、少佐の三白眼が光った。

「さあ来い。可愛がってやる。」

ネクタイの根元に人差し指を突っ込んで乱暴に緩め、グリーングレーの瞳をゆらゆらと揺らめかせながら、少佐は獲物との距離を詰める肉食獣のように伯爵に迫った。伯爵は目をぱちくりさせて少佐が近づくのを見ていたが、やがてはっとしたように気を取り直し、少佐が伸ばした腕から間一髪で逃れた。

「ちょっと、ちょっ、どういう冗談!?」

「いいところへ来た。」少佐が右足を確固として踏み出すと、毛足の長いカーペットの下でぎしりと床が鳴ったような気配すらあった。

「なに言ってんだよ、きみが呼びつけたんじゃないか!」

「どうでもいい。おとなしく服を脱げ。」

伯爵は焦った顔つきで周囲を見回した。「バスルームに部下の皆さん?それとも監視カメラ?どっちにしろ、最近きみの任務の邪魔をした覚えはないし、役に立つ情報の心当たりもないよ!」

「おれが欲しいのは別のものだ。服を脱いでそこへ横になれ。」

「何を探してるのか先に言ってくれ!持ってたら渡すから!また下着にマイクロフィルム?…それは今時さすがにアナクロすぎるな。えーと、マイクロSDとか?メカ音痴のわたしじゃわからない、なにかすごくちっちゃいやつ?ボーナムくんを呼んだほうがいいかい?うわっ!」

もう一歩踏み出した少佐を避けて、伯爵は飛び退るようにベッドの反対側まで逃げた。

「物分りの悪いやつだ。」

少佐はとうとうネクタイをすっかり解き、首をかたむけて襟から抜くと、縄を扱うように左の拳に巻いた。「おとなしく言うことを聞けば優しくしてやる。そうでなけでば縛り上げて力づくだ。」

「!!!」

少佐の意図が全く分からないまま、伯爵は絶望的な目でとりあえず周囲を見回した。窓は高層ビルによくあるはめ殺しで開かないタイプ。ベッドの下もクローゼットの中も時間稼ぎにすらならない。バスルームが天井に通風口を開けてあるタイプでなければ、立てこもったが最後運の尽きだ。となれば、逃げ道は入ってきたドアしかない。そしてドアは少佐の背後にある。なんとかしてあそこまでたどり着かなければ。たどり着かなければ、…着かなければ?あれ?着かなければどうなるんだ?

「あの…」伯爵は恐る恐る声を出した。

「あの、怒らないで聞いてくれよ。力づくで何をするつもりなのかな?」

少佐はニヤリと笑った。「おまえの大好きな『いいこと』だ、you, pussycat。」

目が点になった。口がぽかんと開いた。驚きのあまり巻き毛がみんなカールを失って、だらーんと垂れ下がりそうだった。

「いま、何て…」点目のままの伯爵が辛うじてそう尋ねると、鉄のクラウスの酷薄な唇から、更に驚くべき答えが返った。

「気にするな。おれも楽しませてもらう。あまり手こずらせるなよ。それともこういうのも前戯のうちか?」

伯爵の意識が一瞬完全にぶっとんだ。少佐の当て身がその隙を突いたが、伯爵は点目になってしまった目を元のつぶらな青い瞳に戻しつつ、辛うじて逃れた。

「ちがうちがうちがうちがうちがう!きみはフォン・デム・エーベルバッハ少佐じゃない!誰が変装しているのかさっさと白状したまえ!ロレンスか?Gくんかい?それともスカしたおフランス野郎かっ!」

ひっくり返った声で叫びたおす伯爵の狼狽ぶりを、少佐は歯牙にも掛けなかった。「至近距離で見破れん程おれに化けられるのは、おまえしかおらんだろうが。おまえはここだ。ということはおれはおれだ。わかったか?ん?」

ん?と片眉をあげて冷静に追撃する少佐から逃げ回りつつ、伯爵は必死でなにか防御になるものを探し、手当たりしだいに投げつけた。枕。枕元の電話。ランプシェード。ペン。メモ帳。テレビのリモコン。引き出しの聖書。引き出しそのもの。しまいには椅子。少佐は慌てず騒がずひょいひょいと飛んでくるものを避け、最後に飛んできた椅子を空中で軽く受け止めると、椅子の脚を掴んで伯爵の方に軽く投げ返そうとした。伯爵は悲鳴を上げて逃れようと体をひねり、最後のあがきにナイフを投げる要領で、灰皿を手首を使って鋭く投げた。

少佐は椅子を投げなかった。灰皿は少佐のこめかみに命中した。血がたらりと流れた。

息を呑んだ伯爵の目の前で、少佐は静かに椅子を下ろした。

「美しい獲物に余計な傷をつけるのは本意ではない。」

たたらを踏んだ足元を再びしっかり踏みしめつつ、伯爵は半泣きでわめきちらした。

「何でそんなに無駄に頑丈なんだよ、このドイツ戦車!」

少佐は意にも介さなかった。「おれがドイツ戦車ならおまえは英国の薔薇だ。ただおれに踏みしだかれるためだけに咲き誇る、大輪の薔薇だ。…おい、なに白目むいとる。」

伯爵は危うくもう一度失ってしまいそうになった意識を必死で取り戻そうと努力に努力を重ねながら、ぐるぐると思考を巡らしているようだった。思考が空回りする音がカランカランと聞こえてきそうな奮戦ぶりだったが、額ににじっとりといやな汗をかきながらもとうとう脳内結論を出したらしく、伯爵は低い声を絞り出した。

「きみ、なにか拾い食いしただろ。」

「…おまえのところの経理士と一緒にするな。」

「少佐っ!悪いもの食べたりしたら、普通の人はおなかを悪くするんだよ!どうしてきみは脳にきちゃったんだいっ!?」

「面倒な野郎だな。」

こめかみの血を清潔なハンカチでふき取った少佐が、遠慮無くじりじりと間合いを詰めた。舌先が薄い唇を湿すと、普段の乾いた唇とちがって妙に赤みのさした口元が薄く開いて、ため息に似た息とその後に続く低い呻きが伯爵の耳に届いた。だがその意味を考える余裕は今の伯爵にはなかった。

「ひゃっ!」

身をかわすと、少佐の左手がまたしても空を切った。だがもう後がなかった。

「なんで逃げるんだ。貴様はおれに言い寄っとったのではないのか。いい機会だとは思わんのか。」

「襲うのは好きだけど襲われるのは好みじゃないからだよっ!」

「やることはたいしてかわらんぞ。おとなしくおれの下にこい。」

「ぜんぜん違うよ!何言ってんだよ、きみ、おかしいよ!目を覚ませよ!」

「変態からおかしな奴呼ばわりされるとは心外だ。」

「私を嫌がらないきみなんてきみじゃないよ!」

「そうだな。今はおまえが嫌がっとる。反対だな、ははは。」

「明るく笑うな!きみほんとにおかしいよ!怖いよ!いつもとに戻るんだよ!ずっとそのキャラのままだったら部下の皆さんが泣くよ!」

「部下か・・・。ああ、そうか。部下どもならこうちょろちょろ逃げ回らずに、おれの言いなりに足を開くわけだな。AでもGでもZでもな。」

「わああああ、だめだめ、今外に出ちゃダメだ!少佐、少佐、元に戻るまでこの部屋にいよう。ね?ね?」

「そうだな。それまでたっぷり楽しませてもらおうか。さあ、行くぞ。」

もはや逃げ場はなかった。少佐がついに最後の一歩を踏み出し、伯爵の両手首を捉えて強引にベッドの方へ投げ出した。

「エーベルバッハ少佐ぁーーー!!!目を覚ましてくれぇーーー!!!」

伯爵の体がベッド脇のサイドテーブルにぶつかり、覆いかぶさってくる少佐の体をはねのける事もできずに、もつれ合ってベッドに倒れこんだ。壁とサイドテーブルの隙間から甲虫を潰すような硬い嫌な音がしたが、人生最大の危機に陥っている伯爵が、それに気づくはずもなかった。




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虫をつぶすような嫌な音がして、通信が途絶えた。ミーシャは焦点の合わない目で通信機器を見つめていた。白クマはヘッドセットをはずし、天井を仰いだ。

「そもそも何もなかったし、どうやらこれからも何も起こりそうになかったところに、余計な火種を蒔いてしまったようだな。」

ミーシャが呆然と呟いた。「信じられん・・・」

「だが聞いたとおりだよ。きみの宿敵のプロファイルから、不明な点を抹消できてよかったじゃないか。」

「それはそうだが・・・。腑に落ちん。」

「どちらにしろ、直情果断なきみらしくないやり方だった。これだけ明らかな結果に納得しないのもまた、きみらしくない。」

ミーシャもまた不承不承と言った様子でヘッドセットをはずし、大きな手のひらで汗をかいた毛の無い頭を何度もなでた。白クマはそんな旧友を面白そうな顔つきで眺めていたが、続けて声をかけた。

「恐ろしく効果のある薬品だという追試験にはなったようだな。さて、それでだミーシャ。」

白クマが体の向きを変えてミーシャの方に向き直った。

「きみが私以外の男の話ばかり続けるのを、私はいつまで我慢すべきなのかね?」

ミーシャは我に返り、さっと振り返った。「ドミトリー!そういう言い方こそきみらしくない。」

強面のいかつい大男には似つかわしくない狼狽ぶりだった。ドミトリーと呼ばれた男は、うろたえる旧友を見てくすりと笑った。

「久しぶりに名前で呼んでくれたな、ミハエル。」

「…同志白クマ、私には家族がいる。」

「知っているさ。だから私のほうから何を求めたこともない。」

「私には家族がいるのだ、ドミトリー。」ミーシャは辛そうな声を絞り出し、顔を背けた。

「きみのその潔癖なところはかわらないな、ミーシャ。私は何も求めないよ。きみと過ごすささやかな時間以外の何も。」

白クマはミーシャに身体を寄せ、肩に頭を乗せて目を閉じた。

「さあ、昔のようにきみが私を呼ぶ名で呼んでくれ。『私のミーチェニカ』と。」

ミーシャは動かなかった。長い時間がたった。だが肩に受けた旧友の肉体の温みにこらえきれず、ついに片手を伸ばして白クマに触れ、声を絞り出した。

「ミーチェニカ…。」

カーテンを引いたままの部屋に椅子のきしむ音が響き、やがて衣服が床に落ちる音が続いた。




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「芝居はここまでだ。」

少佐は奇妙な殺気をふっと消して体を起こした。腰を抜かした伯爵はベッドに仰向けになって両手で顔を覆ったまま、起き上がれなかった。指を開いて隙間から少佐を見上げる目には、涙がうっすらと浮かんでいた。

「芝居ってなんだよ!」涙を浮かべたまま、いまにも泣きじゃくりそうな声を絞りだすのが精一杯だった。

「おまえの言い草は正しい。どこのどいつか知らんが、おれに薬を盛りやがった。それもふざけたことに催淫剤だ。」

少佐はベッドに腰を下ろしたまま、妙に冷めた目付きで伯爵を見下ろして続けた。

「自白剤に効き目が似とる。だが頭のほうではなく、下半身の自制を解く。いけいけドンドンだぞ。」

「…きみ、ひょっとしてまだちょっと効き目が残ってるね?」

「大した効き目でもなかった。それにおれはこの手の薬物への抵抗訓練を受けている。すぐに気がついて盗聴器を探した。てっきりおまえが犯人だと思ってな。」

伯爵はようやく起き上がり、隣に座る少佐との間合いを慎重にはかった。まだ警戒心を解いていなかった。

「失敬な!私はそんな卑劣な手は使わないよ。襲うなら正々堂々と寝込みを襲うさ。」

「優男が細っこい腰でできもせんことを言うな。」

少佐は妙な目付きのまま伯爵を一瞥し、続けた。

「盗聴器を見てケチな泥棒の仕業ではないとわかった。集音機能の高い、かなり高性能なやつだ。ドケチ虫は買わんだろう、こういうのは。」

少佐はサイドテーブルを蹴って、床に落ちた盗聴器を拾い上げた。「あとの三つは見つけ次第殺した。ピーピング・トムのお楽しみのために残しておいたのがこれだ。部長ならどういうしかえしをしてやろうかとも考えたが、あの部長がこんなものを自腹で仕掛けるわけはない。おまけに催淫剤の仕込み具合といい、これはどこかの組織だ。」

「組織?」

「ロシアか、フランスかどちらかの諜報部だな。盗聴器は西側のものだが、こういう薬品を使うのはは東側くさい。」

「西とか東とかって、もう終わった話だろ。」

「終わっとらん頭のやつもいるということだ。だがこれで気が済んだろう。」

「そこまで心当たりが?」

「まあな。」

伯爵は不承不承納得した顔になった。少佐の業界はややこしい。こちらの業界に手を出されては困るのと同様に、少佐の業界にも鼻を突っ込まないほうがいいことはたくさんある、といった納得のしかただった。体の力を抜いてばたりとベッドに仰向けになり、ふぅと息をついた。

「どういう冗談かと思ったよ。逃げ回るなんてもったいないことをしたな、私も。」

少佐は振り返り、いつもとは違った目つきでもう一度ちらりと伯爵を見た。そしてすぐに目を逸らし、盗聴器を指の間で捻りつぶしながら独り言のように続けた。

「おまえが仕掛けてくる嫌がらせが、おれには長年の謎だった。」

伯爵は少佐の背に顔を向け、罪のない笑顔で何気なく答えた。「嫌がらせなんかした覚えないけど。」

「さんざんおれに我慢のならんちょっかいをかけておいて、いまさらそれか。」

「きみに本気で嫌がられそうなことは、したことがないつもりだよ。」

伯爵はあくまで無邪気に答えたが、背を向けたままの少佐の詰問の奥にやや不穏な空気を嗅ぎとり、身構えた。続く少佐の言葉は、その心構えが整う前にすかさず伯爵を撃った。

「訓練の成果で薬品の効果は押さえ込めたものだと考えていた。だが芝居を続けているうちに、おれはその気になった。ついでにやっちまえと本気を出したら、おまえは本気で逃げた。」

伯爵はおもわず漏らしそうになった驚きの声をかろうじて押さえ、つとめて平静な声で答えようとした。起き上がろうとしたが、起き上がれなかった。

「それはもう言ったよ。襲うのは好きだけど襲われるのは私の流儀じゃないのさ。」だが声が震えていなかったかどうか、自分でも自信がなかった。そこで軽く付け加えた。「嫌がらないきみはきみじゃないから、好みじゃないしね。」

「おれが本気で嫌がるようなことはしないと言ったな、さっき。」

「きみが嫌がるようなことはしない。…わたしにはできない。」

長い沈黙が降りた。立ち上がってドアから出ていくべきだろうかと伯爵がとうとう考え始めた頃、少佐が背を向けたまま呟いた。

「それでいい年の大人がこの体たらくだ。だからおれから動いた。するとどうだ。さっきは真剣に嫌がっとったな。」

「真剣に怖かったよ。」

伯爵は目を閉じて、ついに真摯な声で答え始めた。


「怖かったさ。きみが普通じゃないのは明らかだった。薬物でも盛られたか、その他の理由か・・・。どっちにしろきみは常軌を逸していた。この機に乗じてしまうと、正気に戻ったきみと永遠に顔を合わせられなくなってしまう。いっときの快楽のためにきみを永遠に失うのは割にあわないよ。少佐、私はきみを失いたくない。」

「逃げた理由はそれだけか。」

「きみが今になってそんなことを聞く理由は?」

そこで初めて少佐は振り返り、伯爵へ顔を向けた。「これはおまえのゲームだと思っていた。おまえが追う。おれが陥落する。そこでゲームは終わりだ。おまえは別の獲物を追い始めるだろう。」

「だが気まぐれな狩人の遊びにしては随分気の長い遊びだと、きみはそう思った?」

少佐は答えず、曖昧な表情で目を少し細めただけだった。

「言ってくれ、少佐。いったんきみを手に入れれば、わたしのゲームは終わりだと考えたと。」

少佐は曖昧な顔のまま伯爵を見つめていたが、やがてため息を付いて僅かにうなずいた。伯爵は後ろ肘をついて上体を起こし、少佐の顔を上目遣いに見上げながらにやりと笑った。

「ならば私たちは別の方角を向いて同じ事を心配していたというわけだ。言ってくれ、少佐。きみは私を失いたくなかったと。」

口元がぐっと引き結ばれ、グリーングレーの目がぎらりと光った。この期に及んで、この鋼鉄の軍人は矜持が邪魔をして頷くことも肯うこともできないでいるのだった。伯爵は思わずくすりと笑った。それからゆっくりと自分の方に伸ばされた少佐の片手に気づき、破顔一笑した。雲間から太陽の光が差しこむような輝かしい笑顔だった。髪を撫でようとしたその手に素早くキスをして、力を込めて引き寄せた。上でも下でもどちらでも構わなかった。力強い体が覆いかぶさってくるのを待ち受けた。かぶさってくるはずだった…、はず…、はず…。来なかった。

 片手をついて体を止めた少佐を、伯爵は心臓にぽっかり穴が開いたような気分で見上げた。少佐はいつもの少佐に戻っていて、冷静な口調で告げた。

「まずはこの空き巣に入られたような部屋を片付けるぞ。おまえと一戦交えた後にその体力が残っとるか、おれにもわからん。」

立ち上がろうとした腰は伯爵の長い両足に挟み込まれてなぎ倒された。長身がもつれあった。その先がどうなったのかは、作者の盗聴器がどうやら壊れてしまったようなのでわかりません。とってんぱらりのぷぅ。




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作者から: KGBの壮年二人は、エロイカ界のしまりんご(白クマ=摩利、ミーシャ=新吾)と呼ばれているそうですね。いっぺん書いてみたかったw。盗聴器を使ってどーのこーのというプロットから、結局のKadorienneさんのThe Green-Eyed Monster Affairに似てしまいました。